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私の見ている世界

人それぞれに「世界」がある

私はそう思っています。
と、いうのも見る人が違えばなんだって180度ひっくり返ったりするってことを知っているから。


ななしが思う「多くの人と異なるななしの世界」

これは自分が特別だという話をしたい訳じゃありません。
ただたんに「ななしには世界がこう見えてるよ」ということ。
でも「多くの人の共通認識とはズレている」ということ。
加えてズレてしまったら集団の中では異端者扱いで、とても生きづらいということ。
忘備録をまとめ始めて割とすぐに大きな気付きがありました。

それも世間的には「当たり前」のことかもしれなくて…でも私が自分で気付けた事実に大きな意味があると思っています。
ちょっと脱線したけれど「ななしの世界」について記しておきます。

いつも通り閲覧は自己責任でよろしくお願いいたします。

視野が広すぎる

この「視野が広い」は世間一般で使われるものとは意味が違います。
そのまんま「見える範囲が広い」ということです。
学校の先生がよく「先生、背中に目がついてるからね」って言ってませんでしたか?
もしかしたらジェネレーションギャップとか地域差的なことがあるかもしれないですが要するに黒板の方を向いているはずの先生が真後ろに座っていた男子の悪ふざけを見事に言い当て、注意したって状況……と言えば少しは伝わるでしょうか?(伝わらなかったら申し訳ないです)
ただその状態は生徒達にとっても「驚くこと」なんですよ。
でも私はそれが普通にできた。
ある日、自分の真後ろを猫が横切ったことに気付いて振り返りました。
猫は既に道脇の花壇に移動していたので一緒にいた友人達も「可愛い!」となったんですが「あの家から出てきたよ」という私の証言は最後まで信じてもらえませんでした。
他にもはるか上にいるカラスに気付いたり、死角になっている方向の車に気付いたり……。
目に入るから口に出す。
そうすると「アイツはいちいちうるさい・細かい」となってしまうんです。
体育の授業でもドッジボールが異様に得意でした。
ボールが怖くて「絶対当たりたくない!」という強い気持ち故かもしれませんがどこからボールが飛んでくるのか、どういう軌道を描くのかが事前に分かるのでいつも最後まで残る。
結局集中砲火になるのでさっさと当たっちゃった方が絶対楽なんだけど「痛い」と確信しているものが飛んでくるとあらかじめ分かっているのに当たりたくはないですよね。
私は必死で逃げまどっていただけなんですがクラスメイトはそこまで見えていないというんです。
運動音痴のはずの私をいつまでも倒せないことに苛立ち、泣かせてしまった日もありました。(そもそも当たらないで逃げるのはズルでもなんでもないんですがあまりに泣くので何故か謝らされた記憶…)
そして年齢が上がるにつれて「千里眼ババア」とか訳の分からないあだ名が付き、からかわれるようになりました。
私が残ったからチームが勝ったのに、です。
なので私は「人より広い範囲が見えていること」を言わなくなりました。
大人になり、保育士として子どもと関わった際には大いに役に立ったと思います。
まさに「背中に目がある」状態。
保育士は1人で大体20~30人の子どもを見るので視野は広い方がいい。
「ななし先生、よく見ててくれて助かる!」という点は比較的評価されました。
それ以外を褒められた記憶は皆無なんですけどね(笑)
むしろここでも気味悪がられていたのでしょう。
人間関係の構築が下手すぎたのと要領がよくないので明らかに浮いていて、よく突然走り出してしまう子の担当を任されていました。
とても貴重な体験をさせてもらったのでそこは感謝しています。
ただ小学校などの「お世話係」じゃないですが支援が必要な子ども達が結局私としかコミュニケーションを上手く取れずに過ごすのはあまりよろしくないのかな…とは感じます。
パニックや癇癪を起す中でもたくさんの人と関わり、ゆっくり安心できる場所を構築するチャンスを奪ってしまったのですから。

聴覚が発達しすぎている

これは↓でも書きました。

幼き頃は音の取捨選択ができず、大変苦痛でした。
特に大きな音が苦手で漫画のように飛び上がっちゃうんです、本当に。
今はさすがに改善されましたがはたから見るとかなり奇怪な動きですよね。
学年が上がるにつれてからかいの対象になり、わざと大きな音を出す人達もいました。
この感覚を「分かってよ!」「理解してよ!」と言っても無駄なことは重々承知です。
なので結局は自分で対策するしかない。
日常生活の音は比較的普通の顔をして過ごせるようになりました。
でも映画やコンサートなど明らかに大きな音がすることが分かっている時は耳栓をする(不快に思われる方がいたら申し訳ありません。でも好きなものには直接触れたいんです)、賑やかな居酒屋とかでも同じようにさせてもらうこともあります。
大きい音を聞き続けるとずっと「ぼわんぼわん」って感じの音が離れなくなり、最終的には頭痛がするんです。
それを回避するための耳栓ですが周りにとってはあまり気持ちのいいものではないらしいので基本的には耳が隠れる髪形にしています。
私の場合ですが耳栓をしても相手の声が聞こえづらいとかはなく、心地よい音量で聞こえています。
なので会話で困ることは今までほぼありません。
もう1つ、厄介なのがすごく遠くの音でも拾ってしまうこと。
救急車とか消防車とかパトカーとかの音には特に敏感でみんながまだ聞こえていない時点で「来る」と言ってしまい、預言者状態になってしまったこともあります。
それも最初は面白がってくれる。
でも「受け入れてくれた」訳ではないので徐々に鬱陶しがられ、からかいやいじめに発展する。

その繰り返しでした。

嗅覚が鋭い


これは鼻にティッシュを詰めたりするわけにもいかず……かなり苦労しました。
今でこそ様々なニオイによって体調不良が引き起こされるなどの理解も多少は深まってきました。
しかし私が1番苦しんでいた頃は「気にしすぎ」「気のせい」の時代でした。
私は煙草と香水のニオイがピンポイントで駄目でした。
すれ違っただけでもその日1日体調が優れないほど。
香水は身だしなみだし、煙草も吸う権利があるものです。
なので香水をつける人、煙草を吸う人に「やめてよ!」と言ったことはありません。
ただしっかり香水をつける人、煙草がないと生きていけないタイプの人との付き合いは長く続きませんでした。
人と人との繋がりってそんなもので簡単に切れる訳がない、大して興味がなかったんだと思わるかもしれませんが私が思い付く最善の策が「お互いに我慢しないで離れる」しかありませんでした。
しかし知り合いじゃない人からも香水や煙草のニオイはします。
道端で出会わないなんて奇跡は起きないのでコロナ前から基本マスク生活です。
私の場合はおそらくただの「好き嫌い」の域なんです。
きっとアレルギーというほど酷くもない。
プライベートは極力自分が快適に過ごせる方法を実践するけれど仕事ならまぁ何とか我慢できるという感じ。
家族内にヘビースモーカーや常に香水を纏う人がいないのは幸いでした。

痛みには鈍すぎる

酷いと生死にかかわるのですが私はそこまでではありません。
「痛い」という感覚は認識できているので訴えることが可能です。
ただこれは元々痛みに強いとか鈍い訳ではなく、体調不良になったら家族が不機嫌になるので耐えているうちに身についたものかもしれません。
最近ちょっと困ったのが親知らずを抜いた時です。
かなり難解な生え方をしていて切開は絶対・その後も完治に時間がかかるし、その間はかなり腫れるかも…という感じの説明を受けていました。
麻酔が聞いていたのもありますが手術中は全く痛みは感じませんでした。
その後、麻酔が切れても「まぁこんなもんか…」で念のため柔らかいものを中心に食事をしていました。
酷くなったのは3日目。
そういうパターンもあると聞いてはいたのですがもうどうしようもないくらいの激痛に襲われ、歩くのもままならなくて付き添ってもらって歯医者へ。
先生も助手の方もドン引きで「これでよく我慢したね」というような状態だったようです…。
適切な処置をしていただき、今は何の問題もなくなったとはいえ「普通の人は気絶レベル」とまで言われた痛みが出ていた(らしい)中で普通に仕事してました。
幸い今まで大きな病気もしたことがなく、手術などの経験はありませんでした。
悪い部分を取り除くためと分かってはいても人体にメスを入れるってすごいことなんだな…と実感した出来事でした。
「ちょっと痛いな」があったら早めに病院を受診しようと決意しました。

最終自分で何とかするしかないんだけれど

「自分の世界が絶対」とは思わないようにしたいです。
人間ってどうしても自分が基準になるし(私もそうです)仕方のない部分はあります。
でもわざとその特性に関してからかったり、いじめの理由になったりするようなことは少しずつでも減っていけばいいなぁと強く強く願います。
無理に理解する必要はない。
でも「こういうパターンもあるのか」って考えられる人が増えてくれるといいですよね。

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