「子どものために生きる」を考える
先日の飲み会で「生きる意味」の話になった。
誰かが「子どもがいれば生きる意味になる」と言う。
たしかにな、と思う。
「子どものために生きる」は2つの意味があると思う。
1つ目は、子どもの生存のために保護者として生きていく必要があること。
2つ目は、子どもの成長や子どもとの時間を生きがいとするということ。
どちらも分かる。
それから、「自分以外の誰かに生きる意味を求めるのはどうかと思う」と誰かが言った。
なるほどな、と思った。
私はどうかな。
子どもたちがそこそこ大きいので、私がいなくても生存は可能。
私が今突然いなくなって子どもたちに与えられるものは、私がこの先もずっと近くにいて与えられるものとどちらが良いかわからない。
一方で、子どもたちの成長を生きる喜びとするのはあるが、それだけではいられない。
子どもたちの成長は私のためではない。
子どもたちは、私が生きるために消費される対象ではない。
「共に生きる」としたら、子ども=生きる意味というのもちょっとちがう気がする。
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