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ベラよ急げ


俺が住んでるワンルームマンションは、築年数が極めて古く最寄駅から徒歩20分とすこぶる不便を強いられるが故に共益費込みで家賃2万円と格安だ。しかし格安の理由はそれだけではなかった。俺の部屋はいわゆる事故物件と称されるいわくつきなのである。

近隣の噂によると、およそ15年程前にこの部屋に住んでいたベラと名乗るドイツ人の女が、不倫関係にあった既婚の日本人の男とこの部屋で逢瀬を繰り返していた。しかしある時、男の嫁が怒鳴り込んで来て壮絶な修羅場になった挙句、ベラと男は怒り狂った嫁に全身を複数個所刺され悲惨な死を遂げたのであった。

俺は上記の件を承知の上でこの部屋を借りている。俺は霊感と称されるような感覚は持ち合わせていない。故に幽霊とかお化けとか称される物を見た事も聞いた事も感じた事もないので、全くもって平気の平左であった。                友人・知人は大層気持ち悪がって、この部屋に訪問するのを露骨に嫌がっており、よく住んでいられるなぁと怪訝な顔をするのであった。                    俺に言わせれば、格安の家賃がすこぶる魅力であった。俺は低賃金の日雇い労働者故に経済的余裕が無いので、如何なる理由があろうと一向に構わないのだ。

ところが最近、俺は毎晩奇妙な夢にうなされて慢性的な睡眠不足に悩まされるようになっていた。                                        見知らぬ30代位の男と、見知らぬ20代位の大柄な西洋人の女が毎晩のように現れて、男が西洋人の女に何やら命じているのだ。西洋人の女は男に言われるがままに何処へと走り去り、男はその姿を見届けると腹を抱えて大声で笑うのである。やがて笑い過ぎた男は失神するのだが、いつも失神して意識を失うところで目が覚める。目覚めた時の俺はいつも、全身に脂汗をかいて諤々ブルブル震えている。                             これが毎晩続き、酷い時は一晩で3回同じ夢を見る事もあるので、いずれ精神が崩壊するのではとの懸念が頭をよぎった。

推察するに夢に出てくる男女は例のドイツ人の女と不倫相手の男で、奴らは俺に何かを訴えたいのでは?と思われる。                               俺は今までの経験上心霊現象などにわかに信じたくはないが、これだけ毎晩出てこられたら無視出来なくなってきたのだ。                            友人に相談すると、一刻も早く退去しろ若しくは除霊して貰えと真顔で忠告を受けた。

そんなある晩、ついに奴らが俺に直接的な危害を加えてきた。いつもの如く夢に出てきた奴らは唐突に、                                   「生田キミコを殺してくれ。頼む。勿論報酬はたっぷり弾むから。」                と俺に殺人を依頼してきた。無論、俺は犯罪者になりたくないので、丁重にお断りした。第一、生田キミコとは何者だ?そんな見ず知らずの他人の命を奪えるわけないだろう、バカも休み休み言え。と反論したならば奴らは逆上し、俺を羽交い絞めにして殴る蹴るの暴行を加えてきた。                    もがき苦しんでいる内に目が覚めたが、俺は猛烈な吐き気に襲われてトイレに駆け込んで嘔吐した。これが4日連続で続き、俺はついに観念して奴らの要求を承諾する事とした。

奴らに憑依された俺は、操られるままに目的の某市内を徘徊していた。               とある商業ビルの屋上に赴くと一人の中年女が喫煙しながら佇んでいた。「奴が生田キミコだ。奴は俺とベラを殺したキチガイだ。必ず闇に葬ってやる。さあ、ベラよ、急げ!やれ!」                                命ぜられるままに俺の身体は勝手に動き出して、奇声を発しながら生田キミコに突進していた。                                           しかしキミコは、何食わぬ表情で振り向き様にヒョイと身体をかわしたので、俺は勢い余ってそのまま手摺を乗り越えて地上10階建てのビルの屋上から真っ逆さまに落下し絶命した。

今にして思えば、あの中年女が本当に生田キミコかどうかは定かでない。 俺は全身を複雑骨折、及び頭骸骨破損により脳髄が周囲に飛び散るといったかなり派手な死に様を世間に晒す事となった。                            生田キミコ?の目撃証言により、精神異常者の飛び降り自殺という事で本件は片付いた。

諸君、格安の賃貸物件は要注意だ。悪い事は言わぬから入居はやめときたまえ。では、失敬。                                                             


 fin                                            


 


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