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救ってほしかったのは、私だった。

今日は、だめだった。
父の見ているTVの音がやけに大きく聞こえて、
30分も居られなかった。
ごめんね、って言いながら玄関を出た。

実家に帰るといつも思い出してしまう。
過去の私。


父が倒れた時期、私は働きざかり。
朝の7時前には出勤し20時過ぎに帰る毎日。
私が帰っても
障害者になった父はTVを大音量で見てる。
「ご飯食べました、適当に。気にしないで。」
食べたか食べないかわからないけど
父はTVから目をそらさず言う。

父だって、
働きざかりで倒れた。

苦しい気持ちを、誰にも言えずにいたのだと思う。
でも、私も、

食事さえきちんと作ってあげられない。
思えば自分の食事さえまともじゃなかった。

父は何もできない。
そんな思いが、
「してあげなければならない」を創った。
「しなければならない」思いは自分を責める。

私が救ってあげる。
誰かを救ってあげなければならない。
そんな風に生きる
癖がついていた。

そんな風に生きると
まわりから賞賛された。

あなたは何もできないひとだから、
手伝ってあげなければならない。

「そういう、❝してあげる❞気持ちは
本当に愛なのだろうか。」


私は父のもとを離れることにした。
そしてもう
5年も経つ。

苦しくなって飛び出した実家は、
「対等」の意味をいつも問いかける。

障害ってなんだ?

私が本当に「したい」と思うことは?
相手の「できる」を信じることは?



私は先に私のことを考えられるようになった。
救って欲しかったのは、私だった。

だけど、
私も幸せでほかのひとも幸せ。
私にとってはまだ
とても難しいなぞなぞ。



今になって
父を訪問するとき、

いつもの通りTVの音がうるさいけど、
いつもの通り、家の中がピカピカなんだ。


そう
父の「できる」はとてもたくさんあったのだ。


あたらしい芽★なにもかも生まれ変わる

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