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箱崎ジャンクション 藤沢周

この本を読みながら、途中から自分は「死んだ自分」が読者になっていくような奇妙な感覚に陥った。

以来、よく晴れた平日の午後二時ごろに、布団のうえを行ったり来たりするのが好きだった猫を撫でていると、

なぜか「すでに死んだ自分」が、
この世界にいる、いて、生きている、という気分になった。


文春文庫、表紙裏あらすじより 

コンクリートの壁に囲まれた渋滞の名所、箱崎ジャンクション。パニック性障害を隠しながら勤務するタクシードライバーは、ここに車を停め、精神安定剤を飲んでルームミラーに消えていく自分の後ろ姿を見つめる……。
おそるべきスピードで壊れていく男が、胸苦しいほどリアルに描かれる。


自分は箱崎ジャンクションにも、首都高速にも縁はない。運転はおろか、車に乗せてもらう機会もない。

長く生きてきたのに今頃になってジャンクション好きになったのは、子供の頃の記憶がきっかけかもしれない。

が、それはどうでもいいことなので。

タイトルと表紙の歪んだジャンクションに惹かれて読み始めた。

タクシードライバーの室田が走った道を、すべてメモした。グーグルマップで辿ろうと思うのだけど、ストリートビューの使い方が猛烈にヘタで、冒頭に出てくる順天堂医院から、湯島天神まで行くこともできない。

もし私が大金持ちだったら、タクシー運転手さんに頼んで、作品に現れたコースをすべて走って欲しい。それも何度も走って頭にコースがすべて焼き付くまで走って、気がつくと…

なに?

すっかり首都高好きになったけれど、車に縁がないので、見上げるばかり。

巻末で保坂和志さんが書いているけれど、本当にタクシーの運転をしていたのかな?と思ってしまう。ダローガの不動産屋、サイゴン・ピックアップ の修行僧たち…みんなきりきりくるぐらい、リアルだ。

小説というのは、ある意味読者を殺すものなのかも。
世界に惹き込まれるのではなくて、
もうそこに自分はいない。

自分の存在を、自分以外のなにかによって決定づけられているような気が、なぜかこの作品を読んだあとから、している。




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