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いつから得ていると錯覚していた?

僕らは何かを知った段階で自分のものにしている節がある。

好きな女性芸能人が結婚するとショックを受けることがそれに当たる。
その芸能人は、知っているだけで自分のものではない。だが結婚することで何故かショックを受けている。それはその芸能人を知ることで、無意識のうちに自分のものにしているからだ。
どうやら人は対象を深く知ると付加価値を付けてしまうらしい。

物への付加価値

ブータンの幸福度が下がったのは、インターネットの普及で周りの国の裕福さをブータン国民が知ってしまったからだと言われている。井の中の蛙大海を知るという状態だろう。
しかしよくよく考えると、何かを知っただけで、自分たちの生活水準が下がったり、物を取り上げられたりした訳ではない。しかし人間は周りと比べることで、何故だか自分がそれまで感じていた幸福感のようなものを感じれなくなる性質があるようだ。
相対的な幸福と言うべきか。
物も知った段階で得ていると、人間の脳みそは思っているのだろう。
知った段階で対象には価値という執着が追加されるようだ。これは僕にも心当たりがある。賃貸物件サイトを趣味で見ることがあるのだが、20万円の部屋を見ると、現在の部屋が質の悪いものに感じてしまうのだ。自分にとっての20万部屋の価値が肥大化しているのを感じた。
あとはアイディアだ。他人からすると0円なのだが、自分からするとプライスレスな物だ。そして自分の中でアイディアに肉付けするほど自分の中で価値は上がる。でもいくら肉付けしたところで、結局は実現していないものなので、知ってはいるが手に入ってはいないものであることに変わりはない。
ブランド物や役職、学歴などもそうだろう。知ってはいるが手に入ってはいない状態。受験に落ちると悔しくなる。
オーディションや賞に落ちても悔しくなる。
手に入らなかったのは事実だが、よくよく考えると、得ている状態から失ったわけではないのも事実である
そして持っている他人に嫉妬する。盗られたわけでも失ったわけでもないのにだ。よくよく考えると不思議に感じるだろう。幸福度が下がったブータンの国民も、先進国に資源を略奪されたわけではない。

人への付加価値

マツコ・デラックスはテレビに出たての頃は嫌われていたが、今や国民的スターとして好かれている。それは自己開示をしまくったからだと僕は分析している。
自分の弱さも醜さも、本音でさらけ出す。喋って喋って喋り倒す。だから好かれた。

これでただ寡黙な雰囲気ならば「よく分からん気持ちの悪い女装デブだな」と思われるだけで、すぐにテレビから消えていただろう。
そんな人間が死んでも、国民は大して悲しまなかっただろう。初期のマツコ・デラックスが死ぬのと、現在のマツコ・デラックスが死ぬのとでは、国民が抱く悲しみは天と地の差だ。

価値のない人が自己開示することで価値のある人になった典型例だ。

人に好かれるために

ということは、人に好かれるためには、自分のことを知ってもらえばいいということになる。
人間関係で大事なものはコミュニケーションだが、それをもっと噛み砕くと《自己開示》なのだろうと思う。
《よく分からん人》から、《こういう人》にするのだ。

ドラゴンボールの孫悟空というのは、何も知らない状態だとあまり魅力を感じない。
しかし生い立ちや性格、声を知っていくうちに愛着が湧く。
孫悟飯という義父に育てられ、実はサイヤ人という異星人で、戦うのが好きで、純粋な心を持っている。
ベジータやピッコロにも同じことが言えるが。
背景を知ることで、付加価値が生まれるのだ。
星の王子さまで言うところの《喋る薔薇》だろうか。 
サイヤ人からすれば孫悟空はどこにでもいるただの量産型下級戦士だが、読者やクリリンからすればヒーローなのだ。バーダックにも同じことが言える。

最初は別に好きでもなんでもなかったが、今は好きという人はたくさんいる。
バキバキ童貞ことぐんぴぃや、VTuberなどだ。

ぐんぴぃもやはり自己開示能力が高かった。しかし見た目が悪いせいで敬遠されがちだし、事実僕も話を聞く気にはならなかった。
ぐんぴぃの動画を見たキッカケも、サムネにhokotenという女性役者が映っており、タイプだったので見たというだけなのだ。ぐんぴぃキッカケではない。
動画の趣旨は《許せない話》だったのだが、ぐんぴぃの喋り方がイメージと全然違ったので、意外に思い、そこから印象が変わったのだ。未だに見た目で損をしていると思うが…。

VTuberに関しても意外な自己開示で興味を持った。
それまでVTuberという概念は知っていたが、堅苦しいというか、設定に忠実な存在だと思っていた。しかし実際に動画を見ると設定はガバガバで非常にビックリした。
VTuberの動画を見たキッカケも、VTuberを見ようと思ったからという訳ではない。ぐんぴぃの時と同じで他に目的があった。《スマーフ》という単語をYouTubeで検索していたところ、検索結果の動画で表示されたのだ。内容は叶というVTuberが、葛葉という別のVTuber仲間がスマーフという不正行為をした件で謝っている…というものだった。
「こんなに設定無視してユルく喋っていいのか!」と思い、他のVTuberも数珠繋ぎのように知って行ったという経緯がある。
ちなみに月ノ美兎というVTuberは高校生の設定だが、「こないだ職質で未成年に間違われて〜」ということを配信でサラッと言ってしまうこともある。慌てて訂正したが、それくらい設定はガバガバなのだ。
設定があるという体で活動するという余裕があるのは良いと思った。

俳優さんなんかもそうだろう。
単体だと興味は湧かないが《○○を演じた人》という肩書きがあると、一気に愛着が湧く。

人間ひとりひとりに背景や自己はあるのだが、ほとんどの人はそれらを知ろうとしない。というか多すぎて知れない。知る余裕がない。
しかしいざ知ると、得ているように錯覚してしまう。
それが無くなると、自分のものではないのに失ったと錯覚してしまうのだ。

それこそ月ノ美兎が星の王子さまの話をしていた。
アイドルグループは、興味のない人からしてみればみんな同じ顔に見えるが、ファンになれば違いが分かると。


人間には皆バイアスがかかっているとも言える。

いつから得ていると錯覚していた?

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