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[エストニアの小説] 第5話 #9 聖具室係(全15回・火金更新)

 カトリ・パルビ、メオス・マルティン、マーイヤ・メルツ、トーマス・パルビ、そしてたくさんの男たち女たちがもうすぐそばまでやって来ていた。目当ての二人をすばやく取り囲むと、動物の死骸を狙う鳥のように、ピーピー、ガーガー騒いでいる。一人が袖をつかみ、もう一人が手をつかまえ、3番目、4番目、5番目はそのまわりをピョンピョン跳ねまわっている。そして口々に質問やらなんやらを発して、興奮の頂点に達している。
 「あー、親愛なる方々、わたしの愛する方々、いったいどこにいらしたの?」 カトリは嬉しそうに声を高めた。
 「あたしたち、もう待って待って待ちくたびれたわ」 そう言ったのは花嫁のマーイヤだった。
 「ちょっと他で仕事あったもんで」 ニペルナーティは笑みをたたえて言い、あちこちから伸びる手が自分を引っ張るに任せていた。
 「どこか他で仕事があったんですって?」 とカトリが訊いてくる。「クーラステ? サングレバ? エンブ教区?」
 「あちこちですよ」とニペルナーティ。
 「あちこち?」 カトリが訊く。「あたしたちは待ってたんですよ、ちょっと恥ずかしいことになりかけていて。お客がみんな着いたのに、あなたが来ない。まあ、来たわけだからいいことにしましょう」

 メオス・マルティンは怒りで鼻を鳴らした。なんてことだ、と、どいつもこいつもみんな尊敬すべき聖具室係の袖を引っ張りやがって、パーティ主宰者であり洗礼する子の祖父である自分は近づくことさえできない。で、そこにいる人間を肘で押しまくり、前に出ていった。
 「お二方、シュナップス(蒸留酒)はいかがです? シュナップスでも?」 ニペルナーティの鼻先にボトルを突き出してそう訊く。
 「やめなさい!」 カトリが怒鳴った。「紳士の方々は道の真ん中でボトルから飲んだりはしないの! 庶民とは違うんだから」
 そして急に口調を変え、表情をやわらげて、
 「あー、やっと来てくださったのね! あなたなしで何ができましょう。ツィターまでお持ちなのね。わたしたちはツィターなしでもどんな讃美歌でも歌えますけど、でも伴奏つきはいいわね。きちんと音を合わせて歌えるわね。で、このお若い方はあなたのアシスタント?」
 「そうです」とニペルナーティ。「わたしのアシスタントです。とても良い子ですよ、名前はターベッ・ヨーナです。歌い手が必要ということなら、天使でさえこの男の声にはかないません」
 ヨーナは緊張してソワソワしている。捕まれている手から逃れようと、退きたいと抵抗したが、女たちに上着の袖やへりをしっかり握られ、止金でもかけられたように、包囲されたまま歩いていった。つかまった犬のように、ブツブツ言いながら、不満げにまわりを見まわし、逃げ道はないかと探した。
 「あら、うっかりしてた!」 歩いていた集団が屋敷に着くというところで、カトリ・パルビが突然声をあげた。「この紳士がたがやっと来てくれてとてもありがたいけど、ここのことを何も知らないし、誰の世話をするかもわかってないのよ。どうして紹介するのを忘れたのかしら!」
 そしてニペルナーティとヨーナを取り囲む人々を追いやって、説明をはじめた。「いいかしら、わたし、カトリ・パルビはテリゲステの女主人で70歳の誕生日を今日、祝うことになってます。そのカトリの家にあなた方は招かれました。それからこれがわたしの愛する息子のトーマス・パルビで、その隣りにいる女の子が花嫁となるマーイヤ・メルツ。そしてこれがメオス・マルティン、この人の孫息子の洗礼を今日します。それ以外の人たちは、みんな教区の身元確かな者たちで、どうぞ自由にお近づきになってください」
 カトリは軽く頭を下げ、笑みを見せてこう言った。「お客の方々はもう一度席に着いてください。でもこちらのお二方はわたしたちと少し、今日のスケジュールについてお話をします。その後でテーブルに着きます」
 「スケジュール、その通り」とメオス・マルティンが口を挟んだ。「それについて話し合わねばな。お二方が遅れて到着したから、重要な変更があるし他にも何かあるだろう。でもお二方、シュナップスを一口、受けていただけますよね? スナックも持ってきましょう」
 シュナップスのボトルをニペルナーティの手に押しつけると、メオスは納屋の方に走っていった。
 「とても親切で優しい方ですね」 ニペルナーティは走っていくメオスを目で追った。
 「ほんとうに!」 ヨーナも言葉を発した。
 
 カトリ・パルビは栄光ある聖具室係の最初の褒め言葉が、メオスに向けられたことに少し傷ついた。あの無粋な農夫は全力で、礼儀正しく品あるムードをぶち壊した。どのように話しかけるか、ちゃんとした紳士をどう扱うかまったく知らないこの輩が。この聖具室係は質素な身なりをしており、襟もない服を着て、ブカブカの大きな靴を履いていた。教養のある人はときに、中身は少しも変わらないものの、見た目簡素な装いを良しとし、まわりの人と同じところまで自分が降りていくことで知られる。カトリ・パルビは礼儀正しく軽くうなずいて、庭に入るよう二人を促した。バルコニーの席を二人に示し、長々とした祭りのスケジュールの説明に取り掛かった。1節1節、それを読み上げ、歌や訓話についての箇所にくると、みんなの注意を引くためさらに声をあげた。ところがそのとき、メオル・マルティンと妻のアンが食べもの飲みものをしこたま抱えて戻ってきた。ジェリー固めの肉、ローストポークのスライス、鶏の肉、パテ、ブランデーのボトル、その他様々な食べもの飲みものをテーブルに並べはじめた。

 「お二方はお腹が減ってるでしょう」 メオスの妻アンが言う。「遠くから歩いてきて、さぞ大変でしたね」 メオスも「ちょっとシュナップスを飲むくらい、かまわんでしょう」と言いながら、ウォッカを二人のグラスに注ぐ。
 「わたしどものスケジュールはいかがです?」 メオスに邪魔されて頭にきたカトリは、その言葉をさえぎって冷たく質問を投げかける。

 ニペルナーティは食べ、飲み、親しげな調子で答える。「本当にそうですね、神の言葉は素晴らしく、良きことに溢れています。でも過剰であると、役に立たなくなります。特に、わたしが思うには、あなたの素晴らしく見事なスケジュールは味わい深く専門知識に裏づけされてますが、あまりにたくさんの説話や讃美歌が含まれています。これによって楽しみが邪魔され、お客たちはすぐ飽きてしまうでしょう。人はパンのみに生きない、神の言葉に生きると言われてはいますが、わたしの経験からいうと、パンなしでは神の言葉はあまり楽しめない、そう言わねばなりません。これは真実でしょうか、だんなさん?」

 メオス・マルティンは自分の意見が求められて、嬉しさを隠せない。「そのとおり、そのとおりです!」 素早くそう答え、ウォッカをグラスに注ぎ足し、妻を肘でつついた。

 カトリ・パルビはニペルナーティの言葉を真面目にとったものか、冗談と受けとるかわからなかった。
 「でも栄誉ある聖具室係さま」とカトリは遠慮がちに言う。「わたしどもはとても信心深く、あなたの口から発せられる神の言葉ひとつひとつに喜びを感じるのです」
 「なんであれ」とメオスが割り込む。「わたしは説話だろうが説教だろうが気にしたことはない。ごく短いお祈りで充分、そのあと短い讃美歌をうたって、これで人も神も満足です。これがわたしくし、メオス・マルティン、マルティン農場の主と妻のアンの考えるところです」
 「そのとおりよ」 妻のアンが同意する。とは言ったものの、夫の言ったことを聞き逃していたのだが。
 「聖具室係さまがわたしどもの赤ん坊を洗礼してくれたら、後のことはササッとすませればいい」とメオス。
 「邪魔する気?」 カトリが怒って声をあげた。顔がカッと赤くなる。「あんたは自分の孫の洗礼のことを言ってればいいの、それ以外のことはわたしと聖具室係さまが決めるから」
 「悪い意味で言ったんじゃない」 メオスは謝り、二人の男の前に新たな皿をすすめる。「わたしが聖具室係さまに賛成したのは、過剰な神さまの言葉はご馳走や酒の楽しみを減らすと言ったまでだ。いいかな、わたしは子牛を4匹、子豚を2匹、羊を2匹、鶏をたくさん潰した、朝から晩まで説教やお祈りをやっていたら、いつ食べたらいいんだ?」

 「わかったわかった」 ニペルナーティは及び腰になり、目の前の皿を押しやった。それでみんなはこの男は本当に聖具室係なのだろうか、と思った。
 本物の聖具室係は未だ現れていない、で、この男が身代わりとなった。
 ヨーナもあたりをびくびくして見まわしている。どこか逃げ道はないだろうか、と。食欲もいい気分も消え去った。横に置いた帽子をサッとつかむと手でもみはじめ、走りだす瞬間に備えていた。

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'A Day in Terikeste' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue DaikokuTitle painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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