隣の柴田理恵は青い。

 時は21XX年。クローン人間の製造が合法化された世界。その発端は東側某国であった。半世紀前、某国は秘密裏に兵士として機能するクローン人間の開発にしていた。ことが発覚すると、西側諸国もこれに対処するという名目で軍用クローン人間を量産することとなった。目には目を、クローンにはクローンをである。その結果、アメリカでは大統領府からの圧力によって、クローン人間たちは「人間ならざるもの」として基本的人権に値しないと議会で決議が下された。その結果、市民の新しい娯楽としてクローン人間のペット市場は拡大していった。一方で、一部の有名人は、自身の死後に彼らのDNAをもとに複製を作り出す権利を、生前の享楽のために高額で企業に売り渡した。
 そして、アメリカの郊外のある閑静な住宅街に住む私の隣の家にも、クローン人間が導入された。ごく一般的な家庭を持つ、この私にもだ。
 トラックで搬入されてくる。あー、あのモデルは、有名だ。日本人の。名前はなんと言ったか。リエ、そうだリエ・シバタ!リエはこの頃かなりの人気モデルであった。
 もちろん、クローン人間が一般家庭に出回りだした十数年前は、その多くがこぞって美男美女を買い漁った。純粋に人のぬくもりが欲しかったやつもいれば、純粋とは言い切れないやつも。しかし、クローン人間の多くはもとのモデルよりも感情表現に乏しく、人々は彼らが「人ならざるもの」であることを思い出した。そこに、リエが登場したのである。一見、ただの眼鏡をかけたモンゴロイドの中年女性のように見えるが、そうではない。彼女(それと呼ぶべきだが、私には抵抗がある)は、クローンとしては不思議なことに大きな声でよく笑い、些細なことでもよく涙(に似せた生理食塩水)を目尻から流して泣くのである。ほかにこのような芸当のできるクローンはいなかった。だから市民にとって、次第にリエを所持していることは一種のステータスとなった。それが、リエがクローン人間のモデルとして莫大な人気を博した理由だ。
 隣の家に住むダンはかなりの見栄っ張りだ。本来クローン人間は屋内に置いておくべきなんだが、彼はリエに外で庭仕事をさせる、それも必要以上に。きっと見せびらかしたいのだろう。今度夫婦を夕食に招いて、一言でも「おたくのリエは…」などと口走ればダンはすぐさま自分ちの彼女の話をし始めるだろう。以前も、電子犬(動物の権利の拡充に伴って普及した犬の代替品。見た目は犬そっくりにできてる。犬なんかの権利が保障されてクローン人間の権利が保障されないなんておかしな世の中だ。)を飼い始めたときも、よく外に出してたっけ。あの家の窓から覗く自慢げな顔と言ったら!
 考えれば考えるほど、うちもリエが欲しくなってきた。隣の芝生は青いとはよく言ったものだ。私はその日の夕飯のときに、早速妻に相談した。
「どうだろうか。うちもクローンを飼ってみるっていうのは」
「ブラッド、私はどちらかといえば嫌。人を飼うなんてそんなこと」
「まあ、君の気持ちもわかるが、法的にも問題ないわけだし、彼らも100%人間と一緒ってわけじゃないらしいんだ。それに、家事はもうしなくて済む」
「でも、結構するんでしょ。クローンって。」
「僕の十年分の小遣いくらいはね」
「じゃあ、あなたが小遣い十年我慢するって条件なら、好きにすればいいんじゃない。私は面倒見ないけど」
「ああ。ありがとう、メイ」
なんとか三年分の娯楽の代わりに許しをもらえた。うちの妻はクローン人間反対派だ。妻いわく人権どうこうよりも前に「なんとなく嫌」なんだろう。分からなくもない。週末には未だクローン人間反対を謳う千人規模のデモ集会が近くの公園で開かれる。しかし、現状アメリカ国内の労働力の35%がクローン人間で人手不足を補ってるわけだし、もうクローン人間なしでアメリカ経済は回らない。
 そして、数週間後、我が家にもリエが届いた。段ボールの箱を開け、緩衝材を取り除き本体を出してみると思ってたよりも小さいという印象だった。私たちは見せびらかすつもりはないので、リエに家事を手伝わせながら屋内で丁寧に扱うことにした。私は、ダンに触発されて、一度リエを外に出してみた。リエは初めて踏む芝生の感触に驚いているようで少しうれしそうだった。隣ではダンとダンのとこのリエも出ていたため世間話をした。
「おたくもリエを?」
「ああ、君のところのが羨ましくなっちゃって」
「はは、それはどうも。で、それは正規のルートで買ったのかい?」
「中古だが本物に間違い無いと思うよ」
「そうか。非正規のルートだと、人気モデルは模造品が多く出回ってるから気をつけたほうがいい」
「ありがとう。ちなみに、本物と偽物を見分けるにはどうすればいいいんだい?」
「偽物は泣かないらしい。それだけさ」
「へえ。君のとこのも正規ルートで?」
「正規ではないが、信頼できる筋から安く売ってもらった。」
「やるなあ。さすが」
ダンが自慢話を始めた時には、乗っかるのが話を切り上げる一番の近道だ。誰でもわかる。
 ある日、ダンの庭で電子犬がうずくまっていた。どうしたのだろう。キッチンの窓からそっと様子を見守る。すると、ダンと彼の妻、そして彼のリエがタオルと水桶を持って外に出てきて電子犬に駆け寄った。どうやら電子犬の出産らしい。電子犬でも一丁前に繁殖、出産をするというのは聞いたことがあったが、目にするのは初めてだった。そこで私はふと思い立った。リエはきっと電子犬の出産を目にすれば涙を見せるだろう。そうすれば私はうちのリエが本物だとダンに示せるはずだ。ダンもそのつもりでリエや電子犬を外に出したのだろう。なんて下世話なやつだ。
 私はリエを連れて庭へ出た。わたしたちの庭を隔てるのは小さな木製の柵だけなのでお互いの家の様子がよく見える。私は「大丈夫かい?」と手助けする風を装って彼らに近づいた。その瞬間、電子犬は苦痛の鳴き声をあげて子どもを産み出した。さて、リエたちの反応はどうか。

 ダンのリエは、出産の瞬間にうちのより先に大声で泣き始めた。その瞬間、私のリエは模造品なのではないかという不安がよぎった。しかしその時、遅れてではあったがうちのリエは徐々にエンジンがかかるように泣き始めた。どちらかというと咽び泣く感じであった。よかった。うちのリエも本物だったと私は胸を撫で下ろした。
 しかし、ダンの方の様子がおかしい。泣き声が一向にやまないのである。最初は、これほどまで泣くのか、と感心していたが、うちのリエがやっと泣き止む頃にも、変わらず大きな声で泣き続けていた。それから、向こうは体力が尽きるまで泣き続けたらしい。次の日の昼過ぎまで近所中にダンのリエらしき泣き声が住宅街にこだました。
 後日聞いたところによると、ダンのリエはよくできた模造品だったらしい。ダンのリエが泣き止んだ夜、私は車の音に目を覚ました。不良品クローン回収のトラックがダンの家の前で止まっていた。模造品とはいえ、クローン人間であることには代わりはない。クローン人間の不良品回収は、見た目が人さらいのそれであった。それ故に、体裁が悪く、夜間に行われるのが普通であった。体を起こし、寝室の窓から庭を見渡すと、ひとりでにうちのリエが外に出ていた。驚くことに手を振ってダンのリエを見送っていたのだ。遠くからであったが、彼女の顔に光るものがあった。涙であった。
 リエは、満月の青白い光に照らされて、庭にぽつんと立っていた。頬に涙を走らせて。
 私にはこのときのうちのリエは、青く、そしてブルーに見えた。


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