価値があるものとは
SNSを見ていると、価値とは何かを考えてしまう。
どういう事かというと、陰謀論みたいな明らかなデマ投稿や現実世界ではまず聞かない極端な意見が何千いいねと付いていたりするからだ。
対して何気ないほんわか投稿にいいねがあまりついていないなんてこともよくある。
芸能人でさえ数百がザラだし、素人に関してだと、いくらいい(僕の主観)投稿をしていると思っている人でも何十いいねとかしかついていない。
コロナワクチンがどうのとか、芸能人他殺の陰謀論とかより、雑学BOTの方がよっぽど有益だろ。
少なくとも2000人は買っているという事実。これはKindle版なので、店頭版があるとすれば書店でもっと売れているのは確実だろう。
少なくともアマゾンレビューにおいては東野圭吾の作品より、数的にも質的にも評価されている。
たとえ井の中の蛙だとしても、評価されているのは事実だ。人間なんて何かしら閉鎖的なコミュニティにいる。つまりは井の中の蛙だし。
人間は《本当に価値あるもの》の判断ができないと思う。信じたいもの、見たいもの、自分にとって都合のいいものしか価値として見なさない。
占いや宗教もそうだ。
「これ当たってるのか?」
「全然効果ない」
と思う人でもガッポリ稼いでる。井の中の蛙だとしても、稼いでいる額が平均以上というのは紛れもない事実だったりする。
だけど介護士や施工管理といったエッセンシャルワーカーは貧困…なんてこともザラだ。
評価される根も葉もないポストと評価されない真実中道のポストの構図に似ている。
価値ってなんだろうと思う。
めちゃくちゃ評価される嘘と全く見向きもされない真実なら、どっちに価値があるのだろう。
だからやっぱり好きでやってないとダメだね。人の評価なんてもはや運だよ。
少なくとも僕の投稿はゴミだ。低評価したり、反論したりする人は見る目があると思う。僕は属するコミュニティにおいてことごとく落ちぶれるもん。
職場ではもちろん、Xでも、もちろんnoteでもね。
でもそれでいい。
狂った色眼鏡で評価されるくらいなら、俺はゴミでいい。
むしろ自分の事を無価値だとする人間の方が絶対正しいと思っていれば楽だ。
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