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遠藤周作③—人生を振り返って



はじめに


今回はまた遠藤周作を起点として、我々は既に起こったことについてどのように捉えるかを考えたいと思います。

ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』という本に、「生きること」と「物語ること」の違いが書かれています。
その違いとは、生きることは無意味な日々が単純な足し算のように積み重なっていくだけだが、物語はまず結末を用意され、生がそれに向かって進むための布石を用意されている、ということです。

この文章からも小説という芸術のジャンルは、決まってしまった現実、過去の捉え方の技法(アート)とも呼べるのではないでしょうか。
本文には遠藤周作の代表作である『海と毒薬』と、モーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』を主に取り上げました。


1.キリスト教的な運命


1.1 『テレーズ・デスケルウ』

 
はじめに、フランスの作家フランソワ・モーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』という小説を紹介する。
遠藤周作はこの小説に多大な影響を受けたことを公言し、大学卒業後のフランス留学の際には物語の舞台となった地域を訪れ、自ら翻訳もしている。
この本も遠藤の多くの作品に似て、筋だけを知っても魅力が伝わらない作品だが、簡単なあらすじを書いておく。

主人公テレーズは議員の娘で、ベルナールという欠点の少ない真面目な男と結婚する。
しかし、彼女は遠藤の言葉を借りれば恋愛にも人生にも「酔えない」女であり、ベルナールとの結婚生活に疲弊が溜まっていく。
ベルナールは健康上の理由から少量の劇薬を服用しているが、ある日その分量を誤って多く服用しようとする。テレーズはそれに気がつくものの、本質的な気怠さからか夫に指摘することはせず余分に服用させてしまう。夫は一命をとりとめるもその後もう一度その劇薬を盛り、裁判沙汰となる。しかし、世間体を重んじた彼女の夫や家族によって免訴にされる。
釈放されたものの、彼女は再び夫と暮らすことは許されず、下女たちに監視されながら暗い森に閉ざされた地で孤独な結末を迎える。

この小説の構成として特徴的なのは、その事件は物語の冒頭でもう終わっており、テレーズの回想という形でその後の物語が進んでいくという点だ。
その構成が本の中のどの場面もあらかじめ決定しているのだ、という意識を読者に強く植え付ける。
「テレーズの影を追って」という文章の中で、遠藤は主人公テレーズの心理を以下のように分析した。

(『愛の砂漠』のマリア・クロースについて)あの空想的なブルジョワ社会の空気のもとにこの女はもはや生きることに重く気だるい。しかし彼女は絶対にそれが何に起因しているのか、知ろうとしなければ反抗する事もしない。
寧ろ運命というものに無抵抗な倦怠のなかで、彼女はある肉慾的な快感を感じている。

『石の声』-テレーズの影を追ってp.50

夜と夜、窓を叩く霧雨の音と森の美しいざわめきに耳を傾けながらこの女は決してこの運命に反抗しようとしなかった。マリア・クロースと同じように、彼女は湿ったベッドに横になり、幾本も幾本も煙草をふかしながら過去を追憶するだけだったのです。
このテレーズには未来がない「従って自由がない」とサルトルはいみじくもそれを看破しました。

同上-p.51

彼女は「過去を追憶するだけ」の存在となっていた。彼女の物語はこれまでの時点で閉じており、それゆえに生者よりも死者に似ている。
彼女はあまりに広い額 (仏: front vaste)を持っていた—それは知性とともに、荒廃(仏: dévaster)を想起させる—
そして彼女の大きな目は、人間の内部のなにもかもを見すぎ、それが彼女の人生を一点に硬直させたのだ。

モーリヤックの『愛の砂漠』の中に「まず起き上り歩かねばならぬ」という言葉がある。テレーズが人生を振り返る時、何事も自らの責任と考えるのは難しいだろう。しかし運命に身を委ねる欲望に屈したことこそが、彼女の最大の罪ではなかっただろうか。
若き日の遠藤は、物語の舞台となった森を歩きながらテレーズにこう問いかけ続けた。

「何故泪の乾くまで、この地平を歩き続け、永遠に消え去っていかなかったのか」


1.2 『海と毒薬』 の中のテレーズ


遠藤の代表作の1つ『海と毒薬』は、筆者が初めて読んだ彼の小説でもあり、第二次大戦の末期、九州の病院でアメリカ人捕虜が生きたまま解剖された実際の事件を元に描かれている。
遠藤はこの事件の中に日本人の持つ「罪の意識の欠乏」を重ね、本作を制作した。

後に生体解剖に参加する上田という看護婦の視点から描かれた章に、ヒルダというドイツ人女性が登場する。彼女は外科部長の妻であり、度々病院で慈善的な活動をしていた。
上田はある日、外科助手の指示に従って発作を起こした患者に安楽死の注射を打とうとする。しかしそれがヒルダに見つかってしまい難詰を受ける。それが以下の文章だ。

「死なそうとしたのですね。わかっていますよ」
「でも……」床に視線を落としたまま、わたしはくたびれた声で答えました。「どうせ近い内に死ぬ患者だったんです。安楽死させてやった方がどれだけ、人助けか、わかりゃしない」
「死ぬことがきまっても、殺す権利はだれもありませんよ。神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか」
ヒルダさんは右の手で机を激しく叩きました。

『海と毒薬』p.113

「神さまの罰」…上田にとってその聞き慣れない言葉は、ヒルダの金色の産毛が生えたガサガサと荒れた白人の肌と同様に、笑うべきものだった。
このヒルダの肌の描写には『テレーズ・デスケルウ』で夫ベルナールの手に用いられるクローズ・アップの技法がオマージュのように使われている。

言うまでもなく、上田とは遠藤周作なりの「テレーズ・デスケルウ」である。彼女もテレーズと同じく、運命に対して深く疲れている。「受け身、そして凝視」が彼女らの持つ特性である。
『石の声』という本に収められた『海と毒薬ノート』では、遠藤がこの作品に、彼なりのテレーズ・デスケルウを描こうと決意した痕跡が記されている。

「その前夜」の中でぼくが描きたいのは—ぼくとしては最初の試みであるが—女である。悪の意志にひきこまれる(エバ)としての女である。(いわば、誘惑の女)としてである。ぼくは大場看護婦長を使いたかった。しかし、次席看護婦長のほうがいいであろう。

『石の声』-海と毒薬ノート-p.219

このエバ的な女のイメージは、能動的で分かりやすい悪役ではない。
上田は何度もヒルダを「男のよう」と形容していた。確かに生物的な役割分担から発生した古典的なステレオ・タイプである <能動-男性 受動-女性>というイメージに結びつければ、そしてより広く<西洋-男性 東洋-女性>とするオリエンタリズムを思い出せば、遠藤が執拗にヒルダの精神性に男性をかさねる理由(上田やテレーズが『女性的』である理由)が理解される。

そして上田看護婦のみならず、『海と毒薬』で生体解剖に参加した登場人物は、みな受動的に悪事を行った。この日本における責任者不在の不気味さは、第二次大戦後に丸山眞男が「無責任の体系」と名づけたとおりである。


1.3  テレーズ、救いの可能性


遠藤周作は『人生の踏み絵』という本におさめられた講演で、『テレーズ・デスケルウ』について取り上げ、テレーズが夫に毒薬を盛ったキリスト教的な意義を考察している。
曰く、彼女はその行為によって「神に一歩近づいた」というのだ。聖書の中の「ただ微温きがゆえに、我は汝を口から吐き出さん」という言葉を引用し、偽善的な道徳の中に安住するよりも抜け出た方が良いと語る。
夫に毒を盛るという行為は決して世間から褒められたものではないが、それがテレーズにとって神が滑り込んだ瞬間なのではないかという説を彼は繰り広げる。

いかなる罪の中にも神さまを志向する気持ちが含まれており、ひょっとすると、いかなる罪の中にも神さまが当の人間を手元な引き寄せようとする罠が仕組まれているかもしれない。それは我々にはなかなかわからないけれども、作家はその罠の一部分だけでも小説に書くことができたならば、それはキリスト教小説と呼びうるわけです。

『人生の踏み絵』p.84

『テレーズ・デスケルウ』や『海と毒薬』は一見すると何の救いもない、「神も仏もいるものか」という気持ちになるような内容の小説である。だが遠藤は美しいもの、完成された人生のみを愛するのがキリスト教小説だとは思わなかった。その姿勢からは一般に考えられる信仰よりも強固な神に対する信頼を伺うことができる。


2.私は私、これで良し


2.1 聖なる然り


前章では長々と、2人の女(正確にはテレーズ・デスケルウの2つの形)の過去について書いた。過去は巨大に立ちはだかる。それは現実で罪を負った彼女らのみならず、我々人間にとって無視することのできない問題である。
それでは、過去に傷を負った人間はどのように「まず起き上り歩」くことができるのだろうか。

前述した『人生の踏み絵』という講演で遠藤は「人生というものをずっと抱きしめろ、どんなに汚くてもそれを放棄してはいけない。」
と述べている。イエスの背負った十字架を人生の比喩であるとし、それを捨て去ること(自殺)をキリスト教が禁止する訳を説明するのだ。

人生を抱きしめるヒントとして私が最も的確だと思うのが、ニーチェの著書『ツァラトゥストラかく語りき』の中の一節である。(ニーチェは組織化されたキリスト教的道徳を批判した人物として有名だが、人間イエスに対しては寧ろ親しみを持っており、本書を読むとイメージが変わる方も多いだろう)

時は後戻りしない。意志はこれに憤懣やる方ない。『かつてそうだったもの』──これが、意志が転がすことができぬ巨石の名だ。
(中略)
すべての『かつてそうであった』は一つの断片、一つの謎、一つの残酷な偶然だ、──創造する意志がそれに対してこう言うまでは。『だが、わたしはそうであったことを欲したのだ』。

ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』


この言葉に、中学2年だった私も深い感銘を受けた。その頃は若く、ニーチェが哲学者としてどのような位置付けにあるか、これがどのような時代・文化的な背景の元に書かれた作品なのかとは考えなかった。まして、ツァラトゥストラの下敷きとなった聖書すらも読んでいなかった。
しかしだからこそ、この言葉を私1人の耳元に囁かれているような気持ちがしたのかもしれない。知識は時として、余分な距離を読者と作者の間に置いてしまうものである。

中学校に行くことが辛かった時、よく読んだのは心理学や哲学の本、そして遠藤周作作品で、それらは私に(外面でなく)内面の改革を要求していた。
形而上学の意義とはこのように我々の人生にひっ迫したものではないだろうか。大学入学時に影響を受けたストア派の哲学者エピクテトスの言葉を借りれば、重要なのは我々に起こることではなく、我々がそれにどう対応するかである。

2.2 人間の働く場所


誰かに酷いことをされた、被害を受けたという経験は誰しも持っているだろう。未来だけは自分のものにできるという甘言を聞けど、その過去のトラウマが癒やされることはない。しかし私はその経験を欲したのだと述べることは自らの癒しに繋がる。それは外面的な「許し」ではなく、もっと大きなものへの「赦し」である。
過去の呪縛から人生を解放するための手段は過去に「アーメン(然り)」ということで、それは教会に通うこととも洗礼を受けることとも関係がない、というのが私の考えだ。

神からの尽きぬ恩寵があったとしても、それに気がつく人の心がなければそれは無いのと同じである。逆にいえば、何事にも恩寵を見いだす心があればこの地上は楽園に変わるということだ。

また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

‭‭ルカによる福音書‬ ‭17‬:‭21‬ 口語

運命を紡ぎ出すことはもしかすると神の働く場所で、我々が関与できぬことかもしれない。だが過去を赦すこと、起きたことに対して聖なる然り(アーメン)をいうことは人間の役目ではないだろうか。




以上です。また書くうちに長くなって5,000字程度になってしまいましたし、途中から遠藤周作がどこかに行ってしまいました。
ただ私は遠藤周作をどこかで自身の分身のように考えており、自分自身について書くより彼を起点として文章を書いた方が捗るくらいです。そのように思える人物に中学時代から出逢えたのは、私の人生における幸運なのかもしれません。



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