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人の好い日本人は分かってくれたかと喜び、結果的にはフィリピン辺りの戦時賠償と同額の5億ドルを出し、さらに半島に日本がもつ760億ドルの政府、および民間資産放棄も呑んだ。  

人の好い日本人は分かってくれたかと喜び、結果的にはフィリピン辺りの戦時賠償と同額の5億ドルを出し、さらに半島に日本がもつ760億ドルの政府、および民間資産放棄も呑んだ。   
2019年04月22日
2015/10/26に発信した章である。
以下は、本物の硬骨漢であり、戦後日本で、一番まともな新聞記者であると言っても過言ではない高山正之の「高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る」テーミス、1000円、からである。
p186~p191
韓国・朴槿恵大統領へ「正しい歴史」を教えよう 
父・朴正煕の歩んだ道を見れば侵略や奴隷的支配など全くない 
朴正煕の歩んだ道を思い出せ 
朴正熈の娘、槿恵がオバマを訪ね「アジアの平和のためには日本が正しい歴史認識を持たねばならない」といった。 
「正しい歴史」とは何か。
彼女にいわせると日本は残忍な侵略国家で、朝鮮を植民地にし、民を奴隷化し資源と文化と名前まで奪ったということらしい。 
あの国に文化と呼べるものがあったとは初耳だが、それはここでは措く。
彼女は恐らく彼女自身、自分の主張する「歴史」のどの一つも正しいとは思っていないはずだ。 
「何ぬかす。私は正しい」と彼女がまだ言い張り続けるなら、自分の父、朴正熙の歩んだ道を思い出させるがいい。
彼は1917年、慶尚北道亀雄の貧しい家に生まれた。
せいぜい常人(小作人)どまりの人生だった。
常人は両班にこき使われ、彼らの気に障れば「縛った足の間に棒を入れて抉られて骨を折られ、不具にされた」(朴泰赫『醜い韓国人』)かもしれない。  
それが日韓併合で、こんな田舎にも学校ができて、彼は首席で卒業した。
奇跡は続く。 
日本人教師が彼の才を惜しんで学費免除で大邱師範にいれてくれた。
彼は小学校の教員になれた。
身分からいえば大出世だが、彼は「両班より偉い日本の軍人になる」夢があった。
ただ朝鮮には軍隊がなかった。 
朴槿恵は「日本は朝鮮を植民地にした」「搾取した」といった。 
欧米の植民地は彼女のいう通りのことをした。
仏印政府は最良のホングイ炭をベトナム人に掘らせ、ただ持って行った。
英国はビルマのエナンジョンの石油とモコックのルビーをただ取り上げた。
米国はフィリピン人を銅山でこき使った。
「高木正雄」と名を変えた軍人 
欧米の植民地には現地民の軍隊もあった。
彼らの務めは白人さまの盾となって戦うことだった。
それでインド兵10万人が中東で死んだ。
フィリピン兵は上陸した日本軍の正面に立たされ、マッカーサーを庇って死んだ。
支那兵は米国人の手兵として日本軍と戦った。
そういう植民地の軍隊が朝鮮にはなかった。
日本人には他国民を自分の盾にしたり、代わりに戦わせたりする発想はなかったからだ。  
だから朴正熈が「偉い軍人」になるには難関の陸士か、満州国軍官学校に入るしか手はなかったが、思い立ったときは既に入学年齢を超えていた。  
彼は満州国軍官学校宛てに「盡忠報国城私奉公」の血書を送った。
日本人を騙す壺を彼は心得ていた。
血書に感激して軍官学校入校を許し、さらに陸士にも編入させてくれた。 
日本人はちょろかった。
彼は高本正雄と名を変え、偉い軍人への1歩を踏み出した。  
しかし日本が敗勢になると、彼はさっさと共産党に入った。
既成の権力構造を否定する共産党の天下になれば、彼は両班より偉くなれる。  
戦後、それがばれるが、すぐ転んで米軍に取り入り、逆にその地歩を固めた。  
1961年のクーデターで権力を握ると、昔取った杵柄、日本を誑(たら)し込む。  
韓国はそれまで「日本は侵略国家」で、それを「上海に置いた亡命政権が打ち倒した」ことにしていた。  
だから韓国は戦勝国で「戦時賠償60億ドルをよこせ」と主張してきた。               
半島縦断の鉄道を造ったのに
韓国が見え透いた墟を強気に捲し立てたのは、日本を邪悪な国にしたい米国が後ろ盾についていたからだ。
「朝鮮人は奴隷支配から解放された」とマッカーサーも肩をもって在日をけしかけ、朝鮮人が駅頭で日本人を殴り殺す直江津事件もこのときに起きた。  
日本はこの「戦時賠償」の文言に怒った。
いわゆる日帝支配36年間、日本は国庫の2割強を毎年、朝鮮の教育やインフラにつぎ込んだ。
朝鮮人は車輪が作れなかった。
荷車も牛車もなかった。
日本がそんな国に来て最初の10年で半島縦断の京義線を造った。
朴正熙が満州国軍官学校に行くときには、釜山から新京まで直通の大陸連絡急行「ひかり」や「のぞみ」が走っていた。  
戦争もしなかった、寧ろ庇護してやった連中が侵略だの賠償だの。
この無礼に鈴木茂三郎の社会党までむくれて賠償交渉10年決裂したままだった。  
朴正熙はそこに付け込んだ。
「よろしい。賠償の2文字を消しましょう」  
人の好い日本人は分かってくれたかと喜び、結果的にはフィリピン辺りの戦時賠償と同額の5億ドルを出し、さらに半島に日本がもつ760億ドルの政府、および民間資産放棄も呑んだ。   
まだある。
在日による全国の駅前一等地の不法占拠、そして神戸市長田区役所を占拠して日本政府に認めさせた「在日の生活保護支給」など、犯罪行為で得た違法利権も事後追認させられた。 
駅前一等地はいずれも朝鮮人経営のパチンコ屋になり、その上がり23兆円の一部は朴正熙のもとに届けられた。 
日本の在韓資産、日本からの5億ドル援助、そしてパチンコの上がりの3点セットの上で彼は「漢江の奇跡」を生んだ。 
朴正熙の足跡からは、侵略や奴隷的支配など、どこにもうかがえない。
むしろ朝鮮が寄生虫のように日本にたかっていた姿しか見えない。
「反日教育」はカネになると…  
朴正熙の狡さも浮かぶ。
彼は「賠償」という言葉を取り下げたものの[朝鮮の奴隷支配]については棚上げした。 
米国がいい出したこのフレーズは、いつまでも韓国に富をもたらす魔法の言葉だと日本人を知る彼は直感していた。
そして彼はその言葉を補強するために徹底した反日教育を始めた。           
反日はカネになる。
のちに支那の江沢民が80年代から始めた手法は「実は日本を知悉した朴正熙が生み出した」(呉善花拓大教授)ものだった。  
父の足跡を見たとき、朴槿恵はイエスに事実を突きつけられたユダと同じに恥じて頬を赤らめるところだろう。  
でも彼女を見ると、しっかり父の道をなぞっているようにしか見えない。
所詮、朝鮮の人ということか。                
(2013年7月号)

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