同和問題に熱心な学校で私をいじめていたのは被差別部落出身の子ども達でした〜はじめに〜
先日予告を出した内容を書いていきたいと思います。
1記事にまとめる力量がなかったので続きものにします。
はじめに
私がこの記事を書こうと思ったきっかけや考えを記します。
ご一読くだされば幸いです。
同和問題に熱心な学校で私をいじめていたのは被差別部落出身の子ども達でした
という題名の記事内容は(個人の特定ができないぼかしなどは入れていますが)全て私の実体験になります。
※部落差別問題を軽視または差別の助長を促す意図はありません※
ただし文中の中で「差別的」だと感じる表現が出てくるかもしれませんので閲覧は自己責任でお願い致します。
私が出会った人が平気で酷いことをできる感性の持ち主だったと言うだけで部落地域にお住まいの方、部落地域出身の方全員がそうだと言うつもりもありません。
にも関わらず題名にまで明記する理由は
・「俺(私)部落出身だから。いじめのこと他に話したらどうなるか分かってるよな?」と脅された
・いじめをしていた事実があるにもかかわらず先生や周りの大人が動こうとすれば「はい、部落差別!」と騒ぎ立てた
・いじめという軽い表現で済ませられない犯罪行為があった
この3つが主な理由になります。
部落の方々が受けた仕打ちはあまりにも非人道的で、加害者側は到底許されないと思っています。
ただ辛かった・悲しかったからと言って他人をいじめていい理由にはならないとも思っています。
悪しき歴史を繰り返さないため、同和教育はとても大切です。
けれどその教育の被害者になった人間がいた事も知っていただければ幸いです。
マイノリティー・マジョリティーという括りは個人的に好きではありませんが、以下ではあえて使います。
昨今
マイノリティーの方を無条件で受け入れないと悪
のような風潮があると感じているからです。
私は世間的にマジョリティー側の人間で、マイノリティー側の方々からすれば無理解・不勉強なのかもしれません。
しかし必ずしも被害者=マイノリティー、加害者=マジョリティーでしょうか?
私はそうじゃないことを身をもって知っています。
もちろんマイノリティーVSマジョリティーの争いを産みたい訳ではありません。
ただマイノリティーの方がされて嫌な事はマジョリティーの方も大概嫌なんです。
辛い悲しい理不尽な扱いを受ける機会はマイノリティーの方々が圧倒的に多いかもしれません。
だからと言ってマジョリティーの方々が反論できない状態でストレス発散を行うのは絶対におかしいです。
理想論かもしれませんが、互いに違いを認め合い、受け入れられる部分を1つでも多く見つけたいから私はありのままを綴ります。
お気に留めてくださり、ありがとうございます。 サポートいただいた分は今後の執筆活動を充実させるため、有効活用していきたいと思います。