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「ず・ざり・え~ず・て・で 」を扱います。短歌を中心に用例を提示します。do notとdoes not やcan notをイメージしてください。古文単語 その43★玉藻は妖狐のへんげなれば、閨房のおもむき、他の婦女のごとくならず。ひとたび、この女にあひたる者、その味わひを忘れず。★来ぬ君の とがを枕に 言ふは無理 うつり香たたむ あけぼのの蚊帳

「ず・ざり・え~ず・て・で 」を扱います。短歌を中心に用例を提示します。do notとdoes not やcan notをイメージしてください。古文単語 その43

★玉藻は妖狐のへんげなれば、閨房のおもむき、他の婦女のごとくならず。ひとたび、この女にあひたる者、その味わひを忘れず。

★来ぬ君の とがを枕に 言ふは無理 うつり香たたむ あけぼのの蚊帳

★その手代 その下女 昼はもの言はず

その手代 その下女(手代も下女も人目を気にして自由には恋愛出来ない) 昼はもの言はず(昼はすれ違っても、主人や番頭に二人の仲を気づかれてはならないので)

○ このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

      
  古今集四二〇(助動詞 ず 打ち消し 連用形)

学問の神様、天神様で有名な菅原道真の作品です。能力ある優れた人物でしたが藤原氏にねたまれ太宰府に左遷されます。 このたび(この旅・今度の)
幣(ぬさ・祈願をし、または、罪・けがれを払うため神前に供えるもので竹または木の棒というか串のようなものに、神の短冊のような二本の紙垂をはさんだものです。紙垂は白い紙で作るのですが、白だけでなく五色の紙や、金箔・銀箔が用いられることもあるようです。)
とりあへず(~敢ふは出来る「~あへず」は十分出来ないという意味です。とろうとしても十分とれない、急な旅なので幣を準備出来ないという意味でしょうか)
手向山(旅の安全を祈願するために道祖神をお祭りしてある所・この場所は旅の神様をお祭りするところですが、準備できなかったので・手向けるは、神仏や死者の霊に供物をささげるという意味です)
まにまに(他人の意志や事態の成り行きに任せて行動するさま・ある事柄とともに別の事柄が進行しているさま・ここでは神様の心のままに、私たちの気持ちとしてお納めください。)

ぬ(ず)「ず」その事実がないという話し手の判断

★以後は 見逃しにせぬぞと 馬鹿亭主
★早まりて 亭主せぬとこ おさえたり
★女房を ゆるく縛りて 五両とり


間男を見つければ示談金五両(首代)を払わせることが出来る。一両が四分、一分は四朱。一両は四千文。江戸中期で三万~五万。手間賃換算だと二十万~三十万というので、大体十万円と考えるようです。間男代は五十万円です。農家なら五俵にあたるかな。

★合点ゆかねば(ゆく・四段・未然形・ず・打消・已然形・已然形プラスば・ので)ともしびをもて、あらたむるに玉門の穴とては無く、ただ小便の通づる所のみにて女とも見えず。

★来ぬ君の とがを枕に 言ふは無理 うつり香たたむ あけぼのの蚊帳

来ぬ君の(来・く・カ変・未然形・ず・打消・連体形) とが(待っている私の気持ちも知らないでと愚痴ること)うつり香(以前、訪れた時の恋人の匂いが残っている)たたむ あけぼのの蚊帳(夜明けになって蚊帳をたたむと香りが匂ってくる)

○ 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

        
新古今集四九一 (ぬ→助動詞ずの連体形)

作者は藤原俊成の養子になるのですが、俊成に実子の定家が生まれると、行き場がなくなり出家して寂連法師と名乗りました。
村雨(にわか雨 以前は群雨と書いていたようです。ひとしきり強く降って通りすぎてしまう雨のことです。秋から冬にかけて降る雨を特に村雨と呼んだようです。)
露(雨のしずくのことだろう。)
ひぬ(干る・かわく・上一段プラスずの連体形)
まきの葉(「ま・真」は美称で「良い木材になる木」のことを指しています。まきは杉や檜(ひのき)、槇などの常緑樹全体をこう言います。)
霧たちのぼる(葉の上の露を見つめていたが、やがて、それらを包むように霧が立ち上ってくる様子)
秋の夕暮れ→名詞で終わる体言止めなので、詠嘆の気持ちをこめて「秋の夕暮れであることよ」 と言った形でしめくくるとかっこのいい訳になるかな。夕暮れがどうであるとは、あえて書かないで歌を読んだ人に想像させようとしていると思われます。このことで、読者の世界もが和歌に付け加わりイメージの奥行きが増す効果があります。

○ あひみての のちのこころに くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 

       拾遺集七一〇  (ざり→助動詞ずの連用形)
父の藤原時平が道真を太宰府に追いやった張本人なのですが、そのたたりなのか息子の作者も若くして亡くなりました。作者にとって、初めての女性との交際が始まった時の作品だそうです。
あひみての 後の心(会いたいと思っていたあなたにやっと会えることが出来た今の私の気持ち。以前に増して私の心の中は、貴方への思いでいっぱいです。)
くらぶれば(くらぶ・下二段・已然形プラスば)
昔(会うことが出来なくて悩んでいた昔のもの思いなどは)
思ふ 四段
ざり 打ち消し「ず」の連用形
けり 過去詠嘆 連用形接続 コトヨ

○ かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

         後拾遺集六一二(え~ず 不可能)
美形で腕力もありプレイボーイと言われた作者で清少納言との恋がうわさされました。清少納言に好意を寄せていた別の男性と暴力事件を起こし、東北に左遷されています。 かく(このように)
だに(だにすらはサエと訳し、さへはマデモと訳せ・こんなに私はあなたのことを思っていると、そのことでさえ)
え~ず(~には未然形・出来ない・え言はず・言うことが出来ない)
やは・かは(反語)えやは言ふ(言うことが出来るだろうか、いや言えない)
いぶき(伊吹山・栃木県の山・言ふの掛詞)
さしも草(灸の治療に使われるモグサ・栃木の伊吹山で多く生産されていた・お灸のモグサのように燃えている私の思いということで使っている)
さしも(さ・そのように・しも・強調・そのように私のあなたへの思いが燃えていることを)
知らじな(知るプラスじ打ち消し推量 ナイダロウ・な ネ)
燃ゆる もゆ 下二段 連体形

★おそろしき 虎の年の尾 踏みこえて ひかりのどけき たまの卯の春

虎の年の尾(寅年の年の瀬を) 踏みこえて(て・接続助詞・~して・厳しいながら乗りこえて) ひかりのどけき(のどかなひかりのさす) たまの卯(たまの・美称・月の中にいるという美しいうさぎの年の春を迎えた)

○ 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の  富士の高嶺に 雪は降りつつ   

     新古今集六七五(接続助詞 て・~した後で)
万葉集と新古今の両方の和歌集に収められています。宮廷おかかえの歌人の山部赤人の作品です。

○ 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける 

           万葉集三一八(格助詞 ゆ 経過・を通って)
田子の浦(静岡県の海岸・視界のさえぎられた所を通りながら峠を越えていくと、眺望の開けた海岸に到着した)
うち(チョット)出でて(出づプラスて(完了のつの連用形)から「て」が出来た)
見れば(已然形プラスば・スルト)
白妙の(カジなどのこうぞ類の樹皮からとった繊維で織った、白い布。また、それで作った衣服を指します。富士に掛かる枕詞になっています。)
降りつつ(つつ 動作の継続・し続ける)

○ わがつまは いたく恋ひらし 飲む水に かげさへ見せて  世に忘られず

          万葉集四三二二(接続助詞 て 理由 ノデ)
家族から切り離され、九州の防備にかり出された防人(さきもり)と呼ばれた人の作品です。
いたく恋ひらし(いたく・ヒドク・恋ひらし・恋ふらしが文法的には正しい・推定のらし)
かげ(姿・古代には恋人がこちらを思ってくれると、自分の夢に現れると言われていた。同じように、恋する思いが募るとその魂が抜け出して、相手の見る水の上にでもその姿が現れると言うことかもしれない)
見せて(見す・ミセル、トツガセル・下二段・ゴランニナル・四段・て(ので))
わすられず(忘る・下二段 わするは下二段が普通だが、万葉時代四段もあったらしい。この場合 四段未然形 わすらプラスる可能の未然形プラスず と考えるしかあるまい)

○ わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思ふ 

        後撰集九六一 (接続助詞 ても・トシテモ)
作者は陽成天皇の第一皇子ですが、相当なプレイボーイで、この作品は宇多天皇の后に対してのラブレターのようです。
わびぬれば(わぶ・上二段・つらくて嘆くプラス完了ぬの已然形プラスば・あなたを思ってこのようにくるしんでいるので)
今はた同じ(今は自分の全てを捨てたのも同じ・今さら、世間にこの恋を見つからないようにしても同じ)
難波なる(今の大阪・断定なりの連体形・~ニアル)
みをつくし(難波の入り江に多く立てられている水脈つ串であり、船の水路を示す案内板、目印となる杭を表す・身を尽くす・身を全てなくす、この身体が破滅したとしても)
あはむ(会ふプラス意志のむ・あなたに会おうと思う)

★ 人もただ このやうにこそ ありたけれ すこしたらいで まめの名月

人もただ このやうにこそ ありたけれ(たし・願望・已然形・多少不足のある生活ではあるが、健康で働けるような暮らしむきでありたい)たらいで(足らずして) まめの名月(少しくらいの不足があるような、少し欠けている十三夜の豆月)

○ 難波潟 みじかき葦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや

      新古今集一〇四九 
(接続助詞 で・ナイデ)奈良時代以前は「ずて」「ずして」を用い、平安時代以後「で」となる。

父が伊勢の国(三重県)の知事だったので「伊勢」と呼ばれ、小野小町と並ぶ女性の花形スターで複数の男性に愛された。
なにはかた(大阪湾の入り江、干潟になっていて葦が多く生えていたらしい・特定の地名を言うことで、そこにある事柄を連想させイメージさせるテクニックを歌枕と言います。なには と言えば一面のアシです。)
みじかき葦のふしの間(葦は二メートルから三メートルの高さになる。秋に小さな紫の花が咲く。茎に節がある。節と節の間のような短い間でさえ)
あはで(逢ふ・ずして→ずて→で)
この世(この世→自分の一生・この節・節は「よ」とも読む・世の中→男女の仲)
すぐしてよとや(過ぐす・四段活用・てよ・完了つ命令形・むなしく過ごしてしまえ
とや(とや言ふ・や疑問の係助詞・と言うのか)

○ 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さ じ

      
 後拾遺集九四〇 
(打ち消し推量じナイダロウ)「そうなることはあるまい」という話し手の推量判断
咲かじ 恋ひじ 燃えじ 忘られじ 行かしめじ

夜をこめて(込む・連用形・しまい込む・夜がまだ明けないうちに)鳥のそらね(にわとり・「空音」鳴きまね)謀るとも(だます「とも」は逆接の接続助詞「~しても」「鶏の鳴き真似の謀ごと」斉の孟嘗君が秦から逃げる際、一番鶏が鳴いた後にしか開かない函谷関にさしかかったのが深夜であったため、食客にニワトリの鳴きまねをさせて通過したという話 よにあふさかの関はゆるさじ(「よに・決して」「逢坂の関」京都府と滋賀県の境にあった関所・「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」という掛詞。「逢坂の関を通るのは許さない」「あなたが逢いに来るのは許さない」

★ 取り組みて 負けじと思ふ すまふさへ 年の関には かなはざりけり

 負けじ(どんな相手にも負けないだろう)すまふさへ(相撲取りであっても・までも) 年の関(一年の暮れ・年の関という相手)かなはざりけり(かなふ・四段・未然形・ず・打消・連用形・けり・過去詠嘆・終止形)

○ 忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな 

     
新古今集一一四九 
(打ち消し意志ナイツモリダ)話し手自身の能動的な行為の場合、話し手の否定的意志

清少納言の仕えた藤原定子の母が作者です。エリートでプレイボーイだった道隆を夫に持った作者でしたが夫婦仲は良かったそうです。
忘れじの(下二段わする未然形プラス打ち消し意志じ終止形・貴方のことは決して忘れないつもりだという言葉・いつまでも忘れはしないと貴方は言ってくださいますが)
行く末まではかたければ(行く末・遠い将来・副助詞までプラス係助詞は・形容詞かたし已然形プラス接続助詞ば・遠い将来のことまでは頼みがたいことですから・いずれ私はあなたから捨てられるであろう)
今日を限りの命ともがな(貴方の言葉で幸福な気持ちでいる今日を最後限りの命でありたい。死んでしまいたい・願望の終助詞もがな)

★舌を長くいだして、 こつぼをからみ 吸い出だす。そのこころよさ なかなかに(中途半端・むしろ) 人ならば(妖怪で無くひとであるならば) かくのごとく 妙なる(すぐれている・すばらしい・絶妙)ことは なし得まじ。

○ この世には 又もあふまじ 梅の花 ちりぢりならん ことぞかなしき 

                詞花集三六三 
(打ち消し推量まじ)「そうなることはあり得ない」という話し手の判断

咲くまじ 恋ふまじ 消ゆまじ あるまじ 忘らるまじ

病気になり死が近づいた時、梅の花を見て弟子たちに向かって作者が詠んだ歌です。作者は平等院の僧正でした。
この世にはまたも、あふまじ(四段逢ふ終止形プラス打ち消し推量まじ終止形・病気で死期の近づいている私には、この世では、梅の花を、もう再び見ることはないだろう。そのように、おまえたちにも二度と出逢うことはないのだ。)
散り散りならむこと(花が散る・弟子達が自分の死後にばらばらに別れる・婉曲む連体形(ヨウナ)・いずれ花が散ってしまうように、おまえたちも散り散りに別れてしまうのだろう。)
ぞかなしき(係助詞ぞプラス形容詞悲し連体形・ぞの結び・それが定めだとしても、やはり悲しいことだなあ。)

○ 何とかく 置きどころなく 歎くらん あり果つまじき 露の命を  

         玉葉集二五一五 (打ち消し可能まじ)

作者は保元の乱で亡くなった源頼行の娘で、後鳥羽院の中宮に仕えていました。優しい人柄だったようです。孤独や命のはかなさを見つめ、情景に、おのれの心を染み込ませるように反映させた歌が多いと言われています。
何とかく(何と・ドウシテ・かく・コノヨウニ)
置きどころなく(形容詞なし連用形・身の置き場所もないように)
嘆くらむ(四段嘆く終止形プラス現在推量らむ連体形・歎くのだろう)
ありはつまじき(ありはつ・いつまでも生きながらえる。同じ状態を最後まで続ける。・可能の「べし」の打ち消し・まじ連体形・このまま生き続けることなどできるわけのない)
露の命を(露のように消えやすい命・露のようにはかない命であるのに)

「ず・ざり・え~ず・て・で 」を扱います。短歌を中心に用例を提示します。do notとdoes not やcan notをイメージしてください。古文単語 その43

★玉藻は妖狐のへんげなれば、閨房のおもむき、他の婦女のごとくならず。ひとたび、この女にあひたる者、その味わひを忘れず。

★来ぬ君の とがを枕に 言ふは無理 うつり香たたむ あけぼのの蚊帳


万葉集九四
(古い形まじ)奈良時代の「ましじ」が平安時代に「まじ」に変わった。室町時代に「まい」「まじい」となり現代語の「まい」に続く。

天智天皇の后であった鏡王女の作品です。額田王の姉妹とも言われています。恋の相手は藤原鎌足とも言われています。
玉櫛笥(枕詞。「たま」は美称。櫛を入れる箱。ふた・はこ・ひらく・おおう・あく・おく・み、などにかかる。蓋に対する「身」から、同音で始まる「みもろ」にかけたもの)
みむろの山の(三室山の・神がいるという山)
さな葛(さねかづら・常緑樹でつるを伸ばしキイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつける・「さ寝」の掛詞として使われる。
さ寝ずはつひに(さ寝ずに・共寝せずに )
有りかつましじ(ラ変あり連用形プラス補助動詞~かつ(〔動詞の連用形に付いて〕…に耐える。…することができる。…られる)・三室山のさな葛ではないが、さ寝ずに・共寝せずに最後まで耐え続けるなど、できはしないでしょう。)
みむろの山のさね葛ではないが、あなたと共寝をしないで、そのまま帰るなんて出来ようか。

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