セドナで「流れに身を委ねる生き方」に目覚めたら自分を責めなくなった
幸せな人生を送るためには、夢や目標があったほうがいいのではないだろうか?
やるべきことや仕事があったほうが人生が充実し成長するのではないか?
いつもそういうものを設定しては、人生を歩んできました。
結婚、出産、子育て、離婚、再婚、孫に恵まれ、家を建て、夫婦で海外を旅したい夢も叶い、後悔もないけれど、「何かをしたい」とか「何かが欲しい」とか…何も求めるものがなくなりました。
50代半ば…という年齢で、ほとんどのことをやり終えた感があり、目標もなくただ時間だけが過ぎていくことに焦りを感じ、何も思いつかない自分を責めていました。
これからどう生きていこうか?
2020年3月。セドナへ10日間、自分探しのひとり旅に出ました。
セドナはネイティブアメリカンの聖地と言われ、スピリチュアルに興味があるわたしにとっては「人生が変容するきっかけの地」のように感じました。
まるで神殿のような、赤い岩山でぐるりと囲まれたセドナという土地は、まるで神様から守られているかのようで荘厳でした。
そんな風景に接していると、「何かが変わる」…そんな予感に満ちていて、その場所に居るだけで、満足でした。
でも、もう一方で”今よりも良くなりそうな何か”が必要なのだと思い、それを求めていました。
セドナで滞在した時期、なぜか大雨続きで…、観光もままならず、ほとんどをホテルの部屋で過ごしました。
スケジュールは白紙で、いつ起きても、いつ寝ても、いつ食べても、何を食べても自由で、誰とも喋らず…、ただひたすらぼんやり過ごしました。
「ああ。家族とも離れて、自分のおもりだけしていればいいっていうのは、なんてラクなんだろう」と身体がほどけてゆくのを感じました。
この”ラクさ”の中で「何か欲しいものはないか?」「何かやりたいことはないか?」と求めて行動したり、考えたりすることがなんだかとても煩わしく、そして無意味に思えてきました。
シンクロニシティは世界を信頼することを教えてくれた
セドナを旅しているとき、たくさんのシンクロニシティに遭遇しました。
同じ年頃の、同じように初めてひとりでセドナに来たという女性との出会いだったり。
その女性が次の日、同じホテルに宿泊していることに気づいたり。
「バースケイブ」という”ネイティブアメリカンの再誕生の地”と言われるハート型の洞窟に入った後、ハートの形の石をプレゼントされたり…。
…外出時間がほんのわずかだったにも関わらず、本当に書ききれないほどたくさんのシンクロニシティに遭遇しました。
一つの偶然の出来事がもうひとつの偶然につながり、またそれも次の出来事へ…。
まるで元々シナリオがきまっているかのごとく展開していく様子に、人間を超えた”何か大きな力”が働いているを感じました。
その”大きな力”を信頼し始めると、不思議だけれど「目の前のもの」がすべて、「それでいいんだ」と思えるようになりました。
目の前に起こっているすべてを信頼できる気持ちになれました。
あらゆるものからコントロールを手放し人生の流れに身をまかせる生き方
帰国後、「サレンダー」という本に出会いました。
この本は「頭の中のおしゃべりを聞くことをやめて、代わりに人生の流れが提示してくれるものを受け入れていくと、人生はどうなっていくのか?」という著者の40年間の実験の記録が書かれた本でした。
人生という”大きな力”の存在を信頼して、自分の「良い悪い」などの価値判断を横に置いておいて、人生で目の前に起こってくることを受け入れる生き方。
人生に先手先手を打って積極的に動いていくのではなく、思考や出来事が起こってきてから行動するというような「受け身的」な生き方です。
この本と出会い、セドナのホテルの部屋で、やりたいことも、欲しいものも、目標もない自分を「それでいいんだ」と思えた、あの感覚を後押しされた気分になりました。
「このままじゃ生きている時間の無駄遣いだ」とばかりに、必死にやりたいことや目標を探していた、わたし。
でも、絶えず人生にその”大きな力”は働いている。
”大きな力”が、書籍「サレンダー」と出会わせ、そして、今日、はじめてこの「note」に記事に書いている(笑)
人生がそれを目の前に持ってきたら、放っておいてもこんなふうに動いてしまうんですよね。
人生の流れに身を委ねて生きることを決めました。
そうしたら、今まで感じていた焦りや不安も感じることがなくなり、なによりも自分を責めることがなくなりました。
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