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ヒットラーやスターリンで苦しんだ世界が、なぜ4つの蛇頭を具えた怪獣の暴走と蹂躙に黙って手を拱いているのであろうか

2020-05-07に発信した章である。

以下は前章の続きである。
鄧小平の「先富論」を否定する 
中国が「眠れる大国」であることを止め、政治や軍事の面だけでなく、アキレス腱であった経済や産業の面でも第一線に躍り出て、他国から真の脅威として意識されるようになったのはそれほど遠い話ではない。
2008年のリーマン・ショックで先進国の金融秩序が大きく揺さぶられてから以後のことではなかったかと思う。
だから10年くらいしかまだ経っていない。 
しかしこの10年の世界政治は明けても暮れても“中国問題”に占領されてきた。
そしてその流れに終止符を打ったか、あるいは切り換えを迫られた、といってもいい出来事こそが、この疫病の現実である。
「新型コロナウイルス」とかいう中性的名称が世界保健機関(WHO)によって与えられ、“中国問題”であることから眼を逸らそうと目論まれてきた背景もここにある。
今まさに本論で問おうとしている当の問題に他ならない。 
名称は何であれ、ウイルスそのものはやがては終息するであろう。
けれども肝心なのは重症急性呼吸器症候群(サーズ)とか鳥インフルエンザとかと同じ病気の程度や行方の問題なのではない。
この10年、あるいは鄧小平の先富論より以後、修正を加えられたはずの中国共産党の実体が結局は何であり、世界は今後それと付き合って行けるのか否かを、いよいよ誤魔化さずに問い質さなければならない秋(とき)が来たのだ。
その真相を具体的に身に沁みて肝に銘じるよう強いられたのが、たまたま今度、疫病という形をまとって現れたまでである。 
現代中国を単体として見るのではなく、多面体として扱うことを私は次のように提唱した(本誌2010年12月号)。
いささかアニメ風なイメージであることをお許しいただきたい。
中国は4つの蛇頭を具えた大型怪獣であると私は書いた。
第一の蛇頭は「古代専制国家体制」の構造をそのまま引き摺っていることである。
人間を統治する者とされる者との二つに分類し、統治される者には人権も富も認めないのはこの国の政治文化である。
今でも農村戸籍の者には永遠に奴隷労働が許されるのみで、彼らは都市住民にはなれない。
共産党官僚は彼らの不運には何の関心もない。
現代中国人にも物質的意味での「自由」の拡大の経験はたしかに与えられたが、「平等」の拡大こそが同時に必要だという観点は完全にないがしろにされている。
そういう感覚、意識がないのである。
民主化運動にも関わっていた、進歩的な中国知識人某氏にこの点を問い質したら、「日本風な平等は中国社会にはなじまない。将来もあり得ない」と言ってのけた。
平等はむしろ有害だといわんばかりであった。 
欧米がリードし日本が後発した「近代化」は必ずしも絶対的基準ではないけれども、さりとて、あるていどの自由と平等のバランス、衆愚政治を前提とした上での多数決の原則は今の世界秩序の条件であり、他にこれに取って替わる名案もなく、世界はその非効率に耐えて辛うじて成り立っている。
それなのにひとり中国共産党のみが堂々とこの原則を無視して、能率の良さのみを誇って今日に及んでいる。 
各国が「自由」と「平等」の両方を実現する矛盾に苦しみ、悩みの中で近代の歴史を刻んできた。
ひとり中国のみがこの流れから飛び離れ、「平等」を黙殺する好き勝手な独断を走り出して約30年を経過した。 
鄧小平の「先富論」は、「平等」の達成を待っていたら中国はいつまで経っても先進国に追いつけない。
さし当りうまくやれる人、すでに強い立場を得ている者の「自由」を認め、国家全体の底上げをしよう、という現実的な判断に基くのが先富論だと言われていた。
国際社会もこれを理解し、自らもそこから利益が得られると踏んで容認したかに見えたが、じつはそもそもこれが大いなる誤解であった。
鄧小平が行おうとしていたのは「平等」の永遠の封じ込め、運の良い者の「独り占め」の容認だった。 
今までに現実に起こってきたことは共産党草創期の名だたる功労者の子孫による特権の「世襲化」である。彼の眼中に庶民、民衆は入っていない。
「早い者勝ち」を指示され、急げとばかりに尻を叩かれたのは党幹部の子弟たちであった。
国民の富の露骨なまでの分割と収奪が彼らの手によって実行された。 
中国の歴史はどの時代をとっても金太郎飴のように似ている。
中国史には古代と現代しかない。
清朝までは事実上古代である。 
古代と現代の間に近世や近代といった「平等」への足踏みを試みる中問の時代を経過する余裕がなく、すべての中間項をとばして、第二の蛇頭ともいうべき「現代共産主義独裁体制」を唱導した。
古代国家の特質を備えたまま人民支配の制度的装置を十重二十重に作り上げたわけだ。 
土地の私有が認められないのも第一第二の蛇頭を掲げる前近代社会の特質である。
ダムを造るといって農民を追い出し、広大なマンション群を建造しても誰も文句を言えない。
しばしば暴動になり、武力で弾圧された。
暴動の実数は年間20万件に及んだ。 
こうして中国は新たに三つ目の蛇頭として「金融資本主義的市場経済体制」を以上の体制に加えて、国際社会に自己主張をし始めた。 
先富論はゆっくり時間をかけこの国を近代化させるのに役立つと期待させていた時期もあった。
中産階級の成立と内需の拡大がそのためには必要である。
労働者の労働条件や生活レベルの向上を意図した法の制定も企てられはした。
法はたしかに一部あるていど準備されたようだ。
例えば炭坑労働者を危険から守る条文を整えた法も制定されている。
けれどもすべては絵に描いた餅だった。
なぜなら中国では立派な法はあっても誰もそれを守る気がないし、現に守られなかったからだ。 
基幹産業を握るのは国有企業であり、その国有企業を動かしているのは有力な共産党幹部である。
誰がどこで何をしているのかは一般民衆にはつかめない。
たまたま民間企業に輝かしい成功例が出ると、しばらく時を経て、暗闇の中で国有企業に接収される。
民間から出た地方の名だたる富豪がとつぜん拘束され、倒産するのである。
民衆は何か起ったのか狐につままれたようで分らない。
理不尽な没落、白昼夢のような一大財閥の消滅を遠くから眺めているだけである。
巨額が党幹部の大物の手によって海外に持ち逃げされているのかもしれないが、これもたしかなことは誰にも分らない。
今の中国の権力の中枢はどうなっているのか。
面白い権力闘争の絵巻物、古代宮廷劇のような物語り仕立ての説明はたくさん描かれているが、権力の中心の構造の納得いく説明はまだ誰の手によっても果たされていない。
権力は法以前の法(成文化されていない何か)で維持されているのだとは思うが、日本でいえば反社会集団(ヤクザ)の暗黙の掟のようになものと比較さるべきものなのかもしれない。 
巨大な人口と空間を擁している以外には漠として掴み所のない国家であるがゆえに、私は矛盾した「蛇頭」を抱えた多面性に着目しているのだが、第二の蛇頭「現代共産主義独裁体制」と第三の蛇頭「金融資本主義的市場経済体制」の両立を無理に維持しようとしている矛盾撞着が今限界にさしかかり、破裂しかかっているのではないかと考えている。 
中国は国民のうち2億人が先進国並の生活レベルに達したと言い出して久しい。
これを4億人に仕立てて、アメリカをも凌ぐ経済大国になると豪語している。
もちろん残りの9億人は奴隷のままにしておく政策だ。
習近平が主席になって以来、4つ目の蛇頭というべき「全体主義的ファシズム体制」の特徴が色濃く出始めた。 
呑気で甘い国際社会も、アメリカを筆頭に、ようやく事態の深刻さに気がつきだした。
二度のペンス副大統領の演説がそれを物語る。
しかし、具体的に何の手も打てないでいるうちに、そこへ新型ウイルスの嵐が襲ってきた。
震源地はまたしても中国である。
そもそもこのような国が無条件に好き勝手を続けるのを放って置いてよいのか、あらためで強い疑問が噴き出した。
ウイルスが収まったら次に世界中で論争の渦を巻き起こすのは中国への懲罰と現代文明の「脱中国」への意志の表明である。 
必ずそうなるに違いない。
新型ウイルスの襲来より以前に現代中国は疑問符の俎上に載せられていたからだ。
米中貿易摩擦はその原因ではなく、疑問符の結果であり、現われの一つにすぎない。
ヒットラーやスターリンで苦しんだ世界がなぜ4つの蛇頭を具えた怪獣の暴走と蹂躙に黙って手を拱いているのであろうか、とやっと問われ出したのである。

この稿続く。

 

 

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