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イスラエルが撃ったと騒ぐのも上海事変と同じ。何でもいいからイスラエルが悪いと囃す新聞もあの時と同じだ。今も昔も人は信じたいモノしか見えない。

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

ガザの蒋介石
蒋介石は中共に止めを剌すべく西安に出かけていったら、寝返った張学良に捕らえられてしまった。 
世に言う西安事件だ。
現場には周恩来もいた。
蒋も一巻の終わりと思われたが米紙特派員ウィリアム・ドナルドが飛んできて周恩来は沈黙し、蒋は解放されて張学良は逆に蒋の捕虜にされてしまった。 
一体何があったのか。
答えはドナルドが所属する米広報委員会(CPI)の資料を覗くか。
もう一つは当のドナルドを尋問して白状させればいい。 
実は日本にはその機会が腐るほどあった。
彼は日米開戦時にマニラにいて日本側に拘束され、その他欧米民間人と一緒に3年間も抑留されていたのだ。 
ただ日本側は素性を知らなかった。
そしてマニラ決戦の前に米側に身柄を引き渡してしまった。 
真相は依然不明だが、ただ日本を支那から追い出したいCPIの立場で考えれば推測はつく。 
米国は宋美齢に食い込んでいたドナルドを通して「蒋も毛も諍(いさか)いをやめてさっさと日本と戦争しろ」と伝えたはずだ。 
米国は武器もカネもくれる大スポンサーだ。 
素直に従えば満洲もモンゴルもくれるという。
逆らう理由はなかった。
蒋は戻るとすぐ盧溝橋で日本軍を挑発し、日本が動かないと見ると通州の在留邦人250人を虐殺した。 
それだけやれば普通は戦争になる。
現にアラモで仲間250人が殺された米国は「リメンバー・アラモ」を叫んですぐ攻め込んだ。 
しかし日本がそれでも堪(こら)えると蒋はもう待たなかった。
6万精強軍に上海の日本租界を攻めさせた。 
蒋の軍は上海の人込みの陰から攻撃した。
報復すれば盾とされた市民が死ぬ。 
蒋の残虐非道は国際非難を浴びるはずなのにCPIに抜かりはなかった。 
「欧米紙は蒋を新しい支那の統率者として、日本は支那の侵略者として描いていた」(フレデリック・ウイリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』)。
だから通州虐殺すらボツにされた。 
蒋は調子に乗る。 
米国が育てた支那空軍機を投入して黄浦江に浮かぶ巡洋艦「出雲」に爆弾を投下した。
みな外れた。
450㌔爆弾を抱えた第2波は、それを賑わう街中に投下し1012人が即死した。
キャセイホテル前に落ちたもう一発は729人を殺した。 
蒋はそれを「日本軍の爆弾だ」と非難した。
が、目撃者が多すぎた。
後に「誤爆」と言い替えたが、それも嘘。
「市民を被害者にすれば必ず日本非難が巻き起こると読んでいた」(同)。 
事実、世界の新聞は「侵略者日本が上海市民を大辰虐殺した」と非難する記事で埋められた。 
この現場に「たまたま米大統領夫人のエレノアが居合わせ、私のオフイスにきた」とチャイナ・ウイークリー・レビュー誌編集長ジョン・パウエルが自著に書いている。 
彼女は何が事実かを知っていた。
日本への誤解を解ける立場にあったが、そんな善人ではなかった。 
彼女は近衛文麿首相宛てに「罪もない多くの人々が惨い目にあった責任を厳しく問う書簡を送った」とパウエルは書いている。 
蒋には日本を嫌う米、独、ソが支援を惜しまなかったが、所詮その器ではなかった。
敗れて撤退を始める。 
日本軍が追撃すると、その足止めも兼ねて蒋は黄河決壊をやらせた。 
1万近い村落が水没して30万人が死ぬ惨事になったが、蒋は「日本軍機の空爆」のせいにした。
懲りない男だ。 
イスラム過激派ハマスがイスラエルにロケット弾を撃ち込み、203人を搜って人々が犇(ひし)めくガザの街中に逃げ込んだ。
イスラエルが報復すれば市民が死ぬ。
上海事変と同じ状況だ。 
そしたら身内のロケット弾がガザの病院を“誤爆”して471人が死んだ。 
イスラエルが撃ったと騒ぐのも上海事変と同じ。 
何でもいいからイスラエルが悪いと囃す新聞もあの時と同じだ。 
今も昔も人は信じたいモノしか見えない。


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