奥多摩八十八ヶ所札所第47番から


お願い🙏奥多摩札所、盛り上げたい!

※新四国奥多摩八十八ヶ所全体は此方↓

今後、つぎの世代に続く、お遍路さん道守ってあげたい。


第45番札所、天覧山。追記。桜沢孝平さまご著書によると、

天覧山(羅漢山)この“天覧山”は、明治16年4月18日明治天皇様が陸軍特別大演習にのぞまれ、この羅漢山を、御野田立所に指定されて近衛師団将校統監されたこと記念で“天覧山”となった。

昭和50年迄は此処に石仏置かれていた。この石仏の佛さま弘法大師さまとお不動様が、ほのかに哀しく見受けられる写真。

能仁寺さまは社団法人シャンティー国際ボランティア会の協力寺院だそうでこういう団体は、昭和8年に出来た新四国奥多摩八十八ヶ所などのローカルお遍路さんは、見向きもしないかも知れない。鎌倉殿のお寺さんを江戸時代、徳川家が保護されて今に至っている。此処に石仏置かれてくださいと言っていった、昭和のお遍路さん団体様に熱意を感じてしまふ。

詳しくは、社団法人シャンティー国際ボランティア会の協力寺

能仁寺さまヘお問い合わせ、お願い致します。

今は無い、石仏さま。

むか~し昭和50年代は、此処にあったとされる。
桜沢孝平さまご著書

天覧山の崖に(羅漢さまが在るあたり)石仏あった模様。
石仏さま無くても本堂の手前のお不動さまのお堂に挨拶してね。
天覧山のお不動さまで多分柴灯護摩か内護摩炊いていたと想ふ。

第46番札所、真言宗法栄山 東光寺様 
薬師如来 さま祀っている(入間市小谷田1437 )。
ほかの札所武蔵野観音19番
狭山茶処。2回目行くと🌹薔薇🌹綺麗

『風土記稿』では、「新義真言宗、多磨郡大久野町(現日の出町)西福寺末、清栄山遍照院と号す。開山印融永正六年八月十五日示寂す。開基滝沢、増田、吉田、桑田の四人にて、今も四家共に村内に連綿せり、本尊不動を安ず(中略)」と記述されている。印融和尚は高野山無量院主で晩年関東にきて、各地寺院建立しているので弟子を当寺住職にしたと〜(中略)。

境内墓地から永和時代(1375〜1378年)板碑出土。文明、寛正ころ板碑。 付近、武蔵国分寺瓦製造したという竪窯あと史跡。 甲斐武田氏旧臣、以後、徳川氏仕えた、五味氏代々菩提寺。 寺紋は、五味氏。梵鐘(県指定重宝)。五味家三代豊旨の時にこの家臣が、五味家三代豊旨さまの偉徳しのんで菩提弔うために延宝甲寅二年(1674)に寄進された。銘文が裏に刻まれている。東光寺現職幡谷秀澄師当山二十九世法灯を継いでいる。 桜沢孝平著(昭和53年7月1日刊行)『新四国奥多摩霊場八十八ヶ所札所』武蔵野郷土史刊行 。

手入れされた本堂のばら🌹

第47番札所、真言宗の稲荷山寳玉院さま石仏さま阿弥陀如来様(所沢市三ヶ島3-1167)猫の足あとによると真言宗豊山派。

二回目行って奥多摩八十八ヶ所札所巡り完成される。
御朱印帳2冊目、少し頭良くなる。

青梅市の桜の綺麗な安楽寺(成木山愛染院)の末寺とある。現在、安楽寺は単立寺院だけど、やはり昔は真言宗豊山派だったと想われる。稲荷山寳玉院さまは“新義真言宗”とある。もともと修験道で江戸時代、徳川時代に真言宗豊山派になったと想われる。

初回は、この住職に会って押印してもらい、二回目は奥さまに押印して戴いた。
最初住職っぽくない格好で庫裏に入って行ったんで、
申し訳なそうに聴いたら、奥多摩八十八ヶ所札所の御朱印だしてくださった。
二回目はあらかじめお電話して行きました。

今は、昨今、令和に亡くなった御住職の奥さまが御朱印管理されていた。初回は、ちょうど自動車で御住職様が来て、御住職様に押印して戴いたが、二度目行くと、奥様だった。その奥さまは、長い平家物語を暗唱されて要らした方で、去年末、出版された本の取材受けていらっしゃる。コンサートみたいに、ライブ活動されている。

第48番札所、三ツ井戸大師 十一面観音 さま(西所沢1-26)
御朱印は、所沢市上新井1-25-5にある、普門院さまお願い致します。普門院さまは、第47番札所、真言宗の稲荷山寳玉院さま
とご親戚、親子寺と想えた。

公衆浴場・銭湯が良い!井戸水銭湯は温泉?!「弘法の湯」

川沿いに銭湯あり。
裏に石仏さま「台座」も『保存』されていた。


西友のスーパー横買わ沿いにあり、奥多摩八十八ヶ所札所は地域神様。

武田彌兵衛さまは、この地域では、「弘法さま」産まれ代わりの様に、扱われていらっしゃる!感じ。
嗚呼、この川沿いのお風呂屋さん、いまはない。埼玉県所沢市金山町15-19ここあった井戸水銭湯良い水だったのに。

第49番札所、真言宗愛宕山即清寺 (青梅市柚木町1-4-1)他の札所は関東霊場71札所,多摩八十八ヶ所51札所。
(奥多摩八十八ヶ所札所古里駅の長福寺様のお坊さんも兼)
令和6年現在、長福寺住職/即清寺副住職増澤正見師さま
裏山に、奥多摩八十八ヶ所霊場の別番札所もある。
そこ裏山は佛さまだけ、二体対に成っていない。
又は、何処かに行ってしまったのかも知れない。
裏山には、即清寺独自の山内八十八ヶ所札所霊場になっていて、
ハイキングコースみたいに成っていて、佛さまが散らばっていて、どれがどれか、わからない状態??
山内の八十八ヶ所霊場というと、高尾山・高幡不動・武蔵御嶽山方にもあり、細かい地蔵尊状態で顔も取れていたり、痛々しい仏さまが沢山ある地域日ノ出町に多い。多分奥多摩古道は、此処から、日の出町経由して日之出山、武蔵御嶽神社の御岳山経由して居ると想える。
5月でも雪あった年。

裏山に奥多摩八十八ヶ所札所のミニチェアみたいな札所巡りあり。

奥の院へも参拝して行こう。

何故か、佛さまペアーじゃ無く、弘法さま石仏のみ。
むか~しは、ペアーだったかも知れない。

桜沢孝平著によると『風土記稿』の記載あって、愛宕山明王院。
愛宕神社の別当寺院。
京の仁和寺末山で、貴族のお寺さんのような感じ。今は真言宗豊山派。もとは新義真言宗なので、修験者のお寺さん。
吉野街道繋がりで、花蔵院さまと深い関係。
花蔵院さまって、真言宗豊山派のパンフレット編集者だけじゃあない。此処の住職さんの先生だった。

新四国奥多摩霊場八十八ヶ所札所桜沢孝平著
奥之院行きませふ。即清寺山内八十八ヶ所の中心部分に。

第50番札所、真言宗北田山 寳泉寺 (所沢市北岩岡130)さま


奥多摩八十八ヶ所の佛さまは、移転されてきたようで、
大きいお堂の中(法要する集会場所になる場所)に祀られている。

桜沢孝平著によると、第50番札所は、根本山(根本は「ネモト」と読む)
入間市黒須7ー5 此処じゃ無かった???
入間市駅前の16号沿いの場所にあったらしい。
過激な都市計画が入間市にあったらしい。昭和の高度成長期。
もともと天台宗の三井寺派祈願所で、対岸の狭山市の笹井という笹井観音さまから分派してきたお寺さんだった。

新四国霊場奥多摩八十八札所、桜沢孝平著

昭和50年代までは入間市駅前だったとは。
武田彌兵衛さまの時は、所沢市では無かった。入間市だった。
『いるま歴史ガイド』という入間市の博物館のホームページ有。https://www.alit.city.iruma.saitama.jp/irumashiseiyoukan/nemotosan_etc/

霞川のほとりにあり「根本山」の名で親しまれていたお寺。昭和57年に廃寺。冬至の星祭の写真が残っていた。星祭には石川組製糸の女工たちも参詣したそうな。
所在地:入間市河原町6-12辺り、入間市駅から徒歩6分。

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