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ショートスリーパー、岩崎弥太郎

一月七日~十日 岩崎弥太郎は、今井純正をめぐる問題を究明するため下許武兵衛や中沢寅太郎と共に奔走します。が、開港したばかりの長崎には怪しい人物が跋扈ばっこしており、本題である有力商人久松善兵衛との商談になかなか至りません。弥太郎らは、今井が、土佐藩と久松との関係を妨害しているのではないかと疑い始めています。

 一方、この件で弥太郎らが信頼し相談している竹内静渓なる人物もまた、有力な長崎商人の間でうごめく怪しい一人のようでもあります。弥太郎は、こうした錯綜する関係を詳細に記録しています。しかし、ここでは、ややこしい長崎ミステリーにあまり深入りしたくありません。それより、弥太郎の興味深い行動を、日記から拾い出していきましょう。

七日 朝飯の前に六兵衛と囲碁をした。飯の後、下許君と久松氏を訪れたが不遇会えず。帰途、余はてい宇十郎を訪ね、清の俗語(口語)の講習を依頼した。

 弥太郎と六兵衛は囲碁に夢中のようです。また、弥太郎は土佐や江戸では学ぶことができなかった口語中国語を学ぼうとしています。午後には清語通訳の呉氏を訪ねたかったのですが、途中で中沢と出会ったため共に宿に帰り、散歩して一杯ひっかけようと相談がまとまります。

下許君を誘って浴場に行った後、丸山の鰻屋に行ったものの鰻がなく、別の酒楼に行って酒を汲んで随分愉快になる。当夜は中沢のおごりで、これに報いるため、明日豚肉を食べさせる店(猪肉店)に行く約束をした。

 出島や中国人街のあった長崎では、豚肉など肉食が珍しくなかったようです。弥太郎は帰宿後、灯火の下で中原宇一郎に句読を教えた後に就寝。しかし、鶏が鳴く前に(目を覚まして)明かりを灯し読書。勉強にも熱心です。

八日  曇り空からわずかに雪が降ったこの日、久松氏を訪れるも空振り。小曾根六郎宅に行き、噂通り今井純正が小曾根から十両を借りていると聞かされ、その事情を知って下許と共に「呆れた」と記します。宿に戻って中沢も含めて合議の後、三人で外出し昨晩の約束を果たすことにします。

相伴って本大工町の豚肉店に至ったが、あまりに下品なので入らず。市内の細道を徘徊し、新橋町のとある酒店に入った。宴もたけなわ、互いに箸陣(箸拳)を戦わせた。

 酔って愉快になり、帰宿後も、下許と一緒に宿の「老婢」と夜遅くまで談笑しました。

九日 弥太郎は、成功する人間によくあるショートスリーパーだったようです。早起きした朝の情景を記した文章を、あえて訳さずに下に記します。漢詩の形式を取らなくても詩的な余韻が漂っています。弥太郎は、事業で成功する人間には滅多にいない本当の詩人でした。

暁起、白雪満地、万瓦失影、昨夜之寒可知也

 土佐藩と久松氏との商談に、今井純正が勝手にかかわっている件は、弥太郎らが関係者に話を聞く度に新しい情報が出て来て複雑化し、読む側は難儀します。当日の弥太郎の日記は長大ですが、最後の部分のみ訳します。用事であちこち動き回ったその日は九日で、勉強すべき奇数日でした。

深夜になって(竹内静渓の宅を)辞去し帰った。布団をかぶって臥せるが、寒さが甚だしい。中沢寅太郎が来て以来、ぐずぐずしてばかりの毎日だ。余は怠惰なり。

十日 この日も、調査が続きます。ようやく大根屋に戻って、家へ送る手紙を書いたら、真夜中になっていました。日記の最後に、昨年十二月に弥太郎が貸した金を、今井純正が払いに来た、と記されています。翌十一日、弥太郎はそこから払い過ぎの分を今井に返します。律儀と言えば律儀。二人の関係は、日記が始まる前から何か問題をはらんでいたようです。


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