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いつも何度でも~ボウキョウによせて~

今から6年ほど前に、イベントで『いつも何度でも』をうたってほしいという仕事を引き受けた。
ジブリの千と千尋の神隠しの主題歌でご存知の方も多いだろう。
この曲は高校生のときにコーラスでうたったことはあったが、3拍子で歌いづらいという印象しかなかった。
もう一度ちゃんとさらわねばと思い、歌詞を読み込み、YouTubeで検索し色々な人の歌唱を聴いた。

そのとき出会ったのがナターシャ・グジーさんだった。

彼女はウクライナの出身で、チェルノブイリ原発事故で被爆をした方だった。
彼女の故郷は二度と足を踏み入れることができなくなり、地図から消えてしまった。

ふるさとが消えてしまうなんて想像しただけで心がちぎれそうだ。

大学でお世話になった先生が、福島の浜通り、南相馬市出身だった。
東日本大震災では津波や原発の被害に遭ったところだ。
2011年の5月。
先生に会いにいった際、GWにご実家に帰ったときの話を聴いた。それは話したくて話すのではなく、言わずにはいられなくて思わず口から出てしまった…というような話しぶりだった。


常磐線が動いていないから、いわきのご友人に車で送っていってもらったこと。
津波で御親戚が亡くなったこと。
御親戚の家のあったところにいってみたら、辺り一面津波で流されてしまっていて場所がわからなかったこと。
街の真ん中に大きな船があったこと。
お母様がいつもお世話になっていたお巡りさんも亡くなったこと。
街は瓦礫だらけで、そこに5月だからだろうか、鯉のぼりが一匹だけかけてあったこと。

――それを見て、もう、なんとも言えない気持ちになりましたね…

ナターシャ・グジーさんが歌ういつも何度でもを聴いて、先生のこの話を思い出していた。
涙が止まらなかった。
優しい旋律の曲だけれども、歌詞とともに深く心の奥に届く。
作詞をした覚和歌子さんのインタビューも拝見したが、この詞は降ってきて泣きながら書いたそうだ。
きっと、大きな存在に書かされたものなんだろう。
曲は歌唱した木村弓さんが、阪神淡路大震災で被災した叔母さんを見舞ったときの町の惨状を見て震災に対する想いをイメージされ、作曲されたものだそうだ。

繰り返すあやまちの そのたび 人は
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

私の中では東日本大震災の曲になった。

娘がまだお腹に中にいた頃、知人主催のお母さんとお子さん向けのコンサートでジブリの曲をいくつか演奏したのだが、いつも何度でももうたわせてもらった。
うたう前に南相馬の先生の話を少しさせてもらった。
皆さんの耳がどんどん集中していくのがわかった。

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

私の祖父はいわきの四倉出身だったそうだ。漁師の家に生まれ幼い頃、千葉の天津に養子に貰われてきたらしい。
しかし、祖父は私の父が12歳のときに亡くなっていて私は会ったことがない。祖父が養子だったということも15歳のときに初めて知った。福島の親戚との付き合いも既になく、福島とは縁があるわけではない。

そんな私が福島のことを語るなんて恐れ多いが、東日本大震災のことはずっと忘れずにいたい。
“いつも何度でも”を大切にうたい続けて、それと一緒に震災のことも忘れないでいたい。

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

南葦 ミトさんが連載されているボウキョウを読んで今日書いたことを思い出していた。

2019年7月に書き始めた長編小説で、テーマは「故郷と家族」、キャッチコピーは「望郷と忘郷の間で揺れる、亡郷者達の物語」です。

方言noteを通じてミトさんのことを知ったのだが、1話からぼろぼろ泣きながら読んだ。

ぜひ皆さんにも読んでいただきたい作品です。

1話はこちらから

今日も当たり前の幸せと出会いに感謝を。

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