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岩崎弥太郎 長崎日記1(安政七年一月)

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岩崎弥太郎の長崎時代の日記(「瓊浦日録」)を頭から読めるようにマガジンにします。その初めは安政七年(1860年)一月分です。
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2023年9月の記事一覧

弥太郎、学課の計画を立て自らを戒める

一月二日 早起きすると小雨。たらいの水で顔をすすぐ。着衣を整え、襟を正して、両親を遙拝し…

伊井直行
11か月前
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土佐から来た人と手紙

一月四日 夜明け前に起床し、灯りをつける。天気は快晴、寒風が身にしみて声も出ない。朝食後…

伊井直行
10か月前

弥太郎、新年気分が晴れる

一月五日 晴れ。朝、古文典型を読む。中沢寅太郎が来た。下許君は、久松氏へ先日来お願いして…

伊井直行
10か月前
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弥太郎、長崎の町を歩き回る

一月六日 朝食後、岩崎弥太郎は下許武兵衛と外出したものの、目的の久松善兵衛と二宮如山(敬…

伊井直行
10か月前
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弥太郎、酔って暴れ、叱られる

一月十一日 午後、二宮如山宅を訪ねます。「蘭人シイボルト」に、西洋式の火薬工場を作るため…

伊井直行
10か月前

ショートスリーパー、岩崎弥太郎

一月七日~十日 岩崎弥太郎は、今井純正をめぐる問題を究明するため下許武兵衛や中沢寅太郎と…

伊井直行
10か月前

弥太郎ら、「コップの中の嵐」に苦しむ

一月十二日 朝食後、問題の今井純正が弥太郎ら三人組のところに来て、こう主張しました――土佐藩の交易の件で、自分が邪魔をしていると他藩の者(恐らく竹内静渓を指す)が讒言したため、今井を「ヒッククリ国元へツレかえ」ろうなどと沙汰されていると耳にしたが、自分は邪魔をしていない、と。三人組は、誰がそんなことを言ったのか、と反問して両者は噛み合みあわず、話し合いは決裂します。  ここで、今井の一件についてまとめておきます。今井は大坂に出て漢方医学を学んだ後、西洋医学を学ぶため弥太郎ら

出納係弥太郎の不安と不眠

一月十三日 「早起、晴。淡雪が山に残っているが、すこぶる穏やかで温かく感じる」と始まるこ…

伊井直行
10か月前
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