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読み手の不満は100%書き手の問題

読み手が抱いたマイナスな感想は、100%書き手の責任だ。

教師が「僕の説明が理解できないのは生徒の理解力がないから」といって済ますのは問題だろう。
たしかに覚えの悪い生徒はいるが、そんな生徒を理解させられるかどうかが教師の腕の見せどころだと思う。要領が良い生徒なら、そもそも教師を必要としない。参考書1冊あれば覚えてしまう。
覚えの悪い生徒は切り捨てるスタンスを貫くと、教師の存在意義が無くなる。

「授業が退屈そうなのも生徒が怠惰だから」とするのも良くない。変化しないから。公務員ならそのままのやり方でいいのだろうが、それ以外の家庭教師や塾講師でその姿勢を貫くと、仕事がなくなる。

「面白くない」「この記事読みづらい…」と評価されたら、「お前の読解力が悪いんだろ」で済ませてはいけない。
客には媚びねばならない。
そもそも相手の頭に情報をぶち込みたいなら、文章という時点で不誠実だと思う。
本当ならテレパシーとかの方が良い。でも技術的な問題で現状文章という回りくどい手段に頼らざるを得ないのだろう。
小説家の人は文章の方が高貴だとか尊厳があるとか文学も芸術のひとつだとか主張は色々なんだろうが、高貴さがあっても伝わらなければ意味がない。

現代アートというジャンルが嫌いだ。
あれを創るアーティスト(自称)は、解釈を客に丸投げする。
そして「この作品が伝えたいことがよく分からない」という感想を抱く客に対して「それはお前の感性が未熟だからだ」と一蹴する。
難解な作品を作っておいて(しかもそれを自分でも分かってる)分からない奴が悪いという自己中評価をする。
そりゃあ誰も見ませんわ。

読み解くというのは、アートも文章も全てに言えるが、疲れる
その疲労度は読み取る対象の難解さに合わせて増加する。

書く方は楽だ。
自分の頭の中を吐き出せばいいだけだから。だけど読み取る方は、いちいち書く人間の解釈に思考力を割かねばならない。
発信する側と読み取る側なら、圧倒的に読み取る側の方が労力を使う。

だから記事を読んでいて内容に興味が持てなかったり、何書いてんだか分からないとなった時、自分を責めないでほしい。書き手の能力不足なのだから。

僕も自分の記事には自信があったりなかったりするが、読者が読みづらい、興味ないと感じたならそれは100%僕の能力不足だ。
実際誤字脱字多いし。

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