子どもの習い事の発表会にて

日曜日、小学3年生になる息子の和太鼓の発表会だった。
私はまるで熱心な親のように送迎をしているし、できる限りで参加し、協力しているが、和太鼓には興味がない。
こどもが和太鼓を手習うことへの興味。
息子の通う和太鼓教室は、指導者が一人で行い、こどもたちは丁寧な指導を受けるというよりも、同じ教室に通う上級者をみてまなぶ。それは和太鼓の技術のみならず、価値観や態度を学ぶ。
教育学的にいうところの「正統的周辺参加」。
では、発表会とはなにか?
客席にいて、いろいろと想いをめぐらす。
圧倒的な「演者」と「客」の境界。
あのワケノワカラナイ息子は「演者」であって、客席の親である私とは目も合わない。前を見てる。遠くを見ている。
またここで違うことを考え始める。
発表をみるだけで、いろいろと客が受け取り、考えることができるのであれば、近年ひどく糾弾されているいわゆる一方通行の授業もそれに寄せられないか。とか。ちょっと違うか。だいぶ違うか。。

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