ろっく

愛知県三河地方に住む中年サラリーマン。青年海外協力隊(ボリビア)での経験や協力隊に関す…

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愛知県三河地方に住む中年サラリーマン。青年海外協力隊(ボリビア)での経験や協力隊に関すること、2023(令和5)年に取得した社会福祉士のこと、すこ~しできるピアノのこと、などなど書いていきます。どうぞよろしく。

マガジン

  • 青年海外協力隊での体験

    元青年海外協力隊員として、青年海外協力隊に関することを書いていきます。

  • 第35回社会福祉士国家試験(2023(令和5)年2月5日)

    私は、人生の折り返しを迎えた中年です。 私は第35回社会福祉士国家試験(2023(令和5)年2月5日試験)に合格しました。 社会福祉士としての登録も済ませています。 これから、社会福祉士を目指した動機、養成施設選び、養成施設での学習方法(レポート、スクーリング)、国家試験受験対策、試験当日、合格後、その他について述べていきます。 以下は私「ろっく」の私見と、学習し受験をした2022~23(令和4~5)当時の情報に基づくものであることを申し添えます。

最近の記事

サンチアゴでウニ

旅行情報研究会+『格安航空券ガイド』編集部 『全面改訂版 バックパッカーズ読本』 双葉社 2024年 p.208 「チリはシーフードが多いのですが、サンチアゴの魚市場ではウニも見かけました。現地の人はレモンを絞って生で食べていて、真似てみたら本当においしかった。でも日本人と見ると、醤油と箸を出してくれました。」 青年海外協力隊員として派遣中、任国外旅行でチリに行った。チリに行く最大の目的はイースター島。そのイースター島に行くために、チリの首都サンチアゴに数泊滞在した。

    • 1 社会福祉士を目指したきっかけ

      私は社会福祉士国家資格の前に取得した国家資格がある。 これは「公認心理師」。 あまり自信はなかったが、何となく公認心理師の試験に合格してしまった。 私は別に資格マニアではないが、さて次に何の資格を取得しようか、と考えた。 ・ FP3級を取ったので、次はFP2級 ・ 昔取得しようと思ってあきらめた簿記2級、日本語教育能力検定試験・・・ いろいろ考えたが、次は社会福祉士の資格取得を目指すことにした。 私は過去に青年海外協力隊員として南米ボリビアに派遣されたことがある。 青

      • 自分の土地が他人のものに

        中岡哲郎 『メキシコと日本の間で』 岩波書店 1986年 p.159 「占拠した土地でも十年以上そこに住むと所有権を認めるという法律がメキシコにはあるとAさんはいった。(中略)もっとも、その法律の適用をうけるためには、地区全体の署名をもって大統領に直接請願をし、大統領がその請願を認めるという手続が必要なのだそうだ。」 青年海外協力隊として活動したボリビアでも、同じような話を聞いたことがあった。 その人は日本人で、ボリビア人と結婚した人。 ボリビアで土地を買い、土地を持って

        • 愛車の定期点検

          最近愛車を定期点検(1年点検)に出した。かかった費用は3万円弱。 我が愛車は、青年海外協力隊から帰国後すぐに買ったもの。原資は協力隊の積立金。積立金の半分以上を使って買った。 そんな思い出深い我が愛車であるが、次の車検は通さないつもりである。我が愛車は廃車にし、新車を購入しようと思っている。青年海外協力隊から帰国して10年以上経過。ということは我が愛車も乗って10年以上。買い換え時かな・・・と思ったからだ。 青年海外協力隊の思い出がひとつひとつと消えていく。悲しいが、時

        サンチアゴでウニ

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        • 青年海外協力隊での体験
          7本
        • 第35回社会福祉士国家試験(2023(令和5)年2月5日)
          1本

        記事

          ものや金をねだられる

          中岡哲郎 『メキシコと日本の間で』 岩波書店 1986年 p.142 「ホテルの前の砂浜でねそべっていると、次から次へ乞食がやってくるのには閉口した。たいていは小さな子と組の女で、金はないというと、人のなめているアイスクリームを指して、それをその子によこせとねばる。優雅な気分は半減してしまう。」 僕が青年海外協力隊員として派遣された南米・ボリビア。南米の最貧国といわれ、確かに町中に物乞いはいたし、ホームレスもいた。だけど直接ものや金をねだられることは、ほとんどなかったように

          ものや金をねだられる

          能登半島地震

          令和6年1月1日に発生した能登半島地震。我が家は家族団らんで過ごしていた時に揺れた。たぶん震度3か4くらい。その震度でも家族は少し混乱した。 僕が地震で思い出すのは2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災。東日本大震災が起きた当時、僕は日本におらず青年海外協力隊員として南米ボリビアにいた。僕の家では衛星放送でNHKが見られたので、状況はある程度は分かった。しかし実際日本はどうなっているのか心配でならなかった。そして遠く離れたボリビアで何もすることができず、こ

          能登半島地震

          隊員たちは売春、蓄財、お遊び旅行に大忙し

          吉岡逸夫 『青年海外協力隊の正体』 三省堂 1998年 p.17 「一九九四年の月刊誌「新潮45」六月号に載っていた元協力隊員石橋慶子さん(ホンジュラス、システム・エンジニア)によって書かれた「あえて書く青年海外協力隊墜落論」。副題に、――〝草の根ボランティア〟と囃され、ODA(政府開発援助)の格好の宣伝材料になっている青年海外協力隊。その美談の陰で、隊員たちは売春、蓄財、お遊び旅行に大忙し――とある。」 隊員(青年海外協力隊員)たちは売春、蓄財、お遊び旅行に大忙し。 僕の

          隊員たちは売春、蓄財、お遊び旅行に大忙し

          現地生活費

          吉岡逸夫 『青年海外協力隊の正体』 三省堂 1998年 p.116 「(青年海外協力隊は)JICAから送られてくる海外手当てを極力抑えることによって、現地の人の生活レベルに近付けようとしている。」 青年海外協力隊はボランティアといわれていても、生活費が支給される。僕が派遣されていた南米・ボリビアでの現地生活費は当時365ドル。現在はもちろん値上がりしていると思うが、いくらになっているのかは分からない。 僕の場合、この現地生活費で十分生活することができた。田舎に派遣され

          現地生活費