【小説】 靴屋さん 前編
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【新婚】
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「行って来まーす!」
今日は日曜出勤。企業に自社のシステムを導入する仕事をしているシステムエンジニアの私には、定休日なんて物は存在しない。
顧客側に定休日がないからだ。
「いってらっしゃい!」
佳子(ヨシコ)は半年前に、私の苗字である渡辺(ワタナベ)になってくれた。いわゆる、結婚というやつ。
ヨレヨレになってきた革靴を靴ベラを使い履く。
「俊くん、そろそろ靴買ったら?ボロボロじゃない?買っておこうか?」
俊介(シュンスケ)という名前の一部を取って俊(シュン)くん。かなり昔からこの様に呼ばれている。下着や靴下、服などに興味の無い私は、佳子がいつも適当に買ってくれている物を身に付けている。
「いや、靴くらい自分で買ってくるよ。もしかしたら今日の仕事帰り買ってくるかも知れないい。」
「自分で買うのはいいけど、ちゃんと長持ちしそうな靴買ってね。一応、ちゃんと試し履きして履きやすい靴を選ぶんだよ。」
凄く過保護な言葉を投げかけられる私は、言われても仕方の無い事を今まで何度もしていた。
身に付ける物に興味の無い私は、とにかく安い物を適当に買ってくる。そして家に帰って来てみるとサイズが全く合わない。しかも、長持ちをしない物を買ってくる。
そんな事を幾度と無く繰り返した私は、佳子から信用がないのだ。
「分かった。試し履きはちゃんとします。」
「うん、そうして!気を付けて行ってらっしゃい!」
ガチャン。
ドアを閉めて少し進み、立ち止まる。
カチャ。
佳子が鍵を掛ける音を確かめてから、また改めて歩き出す。
「佳子はちゃんと鍵を掛けたかな?」
どうしても気になってしまう私は、鍵を掛けた音を確かめてから出勤する。私は心配症。
「もし万が一、鍵を開けっぱなしにして誰かが勝手に家に入ってしまったら?」
オートロックのマンション。そんな事は無いと思う。しかし、住人が入って来たらどうする?宅配の人はどうだ?
一度心配になると、仕事が手に付かなくなってしまう。
以前、大きな取引が決まり大事な仕事があった。支店が沢山ある企業に自社のシステムの導入が決まったのだ。
支店のシステム導入は簡単。一番大事なのは、システムの中枢となる本社。ここの導入すら上手く行けば、支店は何とでもなる。
あまり大きくない私の会社は、この仕事は重要だった。技術者のほぼ全てが朝一番から集まり、導入に備えた。
導入前の下見は終え、後は想定通り導入し、問題なく運用出来るか?
導入する顧客の会社は、自社からかなり遠かった。なので、近くのホテルを取ることになったのだが、
「自分は自宅から向かいます!」
「は?ここまで車で3時間以上かかるぞ?交通機関を使えば始発でも間に合わないぞ?」
「分かってます。それでも自宅から向かいます。」
まだまだ入社して5年目の一般社員。そして、いつもは何でも了承する静かな一般社員。そんな私が、自己主張する事に驚いた様子の部長。
真っ直ぐ部長の目を見ていると、
「分かった。じゃあ渡辺は自宅からそのまま向かってくれ。機材は前日までに現場近くに持っていくから、直接現場だからな。遅くても8時30分には集まるからな!」
「分かりました。ありがとうございます。」
私は出来る限り佳子を家に1人にしたくなかった。特に佳子を1人にすると問題がある訳ではない。ただ、心配なのだ。
何故なのかは分からない。まるで強迫観念の様な感情。もしかすると、私が佳子に依存しているのかも知れない。
深く理由を追求するつもりもなく、とにかく佳子の安全を確認してから眠りたい。ただそれだけ。
その時はまだ彼女だったが、佳子はこの事に大した驚かなかった。
「明日、朝4時過ぎくらいに仕事向かうわ。皆んなはホテルに泊まるみたいだけど、俺は自宅から行く事にした。」
「そうなんだ。あたしも明日仕事だけど、起きて用意手伝う?」
「いや、特に荷物は必要ないから勝手に行くよ。佳子は寝てて。」
「分かった。気を付けて行ってきてね。」
「うん。ありがと。」
という会話もあったのだが、結果佳子は起きてきた。
「時間大丈夫そう?」
「忘れ物ない?」
まるで遠足に向かう子供の様に心配されながら、問題なく出発出来た。
その道中である。
「家の鍵は掛けただろうか?」
佳子が玄関まで見送ってくれた。私は鍵をかけずに出発した。恐らく佳子は鍵を掛けてから、仕事までもう一度寝るはず。
こんな早く仕事に出発する事はない。佳子が2度寝する様な時間に出勤なんて初めてだ。
「もし鍵を掛け忘れていたら、佳子は2度寝でぐっすり寝て気付かないんじゃないか?」
急にとても心配になって来た。
次のサービスエリアかパーキングエリアで一応電話してみよう。
本当は仕事前に佳子を起こさない方がいいと思う。しかし、私の中の心配が優った。
サービスエリアがあったので車を止めた。時間はまだ余裕がありそうだ。佳子に電話をした。
プルルルルー。
出ない。寝ているのかも知れない。一応メールもしておいた。そしてまた電話をしてみる。
プルルルルー。
出ない。
嫌な汗が身体を流れる。きっと何も問題はない。寝ているだけだろう。しかし、不安が止まらない。
余りゆっくりしていると、仕事に間に合わなくなってしまう。今日は大事な仕事。遅れる訳には行かない。
きっと運転している時に電話が鳴るだろう。
そう言い聞かせて、仕事へ向かった。
しかし、電話もメールも無い。時刻は朝6時を超えた頃だった。少し早めに家を出ているとはいえ、あまりゆっくりもしていられない。
もう一度パーキングエリアに車を停め電話をする。
プルルルルー。
やはり電話には出ない。
佳子が起きるのは朝7時くらいだろう。まだ寝ていてもおかしくはない。
メールも来ていない。
何故か動悸が止まらなくなった。単なる心配性。今まで家に他人が押し掛けた事なんて一度もない。
しかし、私は高速道路を降り反対方向の家へと引き返した。
何も無いことは分かっている。ただ、どうしても佳子の無事を確かめたい。仕事の事は頭から消えていた。
プルルルルー。
6時43分を示した携帯電話に、佳子の名前が表示され電話が鳴った。運転中に電話に出るのは良くない事だろう。しかし、そんな事を考えている余裕は無かった。
「もしもし?ごめーん!居間に電話を忘れたまま寝ちゃってた!何かあった?」
恐怖と安堵。
「いや、鍵かけたかなーって急に心配になって。」
「鍵?私が掛けたよ。もう起きて仕事の支度するし。仕事間に合いそう?」
「うん。多分間に合うと思う。朝から何度も電話してごめんね。仕事気を付けて行ってきてね。」
「ありがと。俊君も気を付けて。」
「分かった。じゃあまた何かあったらメールでもしておく。」
「はーい!じゃあ行ってらっしゃい。」
プー...プー...。
電話しながらまた高速を降り、路上に車を停めていた。急いでも30分は遅刻しそうだ。
実際に現場に着いたのは9時30分少し前。1時間ほど遅刻した私は、上司に怒られる事になった。
大事に至らなかったのは、スムーズに仕事が進んだからだろう。もし、仕事にトラブルが発生していたら、私はもっと怒られたかも知れない。
仕事は無事成功した。大きな仕事だっただけに、私の遅刻はすぐに忘れ去られた。
この出来事以来、家の鍵には細心の注意を払う様になった。
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【靴屋さん】
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仕事帰り、ボロボロになった靴を買い替える事にした。
「靴屋に1人で行くなんて、こんな事あったかな?」
私は身に付ける物に興味が無い。だからいつも、佳子に付き合って貰っている。靴なんて何でもいい。サイズなんて多少小さくても大きくても、何とかなりそう。
デザインだって、何を買っても大差は無い。仕事用であれば、適当に革靴を買えばいいだろう。
佳子と買い物に行っても
「どれが良い?」
なんて聞かれない。
「どれでも良い。」
と、私が答える事を分かっているから。だから佳子は心配をしているのだと思う。目に付いた物を試着もせず適当に買ってくると思っている。
現に、そうしたい気持ちになっているのだから、佳子の予想は当たっている。
家から最寄りの駅の小さな商店街。
「靴屋なんてあったかな?」
商店街の少し裏手の場所に、小さな靴屋さんが目に付いた。
「こんな店あったっけ?」
どう見ても新しい店ではない。そして「靴屋」と書いてある。小さな店は店員に話しかけられるかも知れない。面倒な気がした。しかし、試しに履いてみる以上、恐らく店員と話す事になる。
安い物は買うなと佳子が言っていた。
いつもなら入らない様な小さな店。しかし、この日の私は何か違ったかも知れない。
引き寄せられる様に小さな靴屋さんに入った。
カラン、コローン。
まるで喫茶店の様なドア。お客さんの存在を知らせるドアのベル。
店の真ん中にはベンチの様な椅子があり、壁際には靴が並ぶ。色合いは質素だが、高そうな革靴。
「いらっしゃい。」
と、優しそうな年配の女性が静かに言った。
店に足を踏み入れ、壁際の靴を見てみた。お店の人であろう年配の女性は椅子に腰掛け、話しかけてくる様子は無い。
とても高そうな革靴。全て同じに見える。
壁から張り出した木の板に、ただ靴が置いてある。飾り気のない地味な展示。そして気付いたのだが、値段が表示されていない。
お店から出たい気持ちになった。しかし、このまま何も言わずに店を出るのも、気まずい雰囲気。
思い切ってお店の人と思われる女性に声を掛けた。
「すいません。靴が欲しいのですが、値段ってどこを見れば分かりますか?」
女性は椅子から立ち上がり、私に近づいてきた。
「アナタにピッタリの靴があるよ。椅子に座って待っててくれるかい?」
私にピッタリの靴?
意味は分からなかったが、選んでくれるなら有難い。ただでさえ選ぶのが苦手だった私は、ベンチの様な椅子で待つ事にした。ただ、値段が気になった。
「私にピッタリの靴ですか?買うかどうか分かりませんが、試しに履いてみます。」
椅子に腰掛け靴を待った。手頃な価格であり革靴であればそれで良い。手頃といっても高そうな気がする。買わなくても、帰る言い訳には丁度いい。
女性が靴を私の足元に置いた。
「アナタが忘れている靴はこれですね?」
優しい表情の女性を見て、足元に置かれた靴を見た。
私の身体は震えた。
戦隊モノの子供が履く様な靴。サイズは小さく、マジックテープで止めるタイプ。
子供が履く?
いや、違う。
女性が続けて語りかけてきた。
「忘れ物があるんじゃないのかい?」
私は更に震えた。
この靴は私が欲しがった靴。そして、忘れていた靴。いや、忘れなきゃいけない靴。
「この靴屋はね、忘れ物がある人しか来ないんだよ。そして、後悔で先に進めない人にしか見えない。もちろん、靴屋じゃない時もある。」
足元にある小さな靴を見た。
こんな小さな靴に足が入る訳がない。
しかし、ピッタリ靴が足におさまった。
靴を履き、椅子の横にある鏡を見た。
「お店を出てごらん。今度は先に進めるといいね。」
年配の女性が微笑みながら私に言っていた。
鏡に映った小学5年生の自分。
この服装は、やはりあの日。
怖い。
「どうする?靴を取れば戻れるよ?だけどもう、2度とこの店は現れないよ?」
私は忘れている事がある。
どうしても思い出せない事がある。
このまま小さな靴を履いて外に出れば、確かめられるかも知れない。
本当に怖い。逃げ出したい。
カラン、コローン。
「行ってらっしゃい。」
小さくなった私は、震えながら外に出た。
【靴屋さん 前編 完】
つづく
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