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自分を疑う

「それは甘えだから」
「なんでできないの?」
働いていてよく言われたことだ。

僕本人としては甘えているとは思っていなかった。
努力はしなくなったのだが。
でもそれは、努力しても全然上手くいった経験がないからだと思っていた
《それが原因で努力しなくなった》《それが原因でやる気がなくなった》と思っていたのだが、Xではその上手くいっていない経験をいちいち引っ張り出して、不平不満を述べている人間が結構いるのだ。
「人生が上手くいかないのは世の中が悪いからだ!」
「虐待されたから他者に対して攻撃的になるし、社会にも牙を剥くんだ」
「発達障害があるから学習性無力感に苛まれるんだ」

というような言論。

たしかに死刑の基準を作った永山則夫は、幼い頃、虐待をされていて、大人になってからもその経験が尾を引き続け、結果的に何人も殺してしまったという経緯がある。
もっと言うと、永山則夫の兄弟たちも行方不明になったり、精神病院に入ったままで生涯を閉じたりと、ろくな末路を辿っていない。家庭環境が荒れていることと関連性はあるだろう。
そして僕の知人も定期的に精神が不安定になる人間だったのだが、家庭環境は複雑だったと記憶している。父親が何度か変わっているのだ。母親に原因があると僕は見ているのだが…まあ、事情は本人でないと分からないが、やはり影響は多かれ少なかれあるだろう。

もっと家族に恵まれていれば…。
母親が愛情を注いでくれたら…。
変わっていたのかもしれない。タラレバだが。

このように家庭環境や虐待の経験は、その後の人格形成や感性に暗い影を落とす可能性があると。

しかしXで見る主張は極端で困る。
何かにつけて他責なのだ。
「親が悪い」
「障害のせいだ」
「環境が悪い」
「政府や増税メガネが悪い」
とゼロヒャクで他責思考なのだ。
天気ですらも親や政府のせいにする勢い。

僕は分からなくなった。
もしかするとその人の取り巻く環境や能力は問題ではなくて、その人の生まれつき持った性格に問題があるのではないかと思う節がある。
その他責的な性格さえも障害とするなら何も言えないのだが…。

今僕は全てにおいて無気力だが、他責になっていないだろうか。自分の責任や惰性から目を逸らし、環境や能力のせいにしていないだろうか。
本当は性格の問題で無気力になっているだけなのに。

思い当たる節は、ある。
僕は元から勤勉な方ではない。やり抜く力はないのだ。
能力が低いことも怠惰の原因であるだろうが、多分相乗効果のようになっているのだ。

元々やる気はなくて、で、やってみるけどやっぱりできないから面倒くさくなってやめるのだろう。
でもXのポストでよく見る無断欠勤でジョブホッピングすることは無かった。
だから責任感はある程度ある怠惰人間なのだろう。


そしてXの他責思考アカウントの中には、犯罪行為をほのめかすものもあった。
「あんまり邪険な扱いをしてると、ジョーカーみたいになるぞ」
そのアカウントは役所やハローワークの人間を怒鳴り散らしたりしているらしい。
本当に無敵の人手前だ。

でも僕からすると社会に牙を剥く方が、労働をするよりよっぽどハードルが高い。
目立ちたくないし、社会に対してメッセージや要望も無い。
僕は働いている社会不適合者より、テロを起こす社会不適合者の方が凄いと思う。勇気が凄い。

やはりテロを起こすような人間は、経歴が悲惨なのだろうか。
最近で言うと京アニを放火した青葉氏、ひと昔前だと秋葉原で無差別殺傷を行った加藤氏、ジョーカーのコスプレをして電車で乗客を刺した服部氏、神奈川県座間市で希死念慮を抱えた若い少女たちを惨殺した白石氏など。
少年犯罪で言うと酒鬼薔薇聖斗、福岡の商業施設で女性をメッタ刺しにした少年などだ。


青葉真司氏の家族である父親は不倫をしていた。その時に生まれたのが真司氏であり、その後父親は家賃を滞納するようになり、最終的に自殺。
妹と兄も自殺している。

加藤智大氏は幼少期、極端な教育を受けたとされている。
とにかく親がスパルタだったのだ。
食べるのが遅いとその日の夕飯を新聞紙の上にぶちまけるというペット以下の仕打ちを受けていたようだ。

白石隆浩氏は幼少期から目立ったタイプでもなく、家族に問題があったわけでもなさそうだが、首絞めゲームなどをして失神していたという証言があるため、いじめられっ子だったのかもしれない。

服部恭太氏は業務上のトラブルと、恋人に振られたという動機しか出てきていない。
過去には盗撮事件を起こしている。
しかし家庭環境ごく普通だったそうだ。

原因は本人しか分からないだろう。しかしよくよく考えると虐待やスパルタ教育の鬱憤の矛先が、親本人に向かうなら理解出来るが、なぜ無関係の人に向かうのだろうか。

それを「虐待のせい」や「家庭環境のせい」と本人が言ったとして、虐待が無かったのなら、犯罪は犯さなかったのだろうか。
ならば家庭環境に問題がなかったのに加害者になった人間はなぜ事件を犯したのか、という話になってくる。
結局タラレバだが、過去の経歴だけに注目すると、大事なことを見失いそうだ。
あまり大きな声で言わない方がいい事だろうが「虐待のせいだ」と言って他者に攻撃的になるような人間は、何かにつけて攻撃的になると思う。
虐待が無かったら学校のせいにし、学校がなかったら政治家のせいにし、政治家がなかったら近所のおばちゃんのせいにすると思ってしまう。
それくらい他にこじつけて怒っている感じがする。

原因は外にあるとは限らない。
僕も自分の《他責》を疑っていこうと思う。
だからといって全部自責も極端だが。
中道でいこう。



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