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デンマークでは『学び直し』はないという事実

学び直し」や「リスキリングRe Skilling」という言葉に違和感をずっと感じていたんだけれども、Saki Matsuura@Facebookの投稿で、その理由の一端が見えた気がしていて、そのことについて備忘録として記録しておきたいと思う。

学び直しとは何か?

デンマークを訪問する日本人の口から「学び直し」という言葉が聞かれるようになったのはいつ頃のことだろう。デンマークでは「学び直し」の仕組みが企業にありますか?北欧の政府は「学び直し」支援のための施策をどのように進めていますか?などのように。成人教育が進んでいると一般的に認識されているデンマークの「学び直し」の仕組みや制度が気になるらしい

なぜ、この「学び直し」というキーワードが各所から出てくるんだ?と疑問に思っていたら、どうやら、政府のトップダウンで「学び直し」の重要性が示され、「学び直し」のためのプログラムや事業が実施されていることを知った。産業的にも盛り上がっていて、メディアでも注目されているんだということに、しばらくして気がついた。

そして、「学び直し」論者の主張は、次のようなものだ。

学校教育からいったん離れたあとも、それぞれのタイミングで学び直し、仕事で求められる能力を磨き続けていくことがますます重要になっています。

厚生労働省

デンマークの人たちは、学び直すのか?

デンマークをはじめとした北欧諸国で、成人教育・生涯教育が進んでいたり、整備されているという認識は、決して間違ってない。でも北欧で実施されていること、重視されている点は、必ずしも「学び直し」ではない。

学び直しという言葉には、日本ではRe Skillingという英語が当てられていて、米国では、Re skillingやUp skillingのように言われるらしい。Re skillingは学び直しだけれども、Up skillingは今のスキルを向上させる、スキルアップだ。

デンマークの社会人の学び

ワークライフバランスが整っているといわれる北欧において、「学び続ける必要性」に関しては、実にシビアである。学び続けない人は解雇されるし(*1)、しばらく仕事につけなかった場合は、若ければ、幸か不幸か、全く異なる分野に強制移行させられて、学び直すことが求められることもある。ただ、同時に、高等教育や専門教育を受けて基礎がある人たちは、基礎に積み重ねる形で、自分のスキルを伸ばしていくことが奨励されているし、そのスキルアップを支える、つまり学び続ける政治的ツールは多々ある。

たとえば、ミカエルは

私の知り合いのUXデザイナー(仮にミカエルとしておこう)は、中堅どころのUX企業に勤めているが、年に1−2週間、スキルアップのために外部プログラムを受講する。その企業では、いわゆる社内研修のような位置付けで1−2週間の勉強が奨励されている(義務かどうかは知らない)。ミカエルは、直属の上司と相談して、自分が面白そうだなと思ったプログラムを提案する。上司は、実際にそのプログラムがミカエルのスキルアップに適しているか見定め、許可を出す必要があるが、高い学費は会社持ちだ(経費になるから25%のVATはかからない)。しかも、ミカエルにとっては、有給で自分の市場価値を上げることができる機会である。その機会を有効に活用しない理由はない。

そのうち、ミカエルは、引き抜かれたり、転職したりするんだろうけれども、企業的にも、多分それでもいいんだと思う。デンマーク社会を一つの企業と見た時、そのような継続した学習を奨励する制度や支援策などの社会環境は確実に整備されているし、会社を移っても社会全体としては底上げになる。だからこそ、国は企業の社員教育を支援している。企業からしてみたら、もしかしたらやめるかもしれない人材だけれども(*2)、国の支援を一部得ながら優れた人材を作り出すことが、巡り巡ってデンマークという社会環境を充実させることを知っている。日本の大企業が昔やっていたことと、デンマーク国がやっていることは大して変わらない。社会(企業)全体として、優秀な人材が育成され、さらには循環させて相乗効果が生まれているという、なんとも優れた仕組みとなっている。

今の急激な社会の変化に対応するために、今までの一つの深いスキルだけではなく、もう一つ二つ、新しいスキルを獲得して、スパイダーウェブ的な自分だけのポートフォーリオを作っていくことが必要だ、ってことを北欧の多くの人が考えている。ミカエルは、今まではUXデザイナーとしてスキルを高めてきたけれども、マネージメントの知識をつけることを考えていた。これはリスキリングなのか?と聞かれたら、私はアップスキリングだと思っている。スキルや知識の掛け算が、ミカエルの新しい価値を生み出しているから。別の分野で考えてみると、例えば、ITの研究者がバイオを学び、バイオとITの接点の能力を強化するといったようなことだ。

一生涯学ぶこと

私は、社会人になって学ぶことは大切であるという考え方に反対しているのでは決してない。『「学び直し」はない』とタイトルに書いたのは、学ぶということだけではなく、「社会人になっても(永遠と)学び続ける」ということが大切だということを強調したいからだ。永遠に学び続けなくてはいけないのか…ということは、気がついた時には本当に時に気が遠くなる感覚を覚えたが、それが、我々が生きている社会の逃れられない現実だ。

日本で流行っている「学び直し」の、なにが引っ掛かるのかというと、学び直しという言葉の背後に見え隠れする、「学ぶことへのの姿勢」や「学ぶとは何か」という考え方が、政府の言質においても、社会の議論においても、世界標準(北欧標準?)からずれている気がするからだ。

基本的に、大学を出た後も「学ぶ」という継続的行為が必要だという考えは世界標準と言っていいんじゃないかと思っている。私は、大学までに大量の知識を詰め込む日本の教育は、必ずしも悪いことばかりではないと思っているが、そこからの残りの人生がその知識を少しずつ切り崩し、消費するだけになってしまっているのであれば、変化の激しい今の社会では、その先の人生は真っ暗だろう。

北欧の学習方法、アクティブラーニングでは、自分で主体的に学ぶことが志向され、コラボレーションやプロセスや振り返りが重視される。そこで学んだ知識は、一過性のものではなく、その人の知識の基礎をつくり次の学習に役立てられるはずだし、そのような学びが現代の学校では教えられているはずだ。日本も例外ではなく、アクティブラーニングのコンセプトと類似点が多々ある「21世紀型スキル」(文部科学省)を学んでいるはず…。

アクティブラーニングでの「学び」に一つの正解はない。また、どのような学びでも、たとえ時間がかかっても、その学びが無駄になるということはないはずだ。たとえ成績としてはAが取れなかったとしても、その学びのプロセス、行為、振り返りによって得た知識は無駄になるものではないはずだ。それなのに、注目されるのは「学び直し」だけなんだろうか?

「学び直し」の違和感の正体

学んで新しく知識を獲得するということは、基礎となっている今までの知識や学んできた行為の延長線上にあるはずだ。そして社会人の誰もが、何かしらを(大学学部卒だと21年間)で学んできているし、それなりの知識の基礎を持っている。だが、「学び直し」という言葉には、あたかも、今まで学んできたことを一度リセットして、改めて基礎から学ぶという印象を受ける。まるで、今まで学んできたことが無駄だった、意味のないことだった、これからは役に立たない、と言われているかのように。

確かに、今までの知識が陳腐化するということは十分考えられる。そして、変化の激しい今の社会で、新しい知識は必要だ。それは、日本も私が今いるデンマークも同じだ。

デンマークにおいてすら、新しく学ぶ状況が全くないわけではない。仮にあなたがデンマークの「再教育」のカテゴリーに入れられている30歳以下であるならば、例えば、今まで工場での単純労働者として働いていても解雇され職が見つからなかったら、再教育により新しいITなどの知識を一から勉強することになる。それは…、もしかしたら学び直しなのかもしれない。でも、それなりに日本で勉強し社会人として働いている人を、同じ「再教育」の枠にはめることは、とてつもなく違和感を感じる。それほど、今までやってきたことは無駄なことだったのか?そこまで今まで積み重ねてきた努力を自分で蔑ろにしていいんですか?

記録しておきたかったことは、一つ。「学び直し」ではなく、「学び続ける」という姿勢が大切なんだろうということ。さらに、「学び」は1時間、オンラインレクチャーを受けて終わりではなく、永遠に継続しなくてはいけないものだということ。

今の社会に生きる我々には、もう学び続けるという選択肢しかないから。

*1:北欧は社会保障が整っていて、失業手当も充実していると言われるが、仕組みとして充実しているに過ぎない。だれでも、解雇されるのは「本当につらい」のだ。
*2:デンマークでは平均5年で職を変えると言われる。


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