『幸福寿命』 <第1部>幸福寿命との出会い〜平均寿命と健康寿命と幸福寿命〜
介護現場のリーダーやマネジャーにお勧めの本を紹介します。
『幸福革命 ホルモンと腸内細菌が導く100年人生』(伊藤裕 著・朝日新聞出版)
介護現場のリーダー向けに、本書の転用方法について、三部構成で考察していきます。
1部:幸福寿命との出会い 〜平均寿命と健康寿命と幸福寿命〜
2部:幸福はどこにある?
3部:医療アプローチと生活アプローチ
健康で長生きが理想!?
健康寿命を伸ばそう。
平均寿命と健康寿命の差を縮めよう。
もう何年も前から、呼びかけられています。
「健康と不健康どちらでいたいか?」と問われれば、誰でも健康を望むでしょう。
健康寿命はできるだけ、長く伸ばしたいものです。
健康寿命とは
改めて言葉の意味を確認しておきましょう。
健康でいられる期間、ということは想像がつきます。
WHOではこのように定義しています。
「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」
ほほぅ。
健康寿命はどのように計算するのか、その算出方法について、調べました。
ちょっと意外な方法でしたが、「まぁそうだよね」という方法でした。
健康寿命は、3年ごとに実施される国民生活基礎調査を基に、算出します。
「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問をして、「ない」と答えたら「健康」、「ある」と答えたら「不健康」としてカウントされます。
具体的な健康に対する指標ではなく、質問に対する主観的な回答を元に、算出されています。
実際には、この質問を基礎として、いくつかの指標を掛け合わせて算出するようです。
ちなみに、「欧米と比べて、日本は平均寿命と健康寿命との差が大きい」とよく言われますが、健康寿命の算出方法、質問文章は国によって異なります。
健康とは
もう少し言葉の旅を続けましょう。
「健康」とはどういう状態を指すのでしょうか。
WHOの定義以下の通りです。
「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」
ん?
この定義は、読めば読むほど難しく、様々な解釈をされています。
健康寿命を測定するための国民生活基礎調査の回答者は、WHOの職員ではなく”一般人”です。
そこで、正式な定義は一旦置いて、一般的な「健康」のイメージについて考えます。
・病気や怪我をしていない
・要介護状態ではない(身体が自由に動く)
・認知症ではない
おそらく、このあたりを、健康の基準として考える人が、多いと思います。
その証拠に、「健康寿命を伸ばしましょう」の前置詞として、「生活習慣病にならないように」「要介護状態にならないように」「寝たきりにならないように」「認知症にならないように」という言葉がよく出てきます。
幸福寿命に出会う前
さてここで、私がこの本と出会ったきっかけを書きます。
私は、介護現場のマネジャーとして、日常的に要介護状態の方々と接しています。
その人たちが、「しあわせに暮らしましたとさ」と生き切るために、私たちにできることを考え、仲間と共に実践しています。
仕事柄、健康寿命については、これまで何度も目や耳にしています。
これまでは、「健康寿命。伸びたらいいなぁ」と漠然と思うぐらいで、特に疑問を感じることはありませんでした。
平均寿命と健康寿命の”あいだ”
ところが先日、「介護の対象って誰だろう」と考えているときに、大きな発見をしました。
介護の対象となるのは、要介護状態の人や、認知症によって日常生活に支援の必要な人。”一般的に健康ではない”と思われている人です。
もし、要介護状態や認知症のある状態が”健康でない”としたら・・・
私たちが、介護の対象として関わっている人、つまり、
要介護状態の人や、認知症のある人は、健康寿命が終わっている?
そうだとしたら、
健康寿命が終わって、生命の寿命をを全うするまでの時間は、一体なに?
大きな疑問が湧きました。
何のために生きているのか
私は、年齢や性別、認知症の有無や、障害の有無に関わらず、「誰もがしあわせに暮らしましたとさ」と生ききれる社会を夢みています。
その社会の実現のために、健康であることは”望ましい”ものの、必須条件でありません。
むしろ、健康じゃなくてもしあわせに暮らすにはどうしたらいいかを、日々考えています。
健康状態や生活機能が低下している人がしあわせに暮らすことを目指すとき、はじめて介護はお役に立てるのです。
本では、生きる目的をこのように記しています。
私たちが生きる目的は、「健康でいること」ではない。「健康でいることは幸せになるための一つの手段でしかない。生きる目的はあくまで「幸せになること」
人間は「幸せになる」ために生きている。この考えに、大変共感しました。
「しあわせ寿命」=「生命の寿命」は可能
こんなことを考えていたので、実はこの本に出会う前に「しあわせ寿命」という言葉が頭に浮かびました。
介護サービスの利用者は、一般的な意味では、”健康ではない”人たちです。
一般的な意味での健康寿命は、終わっているのかもしれません。
しかし、健康ではない人にも、当然しあわせに生きる権利があります。
私はこれまで最期までしあわせに暮らした人に、たくさん出会ってきました。
「健康寿命を伸ばそう」というメッセージが一人歩きして、”健康を害ったら終わり”というイメージを、一般の人たちに与えている可能性があります。
実際に、要介護状態になったり、認知症になったりしたら、人生終わりだと考えている人が、日本には大勢いるからです。
この点について、私は声を大にして言いたい。
要介護状態になっても、認知症になっても、しあわせに生ききることはできる!
このメッセージを伝えるためにどうしたらよいかと考えました。
専門職はともかく、一般の人に向けて「健康」についてのイメージを、WHOの基準で再定義するのは難しいでしょう。
そこで私は、「健康寿命」よりも「しあわせ寿命」を伸ばそうというメッセージの方が、一般的にイメージしやすいのではないか、と考えました。
「死ぬまで健康で」よりも「死ぬまで幸せに」です。
しかも、「しあわせ寿命」は命ある限り、何度でも”復活”できます。
『幸福寿命』の発見
私が考えつく程度のことであれば、同じように考えている人が、ゴマンといるだろうと思って、「しあわせ寿命」を検索窓に入力しました。
#やわらかくて温かい印象を受けるので、「幸福」より「しあわせ」を私は好んで使っています。
そこで画面に表示されたのが、本書『幸福寿命 ホルモンと腸内細菌が導く100年人生』でした。
1ページ目にヒットしたサイトは、全て著者の伊藤裕(いとうひろし)さんに関連したサイトでした。
「こんなに素敵な言葉があるのに、まだ普及していないんだ。もっと広がったらいいのに。」というのが私の第一印象でした。
第一部のまとめ
・要介護状態の人は、平均寿命と健康寿命の”あいだ”の時間を生きている。
・”あいだ”の時間を、しあわせに生きられるように支えるのが、介護。
・これからは、しあわせ寿命をのばそう。
第二部では本書を基に、「しあわせはどこにあるのか」を紐解いていきます。
つづく・・・
立崎直樹
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