因果応報?自業自得?
自業自得という言葉がある。
現状悲惨な目にあっている人は過去の行いが悪かったから…。
現状成果を出したり、社会的地位に恵まれている人は、過去の行いが良かったから…。
本当にそうなのだろうか。
いや、世界は公平じゃない。
虫も殺さない善人が病に侵されるとか、若くして事故に遭い死ぬという事はザラだ。
もっと言うと結果を出している人間は過去に善い事をしたどころかズルい事をしてきた人間の方が多いだろう。資本主義社会は競走社会なのだから、そこで結果を出すということは他人を蹴落とすということでもある。
そもそも善し悪しというのは人間が作り出した主観であるの。
その主観は結果を出した人間をかたどって作られるのかもしれない。
「あの人は結果を出したからあの人の行いが善だ」
その人の行動には結果となんの因果関係もなく、ただ運が良かっただけだとしても、人はどうしても模倣したり崇拝したりしてしまう。
そして逆の行動や、結果を出せていない行動を蔑んだり回避したりする。
結果論なだけなのだが。
自分の人生だけではなく、世界全体を見ると、人生がいかに理不尽で運が左右するかが分かる。
車に轢かれた子供は同世代の子供に比べて、格段に悪い行いをしたのだろうか。
生まれながらに障害や難病がある人間は何かの罰なのだろうか。
イスラエルパレスチナの戦争で犠牲になった一般市民は過去の行いが悪かったからそんな目にあったのか。生まれた段階で詰んでいるようなものなので、前世の行いが悪かったのだろうか。
仏教は哲学的な側面もあるが、スピリチュアル要素もある。輪廻転生や六道、徳などだ。
なんで死んでもいないのに前世とか来世のことが分かるんだろうと、至極真っ当な疑問を抱く。
でも悪魔の証明で《無いとも証明できないからあるかもしれない》という理屈になる。
しかし僕らは前世の記憶が無い。これが答えだ。
因果応報など知ったこっちゃないのだ。責任能力なしだ。
来世とか前世とか徳とか…ただの創作だ。
人生に意味はない。公平になる神の見えざる手のようなものもない。
つまり因果応報というスピリチュアルシステムもないのだ。
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