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同和問題に熱心な学校で私をいじめていたのは被差別部落出身の子ども達でした〜敬語・敬称禁止!?〜

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このシリーズを読み進める前に

を見ていただけますと幸いです。
私がこの記事を書く理由などを細かく記してあります。

※部落差別問題を軽視または差別の助長を促す意図はありません※
ただし文中の中で「差別的」だと感じる表現が出てくるかもしれませんので閲覧は自己責任でお願い致します。

敬語・敬称を使うと「仲良くなる気がない」

もう何十年も前のことなので今は違うのかもしれませんが私がずっと不思議に思っている謎ルール?です。
割と部落地域では一般的(だった?)みたいな話も聞きました。

まずクラスメイト同士は敬語絶対禁止。
これはまだ同級生だし、分かるような気もするのですが(でも初対面の人や仲良くない人相手の場合、とりあえず敬語で話すのが普通と思っていた私には衝撃でした)先生に対しても敬語は使わない・「先生」と呼ばないという方にすごく戸惑いました。
例えばC田C郎先生がいたとします。
私は「C田先生」以外の呼び方なんて考えたこともありません。
A小の子ども達は「C郎!」と呼びました。
他にも「Cっち」とか「Cちゃん」とか……あだ名をつけていた子もいたし、先生も普通に応じていました。
そのルールに反するといじめの対象になってしまうのでA小の子はもちろんB小の子ども達も徐々に従うようになります。
だんだん「私がおかしいの…?」という感覚になっていきました。
けど進学先の高校で普通に周りが先生を「先生」と呼び、敬語で話しているのを見て「謎ルールに染まりきらなくてよかった…」と心底思ったのを覚えています。
A小の子ども達というか地域自体が「全員仲間」という感覚を共有するためか、そういう方針だったのでA小の子ども達にも罪はないです。
大人達がそう教育したから子ども達は疑問に思わず「誰にでもフレンドリー」に接していただけ。
私もクラスのいじめられっ子でしたがあだ名で呼ばれていました。
それ自体は特に変なあだ名でもなく、名前をもじったもので……「仲良しという形」にはすごくこだわるんだなと感じました。

でも意を唱える人には容赦なく

「こっちが歩み寄ってやってるのに」
「部落だからって馬鹿にしてる?」
「部落民とは仲良くできないみたいでーす」

などなどこの件でもとにかく大騒ぎしていた記憶があります。
「部落」という単語を出された瞬間、何もできなくなってしまう周囲にも問題はありました。
私を含め「また部落を武器にするのか」「面倒だな」と真っすぐ向き合おうとしなかった人が大多数だったのだから。
でも話し合う気力さえも奪っていたA小側や地域全体、学校のやり方にも問題があったと考えています。

敬語・敬称禁止ルールは保護者間でも…

あったようです。
懇談や保護者会でも敬語禁止。
B小の保護者はかろうじて「先生」呼びを貫いていたようですがものすごく反感を買ったと。
当然先生達側から保護者への敬語も禁止で「おかあちゃん、おとうちゃん」呼び固定。
例えば先生が「ななしさんのお母さん」というのも気取っている言い方で「ななしのかあちゃん!」と呼ぶのが正しいのです、A小関係者の中では。
それでも敬語・敬称を貫こうものなら「あそこは一家で仲良くなる気がない」と認定され、挨拶の拒否に始まり役員会への参加拒否などの無視に発展。
いつまでもA小ルールに慣れなかった私達家族は必要な連絡を回してもらえなかったりもしました。
かと言って父や母に「A小ルールに従ってよ」とは言えませんでした。
だって私自身も全く納得していなかったのですから。

先輩にだけは敬語を使わなくてはならない

先ほどとは思いきり矛盾するのですが部活などの先輩には敬語を使わなければなりませんでした。
呼び方も「〇〇(苗字)先輩」一択。
そして姿を見かける度に直角のお辞儀をし、大きな声で挨拶をしなければならないというルールもセット。
学校自体が「部活に力を入れている」と大っぴらに宣言していたので入学後は必ず何かしらの部活に所属する決まりでした。
なので私もイヤイヤながらも部活に籍を置いていました。
ある日、着替えをしていると先輩数人に囲まれました。
そして「挨拶しなかったでしょう」とすごまれ……。
私は先輩達の姿は見た記憶がないので「???」という顔をしていると
「移動教室の時!こっちは上から見てたんだけど!?」
いや、さすがに上にいた先輩の気配を察知する特殊能力はありませんって…という話なのですが言い返しても無駄なので「以後気を付けます。申し訳ありません」と謝罪しました。
そこで終了かと思いきや何故か先輩の1人が「やる気とか尊敬の気持ちが感じられない」と泣き出したのをきっかけにどんどん伝染。
私が先輩をいじめたような図になったところに他生徒が呼んだ先生登場。
私が注意されて1人ひとりに改めて頭を下げました。
「こんなことばっかりしてるから弱小なんだよ…」と心の中で毒づいたのがせめてもの仕返し。
しかし一度部活に所属した実績があれば辞めるのは自由、その後は部活をやる・やらないは個人が決めていいというこれまた謎ルールが存在したので2年になると同時に私は帰宅部になりました。
一応運動部だったのですがまともな練習をした記憶がありませんし、学校挙げて部活に取り組んでいるはずなのにどの部活も万年最下位に近い成績しか残せていませんでした。
ミーティングという名の話し合いはやたら多かったです。

ルールの押し付けは良くなかった

A小の子ども達およびにその保護者やもっと幅を広げてその地域の中では敬語・敬称禁止は当たり前のルールだったのかもしれません。
でも世間は目上の人には敬語です。
上司にあだ名をつけたり、呼び捨てにしたりなんてしません。
A小出身の子ども達も社会に出たらそのルールに従って生きていったのでしょう(地元に残る子も多かったのでそのままだった可能性もありますが)
ただ学校という狭い組織の中で一方的なルールを作り、それを納得していない人にも強制したという部分が良くなかったのではと思っています。
部落という過酷な環境下で様々な権利を勝ち取ってきた実績のある人達とその子ども・孫なのだからもっと建設的なやり方があっても良かったなって。
今はこの謎ルールで戸惑う人がいない、もしくは減ってきていると信じたいです。






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