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モノから記憶が蘇る。週末日記 4月11日〜17日


4月11日
 シェアードワールド となりあう呼吸の公募に応募する。
 世界観の共有って難しい。そもそも原作も難しい作品で、急な場面転換によって頭がくらくらして読めない。それゆえに写経したのだけれど、自分なりに解釈できたのは良かった。でも自分では思い切って書けない文体だった。

 『独ソ戦』を読む。戦争を俯瞰的にとらえると地図の上に線を描くように暴力的になるのだなと。『戦争は女の顔をしていない』は感情から浮かび上がる戦争を描いて、詳細が掴めないこともあって、『独ソ戦』を読んだ。ぱっくりと立場によって全く違うものの見方に混乱してしまう。戦略的なことには興味が持てず、途中で苦しくなる。


4月12日

 靴の話を考えている。シンデレラの原点を知ると、時代ごとに違うかたちで書かれていて面白い。ペロー版とグリム版、そしてディズニー版。どれも時代ごとのメッセージが込められている。ペロー版なら成熟した貴族社会の受動的な生き方、グリム版なら資本しだいで成り上がれる主体的な行動力を、ディズニー版では身分に縛られない、ある意味で粗雑で、優しく美しい少女を描く。さて今ならどんな物語が描けるんだろうか?

 少女を埋める読書会に参加した。桜庭一樹さんの、ベテランとしての覚悟、個人対組織の構造で戦ってたのだと知る。Twitterで状況は追っていたけれど、「キメラ」で語られる当時の状況を読むと、話題にされるたびに苦しんでいた様子がわかる。地方と都会、エンタメと文学共同体、受け取り手が必ずしも自分と同じ属性にいるとは限らない。

 時が経って、その作品だけの文脈で読まれたとき、どう評価されるようになるのか。Twitterも絡むと後追いしにくくなる気がする。SNSのデータってどう後に残るのだろう


4月13日

 フレドリックブラウンの恐竜を読む。恐竜の視点で描くというアイディア。ちょっと切ない。

 一日2,500字書くというノルマを課しているんだけど、仕事もしながらそんなノルマを実現できでいる人に脱帽。

 
4月14日

 小舟祐輔、君と碧梧桐を読む。コバルト短編新人賞の年間賞。碧梧桐よく知らなくても、二人の関係性でどんな作家なのかわかる。

 『料理と科学のおいしい出会い』を読んだ。聞き逃したところももう一度読んでいる。料理を化学式で表し、別の料理を作ろうとする試みは斬新。おいしいものを突き詰めていくほどに料理は不健康になっていくのって、逆説的だけども、食べられないものを食べられるようにしてきた人類の挑戦のような気もする。エル・ブリの映画見たいな。

 


4月15日

 竹岡葉月 E・ルイスがいた頃 を読む。空港での出会いの演出はよかった。おじいちゃんのお茶目なところがこの演出でわかる。複雑な少女時代を過ごした母親から描くとどうなるのかを考えた。きっと嫌だなぁ、恋心を拗らせそう。ファザーコンプレックス。

 

4月16日

 朝倉かすみ 明けの明星商会を読む。スカートアンソロジーの一編。断捨離をしたばっかりに読んだからよくわかる。物には記憶が宿るし、物がトリガーになって記憶を呼び覚ますのだ。その時の衝撃って、一人で耐え切れればいいんだけれど、耐えきれないとき誰かに任せられたら幸せ。それが友達ならなおさら。

 パンケーキを作った。メレンゲを作るのははじめてで、卵白があんなふわふわになっていくのに感動する。ハンドミキサーの力で、手軽にできるようになるわけだ。機械が発達することで、家庭のお菓子も進化してるのだと。


4月17日

 斜線堂有紀 本の背骨が最後に残る を読む。一日一話をはじめて、積んでる本を少しずつ消化できているの一番嬉しいのだけど、この作品をはやく読まなかったのだと。語り部って、こんな気概で語ってたんじゃないか? 狂気にくらくらする。換骨奪胎の妙。

 ポモドーロハッカソンに参加。改稿している作品を書き進める。書けないと思ってても、書いてると案外見えてきたりするから面白い。すぐにはその先が見えないのだけれど。とりあえず書き終えよう。エンドマークを打って見える世界がある


雑感

 精読と一日一話を続けて、読む冊数が減っているのが、ちょっと切ない。そろそろ別の本を読みたい。

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