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もう一つの911/「不屈の民」とアメリカ人作曲家/非米国家はいま/英連邦王国

911といえば、2001年にニューヨーク市他で起きた、アメリカ同時多発テロ事件のことを指すことが多い。でもそれより28年前の1973年9月11日、南米のチリで軍事クーデターが起きて、そこから長期にわたるピノチェト大統領による独裁政権がつづいた(1974年〜1990年)……..ということに思いいたる人は少ないかもしれません。

前者の事件では、アメリカ合衆国は被害者でしたが、後者、チリのクーデターのときは、「加害者」の一部、あるいは時に首謀者とも言われています。

このことを思い出したのはごく最近のこと。わたし自身、チリのクーデターのことは本で読んで知っていましたが、その後すっかり忘れていました。

思い出したきっかけは何か、というと、コロナ禍の中、2020年3月にコンラッド・タオさんというコンポーザー・ピアニストが、ニューヨークの自宅スタジオからライブ配信したコンサートでした。

コンラッド・タオさんは、確かコンサートの予定があって準備していたのですが、パンデミックの影響で中止になり、ライブ配信に切り替えた、ということだったと記憶しています。Facebookを通じての配信でした。タオさんは、そのコンサートの中で非常に印象的な楽曲を演奏しました。チリでクーデターが起きた2年後に作曲され、その翌年、ウルスラ・オーペンスによって初演された作品です。

その作品とは、アメリカの作曲家、フレデリック・ジェフスキーによる『「不屈の民」変奏曲』、英語タイトルは”The People United Will Never Be Defeated!”(団結した民衆は決して敗れることはない)。この楽曲をタオさんが選んだのは、コロナ禍の状況の中で人々に勇気と希望を与えるものを、という意図だったように思います。
以下はそのテーマ(主題)です。(1:20)

この曲の原曲、つまりテーマ(主題)として使われているのは、チリの作曲家、セルヒオ・オルテガ(チリの作曲家、ピアニスト。1938〜2003年)による楽曲です。タイトルは"¡El pueblo unido jamás será vencido!"、意味は上の英語タイトルと同じです。これにはさらなる「元歌」があった、ということを最近、ピアニストの大瀧拓哉さんのnoteの記事で知りました。

…….アメリカ政府の支援の元、アウグスト・ピノチェト将軍の率いる反政府勢力が1973年に軍事クーデターを起こした。これにより、1974年にはピノチェトを大統領とした政権が始まる。それに反発した民衆が全国で約10万人逮捕、約3万人が軍によって虐殺され、また不当逮捕や拷問などが行われ、競技場に収容されて監禁、虐殺されるなど、非常に混乱した時代となった。

このような混沌とした状況の中、1973年の軍事クーデターの前に「不屈の民」は1人の無名なストリート・シンガーによって作られた。たまたまそのストリート・シンガーが広場で叫ぶように歌う様子を見て心を打たれた音楽家セルヒオ・オルテガが、後にそのメロディから楽曲として作り上げ、ヌエバ・カンシオンの代表的グループ、キラパジュンと共に発表したのである。

大瀧拓哉さんのnoteより

*ヌエバ・カンシオン:社会変革運動の中でうたわれ、1960年代以降ラテンアメリカ各地で大きく盛り上がりを見せた「新しい・歌」のこと。

ストリート・シンガーによって歌われていた歌が、チリの作曲家によって拾われ楽曲となり、それを聞いたアメリカの作曲家、ジェフスキーがピアノ変奏曲にした、ということなのですね。ジェフスキーは当時イタリアに住んでおり、またその頃、「ローマはチリの連帯委員会本部が置かれるなど、文化的、政治的な運動の拠点にもなっていた」そうです(柿沼敏江/Mikiki)。そんなこともあって、ジェフスキーはチリのクーデターとそこで歌われた「不屈の民」のことを知ったに違いありません。

そしてウルスラ・オーペンスから、アメリカ建国200年記念音楽祭で弾くピアノ曲の委嘱を受けた際、ジェフスキーはこれを主題とする曲を作りました。建国200年祭? しかもジョン・F・ケネディ・センターでの初演? そこでチリの抵抗歌の演奏とは、なんと皮肉なことでしょう。

ジェフスキーがチリのストリート・シンガーの歌を直接耳にする機会はなかったと思われ、この楽曲がいくつかの偶然によって人から人へと受け渡され、アメリカ人作曲家の作品となり、それが普段バッハやショパンを弾いている各国のピアニストたちに演奏され、多くの聴衆に愛され、支持される作品になったことは素晴らしく、感動的な出来事に思えます。音楽のもつ不思議なパワーの一つかもしれません。

元歌である”¡El pueblo unido jamás será vencido!”の方も、さまざまな言語に訳されて、いろいろな場面で世界中の多くの人々に歌われて続けているとも聞きます。

当のチリでも、今も何かの折り(デモや集会など)に歌われているようです。下の動画のステージで歌っているのは、チリのフォークロアグループ、インティ・イリマニ。1973年のクーデターの後、この歌を世界中に広めた音楽集団だそう。

歌の途中でメロディーのない<シュプレヒコール>(あるいはチャント)の部分があり、人々は「¡El pueblo unido jamás será vencido!」を繰り返して唱えます。「エルプエブロ、ウニード、ハマスセラ、ヴェンシド」「エルプエブロ、ウニード、ハマスセラ、ヴェンシド」(団結した民衆は決して敗れることはない)。こぶしを突き上げながら、人々は声をあげています。

この部分が、この楽曲の中でとても生きていて、大きなパワーを感じさせます。そこに主題のメロディーがかぶり、その上にまたシュプレヒコールが乗ったりして、音楽的にとても効果的だと思いました。

そもそもこの元歌というのが、やはりとても良い、ということがあります。同じくインティ・イリマニによる、パンデミック下の2020年5月のリモートによるオンラインライブ演奏も素敵です。

ジェフスキーの『「不屈の民」変奏曲』の楽譜をさがして、主題の部分を弾いてみました。なんというか、いわゆるクラシックの曲を弾いたときの感じとは、まったく違うエモーション(感情と興奮)がありました。現実感、リアル感、共に生きる時代の感覚、とでも言ったらいいでしょうか。クラシック音楽で、こんなアクチュアルな表現ができるんだ、演奏体験ができるんだ、という驚きです。

ジェフスキーのピアノへの編曲は素晴らしいと思いました。変奏の部分は現代音楽の書法によるものが多く、「元歌」を簡単に感じることはできないのですが。

テーマの部分と第1変奏を少し弾いてみて、とてもいいと思いました。テーマは調性音楽をベースに、元歌のメロディがはっきりと出ていて、その入れ方が素敵だと思いました。四分の四拍子なのですが(拍子表記はなし)、冒頭のユニゾンによる勇ましい数小節の後、四分音符の上に3連符で主題のメロディが乗ってきます。弾いてみるとその3連符が不思議な浮遊感になって、タタタ、タタタ、タタタ…..と気分を高揚させます。

血湧き肉躍る、というんでしょうか、弾きながら「エルプエブロ、ウニード、ハマスセラ、ヴェンシド!」と声をあげたくなるような。

コンラッド・タオさんはライブ配信のとき、iPadで民衆の歌を最初に流し、そこから続けてこの曲を弾いていました。そして演奏中、ときどき小さな声で歌っていました。気持ち、わかります。

音楽ってすごいな、すごいパワーをもってるな、とつくづく感じます。

でもこんなにもこの曲に同調してしまうのは、この歌のメッセージやその背景にあるものに対しての自分の気持ち、南米が抱えている問題をどう捉えているか、どう思ってきたか、とやはり無関係ではないと思うのです。

南米に対して、あるいはアフリカ、中米など世界のあちこちの、大国から理不尽な支配を受けてきた国々、地域に対して、何の関心も知識もない人が、この音楽を聞いただけでシンパシーをもつかと言えば、おそらくそうではないと思います。

今回、『不屈の民』を聞くにあたって、チリのクーデターのことを調べてみました。日本語版ウィキペディアを見てみると、この件への関与について、米国はもう悪魔のような書かれ方です。すべて真実なのか?というような。

ウィキペディアに書かれているクーデターのあらまし:
当時チリに進出していた米国多国籍企業がアジェンデ政権の社会主義的な政策に反発し、アジェンデ政権を打倒するよう米国政府に圧力をかけた[1]。米国政府はチリにおいて各種の秘密工作を実施[1]して軍事クーデターの下地を作ってチリ軍部を反アジェンデの方向に向かわせた。

アジェンデ政権成立後:Wikipedia「チリ・クーデター」

当時のチリ軍部はアジェンデの大統領就任を静かに受け入れていた[1]ので、CIAは、議会での決選投票における票の買収と軍事クーデターという2本柱の作戦を立てた[1]。

アジェンデ政権成立前:Wikipedia「チリ・クーデター」

CIAはアジェンデを鬼として描くプロパガンダを展開した。記者たちに金銭を渡してCIA製の記事を新聞や雑誌に掲載させた。ラジオ番組では迫真の演技も行われた。番組の途中で銃声に続いて女性の悲鳴、「息子がマルクス主義者にやられた」との叫び、など。

アジェンデ政権成立前:Wikipedia「チリ・クーデター」

ウィキペディアによると、こういったことが逆に「チリの民主主義を守れ」と各党の結束を促す結果になり、アジェンデは、世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権の大統領となります。

米国政府はさっそくアジェンデ打倒の作戦に着手した。まず手始めに行ったのが対チリ金融封鎖だった。チリの経済を混乱させ、社会不安を煽り、それによってチリ軍部が反政府で蜂起する口実を作るのが目的だった。米国政府の直接の支配下にある米国輸出入銀行と米国国際開発庁は即座に対チリ融資を停止した。

アジェンデ政権成立後:Wikipedia「チリ・クーデター」

と、どこかで他所でも聞いたことがあるようなことが書かれていて、ああ、またアメリカがよくやるやり口か? のようにも見えます。

ただ記事をよく見ると、出典元として、安藤慶一さんという人の『アメリカのチリ・クーデター』という本が目立ちました。他にも参考文献として、伊藤千尋『燃える中南米』(岩波新書)、朝日新聞社編『沈黙作戦 チリ・クーデターの内幕』など複数の図書があげられていて、クーデターを題材にした小説や映画もたくさんあるようでしたが。

実は何年か前に伊藤千尋著『反米大陸:中南米がアメリカにつきつけるNO!』とガルシア・マルケス著『戒厳令下チリ潜入記:ある映画監督の冒険』を読んでいました。印象は強烈だったのですが、詳細はほとんど忘れていました。何が強烈だったかというと、まずは「反米」という概念です。読んだのは多分10年くらい前ですが、当時、(2001年の911の後だったにしても)そこまで「反米」という存在を、特に南米に関して意識していなかったと思います。

上記2冊の本は、書棚で見つからなかったので古書で買い直しました。またウィキペディアのところで上げた、『アメリカのチリ・クーデター』もKindle版があったので購入してみました。パラパラと見ているところです。

こういった本は、上で紹介したピアニストの大瀧拓哉さんの記事の情報元にもなっているかもしれません。また大瀧さんが紹介していた、研究者の石井玲子氏による「ジェフスキー《「不屈の民」変奏曲》におけるテーマと36の変奏曲の分析と考察」もPDFであったので読みましたが、ここでのクーデターに関する解説も、ここまでわたしが読んだものと、ほぼ同じ内容のものでした。

安藤慶一さんの本に関しては、「チャーチ委員会」という機関がたびたび出てきて、その報告書が事実関係の元の一つになっているようでした。それでチャーチ委員会とは何か、調べてみたところ、アメリカの上院に設置された「CIAのなどの情報機関の活動を監督する調査機関」のようでした。その委員長だったフランク・チャーチから名称はとられた模様。チャーチ委員会は「ロッキード事件の引き金役となった」とウィキペディア日本語版にはありました。

ということで、ウィキペディアに書かれていることは真実に近いと思っていいのでしょうか。それとも一つの見方から書かれたもので、情報元が偏っているということはあるのか。

ずいぶん疑い深いと思われるかもしれませんが、ウクライナ情勢以降、(信頼性があるとされる)大手新聞などから得られる情報に疑問をもつことが増え、どの記事にもなかなか信頼をおくことが難しくなっているのです。それはどちらの側からの情報に対しても、です。

今年8月26日のロイターのニュース(英語版)で、「Only one in three UN members back new anti-Russia resolution(国連加盟国の三分の一しか、新しい反ロシア決議を支持していない)」という記事を見た際、日本語で同じものがあるかGoogle検索してみたのですが、反ロ決議への支持が高かった3月の記事しか出てきませんでした。ロイター日本語版、大手新聞内の検索でも同様でした。

つまり日本語では、国連のこの件に関する最新情報は読めないのです。このことは、大手新聞社のこの問題への取り組みや、記事の書き方を見ていれば、まああり得るかなという感じです。事実関係を描写する際も、書き手の記者による(感情をまじえた)誇張表現を感じることは多いです。「○○が言った」と書くべきところを「○○が言い張った」とするなど。

最近「地政学」という言葉をよく見かけるようになりました。立ち場の違う人の間で、それぞれに使われている感じです。

これは南米が反米大陸と言われていることとも関係あるのですが、近年「非米国家」とされている国々の連携、連帯が目につくようになりました。たとえばイランのような国が、来年、上海協力機構に加盟する、とか。上海協力機構は、中国とロシアが主導する、アメリカ一極集中への対抗軸だとされています。この場合、アメリカの傘下にある日本やヨーロッパの多くの国々も、「一極集中側」と考えていいと思います。

いま世界は、米国側(西側諸国)と非米諸国の二つに分断されているのでしょうか。非米諸国は、米国側が何をどう表現しているか、何をしようとしているか、英語情報などによって知ることができていますが、米国傘下の国々の一般市民は、米国サイド発信の情報しかほぼ受け取っていないと思われます。つまり片側の状況判断および解釈しか知らないということです。

チリのクーデターのことを知らない、南米諸国がアメリカをどう見ているかに気づかない。あるいはアフリカ各国、カリブ海諸国が現在だけでなく、歴史的に見て、西側諸国をどう見ているか、見てきたかは、こちら側(日本も含めた西欧諸国)の人間の頭から、ポッカリ抜け落ちていたりします。

エリザベス2世の死去と葬儀への反応やコメントを見ていれば、ポッカリ抜け落ちた頭で、何を考え発言しているかがよくわかります。

カリブ海にアンティグアという小さな島があります。17世紀にイギリスの植民地となり、1981年にアンティグア・バーブーダとして独立しました。そのアンティグア島出身の作家、ジャメイカ・キンケイド(1949年 - )が詩のような散文で『A Small Place(小さな場所)』という作品を書いています。

The Antigua that I knew, the Antigua in which I grew up, is not the Antigua you, a tourist, would see now.  The Antigua no longer exists.  That Antigua no longer exists partly for the usual reason, the passing of time, and partly because the bad-minded people who used to rule over it, the English, no longer do so.
わたしの知るアンティグア、わたしが育ったアンティグアは、旅行者であるあなたがいま見ているアンティグアと、同じではない。かつてのアンティグアはもう存在しない。わたしの知るアンティグアがもう存在しないのは、一つには(自然の経過として)時間がたったから、そしてもう一つには、ここを支配していた悪い心の人たち、イギリス人がもう今は支配していないから。

ジャメイカ・キンケイド『A Small Place』より(1988年)/訳:筆者
Slaves planting and tilling, Antigua, 1823

最後にもう一度、アメリカ人作曲家ジェフスキーに話を戻します。作曲家であると同時に、ピアニストとしても卓越した才能で演奏活動をしていた人ですが、思想的にはマルクス主義者とも言われ、政治的な作品をいくつも作っているようです。また作品の著作権について疑問をもっていて、コピーレフトの考えから、多くの作品を無料公開しています。私有財産への否定的な考え方により、著作権は音楽活動を阻害するとも発言していたようです(柿沼敏江/Mikiki)。

ジェフスキーはあるインタビューで、音楽の目的について聞かれたとき、次のようなことを言っています。

ヨーロッパのクラシック音楽の伝統によって書かれた作品の場合、いくつかの目的を特定することができると思います。たとえば、19世紀の交響曲は、ある狭い機能をもっていたと言えます。国家的な心理を表す道具としてです。ヨーロッパの19世紀後半の多くの交響曲は、この機能をもっているように見えます。これはブルジョアジーが一つの場所(コンサートホール)に集まる機会となります。オペラハウスは、いわば議会のようなものです。銀行家や政治家、医者、愛国的な知識人たちが一つところに集まって交流し、企業体のようなものを形成するのです。

シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーによるインタビュー

なかなか面白い見解かなと思います。そのように音楽を見ていくと、自分の耳でさまざまな作品を聴いたとき、以前とは違った解釈が生まれるかもしれません。ジェフスキーの『「不屈の民」変奏曲』への取り組みは、クラシックの楽曲をヨーロッパの音楽史の中のどこに位置づけ解釈するか、というときの、この作曲家の姿勢の表れなのだな、と感じています。

タイトルフォト:the western coast of Antigua by David Stanley (CC BY 2.0)

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