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随筆: 無所属 その自由と小さな悲哀


1.   無所属であること

   研究会や学会などに出席して、発表や講演の後で会場の参加者が質問をしようとすると、「始めに所属と名前を言ってください」と司会者に言われる。その時、多くの人は、「私は〇〇の」と自分が所属する組織名を言った後で、「~です」と名前を付け加えるように答える。

   しかし、多くの場合出席者は一個人として参加し、自分が所属する組織の代表として参加している訳ではない。私の場合は「定年退職者で、無所属です」と言ってから名前を名乗るしかない。普段は組織のしがらみがなく、自由であることを有難く思っている。しかし、こんな時、ふと場違いな所に来たのだろうかと不安になり、質問をしたいことがあっても、なんだか質問をしにくい雰囲気を感じてしまう。

2.   組織にアイデンティティを求める

  「自分とは何者か」と自己を規定する意味で、アイデンティティ(自己同一性)という言葉が使われる。「私は〇〇会社の〇〇です。」と自己紹介するのが一般的である。仕事上で述べる時は当然であるにしても、個人的な付き合いにも拘わらずこれを使う人は、まさに自分のアイデンティティは自分が所属する組織に全面的に基づいていることになる。

   ところが、私も現役時代は、ほとんどこのことに疑問を感じることなく、司会者の指示に従い自己紹介の時に組織の名前を使っていた。その時には、今の私のような無所属の人の存在は考えることをしなかった。今頃になって、気が付くとは恥ずかしい限りである。

   言うまでもなく、「組織にいつまでも所属することが出来る訳でもないのに、組織での地位をひけらかすように言う人は、自分という存在と自分の存在価値を、組織に所属していること以外は考えることができないのだろうか」と、私は思ってしまう。組織でどんなに高い地位にいようが、家に帰ればごく普通の父親・母親、あるいは独身者に過ぎない。また、地域社会の中で自分の組織での地位を自慢げに言うと、それを聞く方はあまり気持ち良く思わないだろう。

今頃になって、自分のアイデンティティを組織に依存していたものだと、つくづく思う。

3.   一個人として参加しやすいこと

  定年退職をしている私の僻みかもしれないが、無名の個人は所属する組織の名前を名乗らないと、質問できないように感じさせる研究会や学会には疑問を感じる。私たちは、いつかは組織を離れた一個人になる。自分が所属する組織を名乗る必要が無い、一個人として参加しやすい研究会や学会であってほしいと思う。

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