人の言うことは話半分で良いですよ

人の言うことはあんまりアテにしなくていい。
自分が信じていることも、人から聞いた情報が多大に混じっているので、疑いうる。
 僕がなぜこういうことを言うのかは下に書いていく。

根本が間違っている可能性

いくら大層な事を言っていても、根本が間違っていたら全部ダメになる。
社会哲学や理論を語るnote記事やYouTube動画、ネット記読むけど、合ってるのかな?僕が思うのは「コロナはただの風邪!」とか「ワクチンは毒」「最近の若者は恋愛しない!」「マルをつけるのはパワハラ!」といった陰謀論じみた情報。

本当ならいいが、メディアが火のないところに立てた煙なら、時間の無駄。
ヌーハラは結局胡散臭い説が濃厚だった。僕の身の回りには外国人がいないからなんとも言えないけど、そもそも発端となったツイートや投稿、事件などはハッキリしていない。まさに火がないのに煙が立っている状況。

ネス湖のネッシーも嘘だったわけだし。
イッテQですら企画のヤラセがあった。最低判明してるのだけでもこれ。氷山の一角である可能性がある。

これで僕がヌーハラやネッシーの情報を信じて対策を勉強していたとしても、ネッシーもヌーハラ被害者も存在していないため、得た知識や勉強にかけた時間は全部無駄になるわけだ。未だにオカルト雑誌のムーとかはネッシー特集とかしてるらしいけど。

実体験として、僕は仏教を勉強していたが、仏教は時代や伝わった地域で脚色されている。輪廻転生や極楽浄土なんて概念は、仏教生誕の地であるインドにはない。

そもそも釈迦のエピソードが胡散臭い。アングリマーラとか天上天下唯我独尊とか。

デカルトが天動説に疑問を抱いたように。天動説とか地球は平面で亀の上にいる説の知識なんて令和では使い物にならないでしょ?間違ってるんだから。

だけど釈迦の胡散臭いエピソードを誰も指摘しないし、間違っていることも大きく発表されない。発信者に責任をとらせることもない。そもそも発信者が不明。
よく僕らはソースやデータといった信頼できる情報源を頼りにするが、それが正解とは限らない。それはヌーハラやネッシーといったデマが証明している。
ソースもデータも知名度もない個人が正しかったりする。
何が正しくて、何が間違っているかは人間に分からない。神様ではないから、どうしても誤謬ごびゅうを起こしてしまう。
リコール問題などもそうだが、その瞬間は正解でも、長い目で見ると間違っていた事例は沢山ある。

だから何を信じるか、何を捨てるかは自分で決めなければならない。ネットが発達して情報が錯綜したわけじゃなく、元から情報は矛盾している。でもぶつからない。

混乱する。だから裏切られる。裏切られたとて責任は誰もとらない。

だからこそ人の言うことは全部話半分でいいと思う。
自分にとって有益な情報も都合がわるい情報も、ネッシーとか天動説とかと同じ。
ネットがあろうがなかろうが発信事の語尾には「信じるか信じないかはアナタ次第です」と付いてると思う本気度で情報に触れるのがいいだろう。曲の流行りと同じように、真理や常識も常に変わり行くのだから。

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