教育系地域研究者メモ

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最近の記事

「子どものために生きる」を考える

先日の飲み会で「生きる意味」の話になった。 誰かが「子どもがいれば生きる意味になる」と言う。 たしかにな、と思う。 「子どものために生きる」は2つの意味があると思う。 1つ目は、子どもの生存のために保護者として生きていく必要があること。 2つ目は、子どもの成長や子どもとの時間を生きがいとするということ。 どちらも分かる。 それから、「自分以外の誰かに生きる意味を求めるのはどうかと思う」と誰かが言った。 なるほどな、と思った。 私はどうかな。 子どもたちがそこそこ大きいの

    • 小学生の子どもと不審者

      12月に入って、子どもの通う小学校から不審者情報がしばしば入るようになった。 3年生の次男の同じクラスの女の子が、朝の登校中に、車の助手席に座る男から突然スマホを向けられて写真を撮られたというのだ。 この連絡は学校のメールからもあった。12月2日。 さらに、帰宅途中で同じ通学団の男の子も不審者を見たという。 ついに、次男も友だちとの帰宅途中の道で、不審者にスマホを向けられたという。興奮気味で走って帰ってきた。12月12日。 その日、私は在宅していて暇ではないが対応可能だった。

      • 子どもの習い事の発表会にて

        日曜日、小学3年生になる息子の和太鼓の発表会だった。 私はまるで熱心な親のように送迎をしているし、できる限りで参加し、協力しているが、和太鼓には興味がない。 こどもが和太鼓を手習うことへの興味。 息子の通う和太鼓教室は、指導者が一人で行い、こどもたちは丁寧な指導を受けるというよりも、同じ教室に通う上級者をみてまなぶ。それは和太鼓の技術のみならず、価値観や態度を学ぶ。 教育学的にいうところの「正統的周辺参加」。 では、発表会とはなにか? 客席にいて、いろいろと想いをめぐらす。

        • 教育の制度と経営メモ

          第8回の「教育の制度と経営」の考えてみるテーマの一つは「学習指導要領の拘束力の強さや、性教育への攻撃への事例について、あなたの考えを教えてください。(仕方がない?、制度を変えるべき?、子どもの現実から教育内容を決めるにはどうしたらいい?)」になりそう。紙面の都合上、良い文ではありませんが、説明をすれば伝わるはず。 あらためて、義務教育とは何か、学校とは何かを考えさせられる。 「教科書を学ぶ」のではなく「教科書で学ぶ」。学習指導要領や教科書は手段の一つにしか過ぎない。 学習の個

        「子どものために生きる」を考える

          ギアーツに聞きたい

          最近、自分がもつ人間観(=人間とは何かについての価値観)の変化を感じるので、記録しておく。 私はここ10年くらい、クリフォード・ギアーツの『文化の解釈学ⅠⅡ』と出会ってから、人間は意味の網目に囚われている生き物だと素朴におもっていて、その意味の網目は当然、生まれてから生きていく間に経験を通して作られていくとおもっていた。 それが最近、「人間は生まれながらにして個性的な生き物」という価値観が入ってきた。 この価値観は、生まれてから経験を通して意味の網目を作っていく人間の理解を少