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『ロリータ』読了

昨日『ロリータ』を読み終わった。凄まじい小説である。あの文章を把握できる人を、僕は尊敬するし、羨むし、憎むだろう。ジョン・レイによる前書きがあり、ハンバート・ハンバートの華麗で退屈な本文があって、彼に劣らず強靭な個性のもち主であるナボコフの後書きが続き、若島正の訳者あとがき、そして「野心的で勤勉な小説家志望の若者へ」と題す大江健三郎による解説――これまた素晴らしく知的な文章――で締め括られる。

正直に言って、僕はあらゆる点で胸焼けした。壮大な冗談とはるか高みの真実性を手に、彼ら四人は雲の中をぷかぷか浮かんでいる。見上げてみてほしい。君は彼らの姿を見つけられるだろうか? つまり、水滴を含んだ涼しい風を受けて、地面もないのに大気圧の重荷に耐えている知性たちが? 僕には見えない。僕は目が悪いのだ。

もちろんこの小説は大層なものであることは喜んで認めるつもりだ。大層な小説には違いない。僕はこの長いこめかみの痛くなる悲劇を読んでよかったし、君も読むといいし、君と僕はいまからこの作品を英語でこそ読むべきだ。若島正大教授の見事な腕前にも関わらず、原書では後ろへ後ろへと詩的に繋がっていたのだろう形容詞句が、翻訳では全部名詞の前に来ているせいで「あれやこれや手を尽くして引き延ばそうとするせいで、本当はいったい何が言いたいのか、分かりにくい[……]言葉を重ね、複雑な構造の文章を書き散らし」[*1]ているように見えてしまうのだ。

言うまでもなく、これは日本語と英語の言語構造の違いによる感覚であり、アルプスの頂上にある高級ホテルで死に、棺桶に橇をつけられて急斜面を滑り降りた[*2]ナボコフの亡骸を呼び起こすことが、そして「饒舌なものは なにも語らない」[*3]という辛気臭い格言を採用してくれるよう彼に頼むことができない以上、我々に残されているのは英語を勉強することだけである。

「小説の批評をするのに、粗筋を書かない批評家が無数にいます。[……]何となく全体的な印象から出発して、それに思想的、哲学的解釈を加えるというのが多い」[*4]という山崎正和氏の指摘のご多分に洩れず、僕もここであらすじを書くつもりはない。「自分の手で粗筋を書き直せないような人は、わたくしは批評家と認めない」らしいが、なるほど僕は批評家ではない。

*1 アルトゥール・ショーペンハウアー、鈴木芳子訳『読書について』(2013、光文社古典新訳文庫)62頁。
*2 言葉の綾なのでお気をつけください。
*3 同じく『読書について』で引用されるボワローの詩の孫引き。頁数見つからず。
*4 大岡 信『日本詩歌紀行』(新潮社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVEWS(https://allreviews.jp/column/3864)。次の引用も同じ。



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