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『宿題をハックする』

宿題のリスク

 子どもはもちろん、保護者も教師にとっても大きなウエートの『宿題』。
 主体的でない『宿題』を今すぐやめることで、本来の「楽しい学び」になる。
 もし、私たち多くの日本人の大人が経験してきたであろう従来の「宿題」を出し続けるなら、学びにおいて主体的とは対極なイメージを子どもや保護者に植え付け、教師もそのことに多くの時間や労力をかけることになる。

従来の宿題

 そもそも、日本の宿題の内容は、ほぼ決められている。漢字(ノートに練習)や計算(ドリスやプリント)、音読など。いかにも”主体的”にさせている”自学(自主学習)”にしても、必ず提出しなければならない、見開き2ページ、テストや授業を補完する形での内容、など決して”自主学習”ではなく、強制されたものであることが多いのではないか。(強制である以上”自主学習”でなない)
 また、教師からすると、「これらのことは重々承知している」としても、保護者や教育委員会(文科省)等からの要望で、仕方なく課している方も少なくない。

どうする、宿題

『宿題をハックする』~学校外でも学びを促進する10の方法~(スター・サックシュタイン+コニー・ハミルトン著、高瀬裕人・吉田新一郎訳)から得た学び。数年前に一読していたが、改めて読んでみた。
 もはや悪習化している宿題を今すぐやめよう。
 子どもに課すとしても、子ども、保護者、教師のみんなが笑顔になる「家庭学習」に。そのために、何が必要か。授業と個々の児童生徒の生活との密接な関連から家庭学習を考えてみる。

ほとんど進まない「主体的な学び」

 教育において「主体的な学び」は、超重要ワードである。これを否定することは、極めて難しい。しかし、一斉に、強制的に、好奇心も湧かないようなものを課す従来型の宿題は、「教育においてもっとも御用されているツール」であり、「あまりにもたくさんの矛盾する考えが、宿題という枠組みのなかに組み込まれて」いる。
 なぜなら、「主体的な学び」を教育者のだれもがが推進している一方で、”主体的に学びようがない”宿題という真逆なメッセージを強力に発信しているのだ。
 20年間、小学校の現場で働いているが、9割以上の子どもたちが、この矛盾の中で生活させられている(自クラスも含めて)。

「主体的な学び」、まずは学校外から

 「主体的な学び」の推進のためには、授業の改革(残念ながら、授業においても変化はほとんど見られない)だけでなく、「学校外でどう学ぶか」という視点は、欠かせない。
 もし家庭学習を課すなら、従来型の宿題をやめ、授業と関連をもたせることだ。本当の意味で、学校外に主体的に学べる環境をつくることで、授業も「主体的な学び」に変わる、と筆者は言う。

宿題の研究

「学校をもっとよくるwebメディア~メガホン~」では、以下のような記事が紹介されている。

 宿題の研究は、この100年様々になされており、アメリカのデューク大学では、過去の宿題の研究をまとめた上で、「多すぎない宿題は効果的」「年齢が上がるほど宿題は効果的」としている。
 また、東京大学大学院の研究では、宿題のメリット、デメリットを次のようにまとめている。
 メリット
 ・短期的な学力の向上
 ・全児童に授業以外での学習機会の保障
 ・自己学習力の育つ機会など
 デメリット
 ・自由な時間の減少
 ・丸写しなどの欺き行為の助長の可能性
 ・成績上位者と下位者の格差助長の可能性
 ・学習への動機付けや興味の阻害の可能性

多くのメリットがある「宿題をやめるメッセージ」

「とりあえず、宿題をやめる」これだけでも、多くのメッセージが含まれることになる。
 一斉一律でなくてもいい。放課後の時間を自己選択していい。興味関心事に没頭できる。家族だけでなくコミュニケーションをとろう。地域社会や他人、自然と関わろう。
 私たち教師も、休み時間の使い方が多様化し、プリントを印刷したり、意味の薄いハナマルやスタンプといった希薄なフィードバックをしたりしなくていい。その上、未提出者を追い詰めなくていい。休み時間は、子どもたちのものだから・・・。
 
 「主体的な学び」をし、創造的に物事を追究できる人材を育てるために、何から手を付けるか。従来型の宿題をやめることで、得られることは、あまりにも多い。やってみる価値は十分すぎるほどある。


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