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江戸時代の女性の呼び名、化粧法、髪型を見てみます。「お歯黒」なんだかなぁ、そう思う人いませんか。この知識も受験に役立つことは全くないでしょう。


恋人のときは「~さん・~くん・~ちゃん」名前で呼び合っていたのに、結婚するといろんな呼び名に変わります。奥さん、かみさん、妻、嫁、女房、家内、おかあさん、…。

江戸時代も「女房・お内儀・奥様・ご新造・かかぁ・おっかぁ・山の神・荒神様(かまどの神)・かか 」等、呼び名が身分、職種、階層で違っていたようです。将軍の妻は「御台所」大名は「御内室・奥方」旗本は「奥様」御家人は「御新造」町人は「御内儀」「女房」庶民は「おかみさん」などです。

女房「女房のやくほど亭主もてもせず」


男房という呼び名もあったそうな。とにかく業務のために一室を賜っていた女官である。女性の呼び名には女人(にょにん)というのもある。「アンズの種は杏仁(きょうにん)桃の種は桃仁(とうにん)梅の実は梅仁(ばいにん)という。これで女人のわけまで知れた」という小話がある。種は核・実か。

 

乳母・めのと「御かたみを なきふやし取る 乳母が顔 あつくなりけり あつくなりけり」


この立派な服は亡くなった娘さんとの、忘れられない思い出のもの、わけてもらえないかと高価な着物を手に入れる・泣き増やす(泣いた回数ごとに何かをもらって増やす)乳母が(乳母の)あつく(厚顔無恥)なりけり(上に「にくず」のある「なり」は動詞の「なる」)けり(過去・詠嘆)仕えている娘や息子の恋の相談相手もしていたようです。

  

梅干し婆あ「梅干しも花ぞ昔を思い出し」


 老婆・姑を指す。老婆がこめかみに梅干しを貼っているのは頭痛に効果があるとされたから。

おとみ「粋な黒塀、見越しの松に仇な姿の洗い髪 死んだはずだよ、お富さん」


 現在は少子化が問題になっているが、江戸時代は多産を恥としたようだ。「おすえ・とめ・およし」などの名前は、お前で最後にしたいという意味だったらしい。
       
 

かかぁ「ご新造を かみさまと言ひ 叱られる」
「山の神 かよふ神から つもつて見 やすいことかな やすいことかな」


山の神(古女房)かよふ神(遊女は手紙の封じ目に「通ふ神」と記した)つもる(推し量る)やすし(形容詞・たいしたものではない)ご新造は妻であり、おかみさんよりは上位の呼び名。

   

小町娘「九十九夜 通ひ損なり 道理なり 取り付きにけり 取り付きにけり」


 百夜を目指して通っていたが、九十九日目に死んでしまった深草少将。なり(断定)・道理なり(魂が小野小町に取り付くのも無理はない)にけり(に・「けしき」の上の「に」・ぬ・完了・連用形・けり・過去)美男に毎夜、毎夜九十九回も通わせて、それども応じなかったという話はご存じでしょう。この結果、小町には女性としての機能がなかった、そんな俗説まで伝えられています。針穴の無い「小町針」の命名は、このことが由来だとか。

   

妾・めかけ・目かけ「妻よりは妾の多し門涼み・正岡子規」


 正妻とは別に持つ、妻のように扶養する女性を指す。もとは神を祀るときに、生きたままお供えとして神に捧げられた女。辛に女を合わせた字であり、入れ墨をした召使いが語源。

「やなぎごし」ってご存じですか。
柳腰「いつのまに 緑の髪も 雪つみて 柳腰さへ かく屈みぬる」


雪つみて(黒髪も白髪とかわり) 柳腰さへ(ほっそりしていた腰までも) かく屈みぬる(かく・このように・かがむ・おれ曲がる・ぬ・完了・連体形・雪に折れないように曲がる柳のようにかがんでしまった)柳腰・やなぎごし・中国の纏足(てんそく)の風俗にならい、日本では柳腰が美人の条件だった。

お歯黒「染めし歯を 何がな言つて 笑はせう うかがひにけり うかがひにけり」


染めし歯(し→き・過去の助動詞・連体形・お歯黒を付けた歯。娘としては恥ずかしく、他者に見られたくない)何がな(何ごとか面白いことをいろいろ言う。笑わせて口を開かせる)うかがふ(様子を探る・チャンスを待つ)にけり(「けしき」の上の「に」は完了「ぬ」の連用形・けりは過去詠嘆)

 お歯黒は平安時代の貴族の間ではじまった習慣で、十七~十八歳で歯を黒く染めることが成人の証だった。室町時代には十三~十四歳に、戦国時代になると武将の娘は八歳で染めていた。江戸時代に入ると一般庶民にも浸透しはじめ、庶民に広がった。婚約・結婚を迎えた時に染めるようになり、既婚女性の象徴として使用された。塚や墓から掘り起こされたお歯黒の歯にはむし歯がほとんどなく、むし歯予防の見地からも有効であったようだ。吉原の遊女は眉は落とさないが歯は染めていて「黒いキツネ」とも言われた。

富士額・ふじびたい「腰元のいたずら 狆を富士額」「小町忌の老いても母の富士額」


江戸美人たちがこだわったのは額と襟足。額は、いわゆる『富士額』が理想であり富士山の形に生え際(額の際)を剃ってみたり、墨で富士山の形を描いていた。額の生え際が富士山のようにカリガネが中央に付いたのが良いとされた。髪を結っておでこを出すと顔の形がハート型にみえるのが美女の条件である。

髪の毛の少ないものは幼児に習って「お見通・おけんつう」と言い愛想のないものを指す。額の上の月代(さかやき)を剃らず、全体の髪を伸ばし、頂で束ねて結ったもの。また、後ろへなでつけ垂れ下げただけで、束ねないものもいう。長くて垂れているのが「惣髪」である。

襟足・えりあし「春園の宵に襟あし潔き妻」


 首筋の後ろの生え際をえりあしと言う。美女と呼ばれるには、この「襟足」の美しさがポイントとなる。襟足を見せるために「衣紋」を作る、「えり化粧」をする。首筋の後ろの生え際である襟足の化粧法は、襟を真っ白に白粉で塗り、生え際はまっすぐ下にスッと伸びているのが美しいとされた。京都の島原では「三本足」と称しておしろいでWの模様を描いたらしい。

唐犬額・とうけんびたい


女性ではないが、男子の若者に流行した髪型に唐犬額があった。額の毛を広く、その角(かど)を錐(きり)のようにとがらせて大きく抜きあげた額をつくった髪形である。ヤンキー・リーゼント、いいねえ。

引き眉「眉細くひきし寒さや菊人形」


 人妻になると眉毛を剃り、歯を染める。遊女は歯は染めたが眉は落とさなかった。一度、堅気に戻ったが上手くいかず、戻ってきた女性が二度目の営業をするときには眉を描いた。
一般庶民の若い女性(地女)は、顔の形にあわせて眉の形を整えた。 江戸時代の美容に関する本である『都風俗化粧伝』では、丸顔は細い三日月眉、面長は少し太い眉がよいと書かれている。

 奈良時代から引眉(ひきまゆ)といって眉毛を抜いたり剃り落した。殿上人の眉は、除毛した後、額に円形の丸を2つ描く。一般的には江戸時代、眉毛を剃り落した後に、もともとの眉を薄い墨でなぞって描いた。江戸後期になると既婚女性は目の上に眉を描かなかった。モナリザ、神秘の笑顔です。

 

子供の髪型 おけし・お芥子


 生後7日目になると頭の中央だけ残して、剃った。幼児は髪を頭の上部だけ残して、周り下を、剃ったり刈り込んだ頭髪を結っている。三歳頃になると、髪を伸ばし始める祝いの儀式「髪置(かみおき)」を行う。頭頂部の毛を残す「芥子(けし)」や、後頭部の髪を残す「盆の窪(ぼんのくぼ)」などがあった。

七五三


 子供の頭髪を伸ばし始める髪置きという儀式を三歳で行う。男の子は五歳で袴着、女の子は七歳で帯解きの行事をした。十一月十五日に着飾って氏神にお参りをする。

ちょんまげ


「ちょん」とは点、あるいは少ない,小さいという意味。老人になると毛髪が薄くなるので、結った場合に髻(もとどり)が小さくなるところから「ちょんまげ」と呼ばれた。もう一回、現代でも流行すれば、いいかもと思う。

髪の毛の少ないものは幼児に習って「お見通・おけんつう」と言い愛想のないものを指す。

 額の上の月代(さかやき)を剃らず、全体の髪を伸ばし、頂で束ねて結ったものを惣髪と言う。また、後ろへなでつけ垂れ下げただけで、束ねないものもいう。長くて垂れているのが「惣髪」である。医者・儒者・浪人・神官・山伏などが用いた。

 武士は兜をかぶったときに頭部が蒸れるため、前頭部から頭頂部にかけ頭髪を抜く、あるいは剃った(月代(さかやき))残りの頭髪を結った。平生の武士の髪型に一番近いものは、月代は剃っていない相撲取りが稽古時に結う髪型だそうだ。

つくも髪

九十九髪・老女の白髪・「伊勢物語」に百の漢字の上の一を引くと「白」になることから、老女や老女の白髪のことを「九十九髪(つくも髪)」というと書かれていたような、ないような。

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