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[エストニアの小説] 第6話 #8 決闘(全17回・火金更新)

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 「そうだ」 息子のヤーンが答える。「その通りだ、一つの嘘もない」
 「で、俺たちは市で突っ立ってた」 農場主がつづける。「暗くなるまでそこに突っ立ってた、飲んで立ってた。恥をさらした思いだった。長いこと立ってたんで、具合が悪くなった。で、雄牛と自分らを呪った。息子のヤーンがこう言った。『この恥と不名誉には耐えられない。5セントしか出さないやつにでも、雄牛を売らねば。こいつを家まで連れ帰るわけにはいかない。350で売れたのに、欲をかいたからだ。からかわれるのを承知で、連れ帰るわけにはいかない』 で、俺はこう言った。『リース、おまえはここに残るんだ。俺とヤーンが買い手を見つけてくる』 で、俺らは人気(ひとけ)の消えた市を猟犬みたいに走りまわって、残ってるやつらに売ろうとした。するとあの肉屋の姿が見えた。で、こう言った。『悪く思ってくれるな、200クローンであの雄牛をどうだ』 すると肉屋は足早に通り過ぎながら、言い返してきた。『いや、100クローンでもいやだ!』 で、俺は猛烈に腹がたち、息子のヤーンは怒りで青くなった。だったよな、ヤーン?」
 「そうだ」 息子のヤーンが答える。「その通りだ、怒りで青くなった」

 ハンゾーヤの主人ヤーク・レオークがその後をつづけた。「で、俺は肉屋のあとを追ってこうわめいた。『牛はおまえには売らん、たとえ1000クローンおまえが払ってもな。そのへんの貧民から犬や猫を買えばいい。おまえのところのソーセージやステーキにはそれで充分、俺の上等な牛は手に入れられん!』 肉屋は前を走っていき、俺と息子はそのあとを追った。で、こう叫んだ。『おい、このソーセージ屋にして犬の油売りよ、俺のそばに寄るな、俺の牛は売らない、このゲスが。あんたには死んだ猫や狂犬がちょうどいいが、俺はそんなものは持ってないからな』 すると肉屋が足を止めてこう言った。『お前の雄牛なんか、5セントでもいらん』 で、こう返した。『5セントもって、俺の前から消えろ』『お前の邪魔などしてないぞ』と肉屋。で、俺はあいつの顔に向かってこう吹っかけた。『何回言えばいい、このアホが、俺はあんたに雄牛を売るつもりはない! 小さな農家に行けば、犬や猫や生まれたての子猫がいるぞ、ホヤホヤのな』 すると肉屋はペッと唾をはいて、走り去ろうとしたが、俺の息子があいつの足を蹴ったんで、やつはバタンと転げてぬかるみに顔を突っ込んだ。で、俺は上から見下ろしてこう言った。『これが市にやって来た穏健な者を邪魔した報いだな』 こうじゃなかったかな、ヤーン? お前は全部見てたよな」
 「そうだ」 息子のヤーンが答える。「その通りだ、やつはバタンと転げてぬかるみに顔を突っ込んだ」

 「そのときにはもう、夕闇も濃くなっていた」と農場主。「で、息子のヤーンがこう言った。『さあ、飲むとするか、今日のことをそこで話そう』 俺らは雄牛のところに行って、カートの端に座って、疲れから長いこと黙っていた。アリ塚が急に空っぽになるみたいに、市に来た人はもうみんな消えていた。すると息子の妻のリースがこう言った。『家にもう帰りましょう』 息子がこう答えた。『雄牛を連れては帰れない』 というわけで俺らはあれこれ言い合って、ウォッカを飲み、言い合いをした。すると息子のヤーンが『駅に行ってみよう、雄牛も雌牛もみんなそこに連れていかれてる。肉屋を見つけられる』 俺は尋ねた。『あの肉屋がいたらどうする?』『あいつをちょっとばかりくすぐってやる』と息子。するとリースが泣き出した。『あー、もう、なんてこと!』 こんな風に言い合いをしている間に、リースが馬にムチをあてて、俺らは家に向かって走っていった。こうじゃなかったかな、ヤーン?」
 「そうだ」 息子のヤーンが答える。「その通りだ、家に向かって走った」

 「それでここにいるわけだ、雄牛を連れて、壊れた荷馬車で」と、農夫のモールマー。
 「いや違う、そんな簡単なことじゃない」と農場主のヤーク・レオーク。「この雄牛を連れて早々に家に戻ってきたわけじゃない! 市に行くときは問題はさしてなかった。が、帰りは動かなくなった。頑として譲らず、モウモウと声をあげ、カートに突進した。で、車がこっちに向かって道を走ってきたとき、大変なことになった。馬も牛も急に走り出した。前に馬が後ろには雄牛が、その間にあるカートが紙みたいにもみくちゃになった。俺ら3人は素早く荷馬車から飛び降り、木の陰に隠れて悲鳴をあげた。『何があろうと、何が起ころうと、死ぬのは嫌だ!』 そして車が目をランランと光らせて猛スピードで行きすぎると、雄牛と馬はさらに前に飛び出していった。俺ら3人はフルスピードで追いかけた。馬と雄牛を捕らえるのは大変なことだった。カートを直し、雄牛を手なずけるのにもな。後輪は粉々に砕けていて、道に転がっていた」

 「それでここにいるわけだ、雄牛を連れて、壊れた荷馬車で」と、農夫のモールマーがさっきと同じことをとがめるように言った。
 「そうだ、そうやって帰ってきた」と農場主。「帰ってきた、言い合いしながらな。ヤーンはまだ肉屋をつかまえに駅に行きたがってる。リースは雄牛を納屋に連れていきたい。しかし俺はこの雄牛をもう少し手なずけたい。市ではどうふるまうか、こいつに教えねば。こいつを子羊みたいにおとなしくさせる。この悪魔が。こいつは恥をもちこみやがった。俺らの後ろを走るやつら、出会ったやつらは、面と向かって笑った。『ほらほら、見てみろ、ハンゾーヤの主人は自分の雄牛も扱えないのかい?』 俺らの壊れたカートとロッドが後車輪のところにあるのを見て笑った。だから俺が雄牛を飼い慣らしてるところを見せなくては。飼い慣らしておとなしくする、あいつが俺の前でひざをついて、子どもみたいにメソメソと泣くまでな。なんて恥だ、なんて不名誉な。生まれてこのかた、こんな目にあったことはない。100クローンでたとえ売れたとしてもだ、血に染まった100クローンでな」
 「これはみんなあの肉屋のせいだ」と言ったのは息子のヤーン。「あいつさえ捕まえれば、雄牛は手放せた」
 「雄牛と肉屋、両方のせいだ」 父親の方が怒って言った。「おまえは肉屋のところに行け、俺は雄牛を手なずける」
 リースがヤーンの袖をつかんで声をあげた。「あんたはどこにも行くんじゃない! もう肉屋は駅にはいないんだから、もう牛を連れて自分の町に向かってるさ」

 「モールマーよ、この子ウサギが!」 主人がわめいた。「馬を向こうに連れていけ、門を閉めろ、俺はちょっと雄牛に用事がある。みんな向こうへ行くんだ、雄牛と俺だけにしてくれ。ったく、こいつは100クローンでも売れなかった、代わりにカートを粉々にしやがった。バターの桶をドブに捨てた、ニシンの桶は空っぽだ。モールマー、この子ウサギが、こいつがニシンの桶を粉々にしたことを前に話したか? 道いっぱいに魚が散らばった。糞だらけの道から魚を拾い集めるなんてことはせん。リースは魚を少しでも拾おうとして、エプロンに泥だらけの魚を入れたが、俺はこう言った。『そのクソを捨てろ! ハンゾーヤ家では道から拾った泥まみれの魚など食わん。カートを壊したのがこいつなら、ニシンもこいつに食わせればいい。こういう馬鹿騒ぎをすると、どういうことになるかわかるだろうよ。あー、こいつに教え込まねば、地獄からやって来たクソ雄牛をな』

 トーマス・ニペルナーティは納屋のドアの後ろでこれをワクワクして聞いていた。父親と息子は、巨大なオークの木みたいに向かい合い、日焼けした顔をむけて、足を大きく広げて立っていた。それとは対照的に、二人のそばに立っているリースとモールマーは小さな子どものように見えた。二人の巨人は言い合いをし、ウォッカのボトルを行き来させ、ときにリースやモールマーにも手渡し、ボトルが空になって、父親のポケットから新しいボトルが取り出されるまで、それをつづけた。こんな風に二人の男は、大声をあげ、酒を飲み、言い合い、と時間が過ぎていった。太陽は高く昇っていたが、馬も雄牛もまだ庭の真ん中に突っ立っていた。疲れ切った馬は頭を下げ、雄牛は怒りをためたままだった。
 「モールマー、この子ウサギが!」 主人が吠えた。「馬をなんとかしろと言わなかったか? とっとと連れていけ!」
 農夫は飛び上がって馬のところへ行くと、馬具を急いて外した。
 「酔っ払いめが」 そう農夫がぶつぶつと言い、「こういうやつらは刑務所にでも入ってろってんだ。こんな場所でもう働きたくはない。よその人たちは収穫をしてるが、ここのものは酒をくらって文句を言うだけだ。よその農場主は金を手に市から戻ってきて、秋にやるべきことのために日雇いをやとい、召使いの取り引きをしているが、ここのやつらは畑に人を送ってもいない。『俺の目の届かないところに馬を連れてけ』とこっちがそれしか能がないみたいに言う。ほら行け、走っていくんだ、どこぞの領主でも到着したみたいにな。ご主人様に尻尾をふって、バカバカしいおしゃべりを、酔っ払いの自慢話を何時間でも聞けってか」
 文句たらたらで、馬を小屋に連れていき、雄牛のロープを外し、壊れたカートを脇に寄せ、農夫は去っていった。

 雄牛は突然自由になると、怒って頭をもちあげ、鼻を鳴らした。雄牛は数歩前に進み、3人が言い合いをしているそばで、一瞬、立ち止まった。そして地面を前足でかき、攻撃のチャンスを狙っているみたいに頭を垂れた。

 「雄牛よ、雄牛!」 リースがパニックになって叫び、ひとっ飛びでフェンスを乗り越えた。
 息子のヤーンも雄牛の方に目をやると、横歩きをしながらこう言った。「父さん、中に入ろう、こいつをちょっと歩かせておこう」
 しかし父親のヤークは、ウォッカのボトルを手に持ち、もう一方の手にムチを持ち、雄牛と同じように腹をたて、大きなからだで堂々と庭の中央にとどまった。
 「おまえは俺の家畜だ、俺のいうことを聞け!」 そういうとヤークは2、3歩雄牛の方へ歩みよった。
 「父さん、いいから聞いて、すぐに家に入って!」 息子のヤーンは入り口のところから声をあげた。「動物と競おうなんて、どういうつもりだ。納屋に連れていって鼻輪でゆわえて、それから好きなだけ罰を与えればいい。そばを離れるんだ、父さん!」
 「おまえは俺の家畜だ、俺のいうことを聞け!」 同じ言葉を繰り返して、さらに2、3歩、雄牛に近づいた。「おまえは家畜だ、市で100クローンにもならなかった家畜だ。俺のカートを壊し、バター桶をドブにすっ飛ばし、俺のニシンを道路にぶちまけたのは誰だ? そんなことのためにお前を育てたのか、こいつめが。ミルクと穀物で育てなかったか、小麦粉の備蓄をおまえに与えなかったか? で、お前は俺に問題を持ち込むのか? お前のせいで、俺は誰にも顔向けができない。みんなの話の種になって、アホのようにバカにされてる。ハンゾーヤの主は、お前なんか恐れない、さもしい動物のお前になんかな、お前を100回でもぶちのめす! 角をつかんで押し倒す。そこまで俺が強くないと思うか?」
 ハンゾーヤの主人がムチを振りまわすと、雄牛は2、3歩退いた。

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'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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