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音楽ファンは、テニスファンより偏狭? 戦時の音楽、戦時のスポーツ。


戦時のコンクール

 戦争の最中にあるロシアで開催された第17回チャイコフスキー国際コンクール。今回は西側諸国からほとんど注目されないまま終了しました。日本でも「3大国際コンクール」の一つとして重要視されていた大会ですが、前回(2019年)の藤田真央さん2位入賞のときとは全く違った様相となりました。メディアでの内容的な報道はほぼありません。
Title photo: チャイコフスキー記念碑(クリミア、シンフェロポリ) by Борис Мавлютов(CC BY-SA 3.0)

このコンクールは、ウクライナ侵攻を受けて、国際音楽コンクール世界連盟から除名もされ ています。欧米からの参加者が激減し、中国から多くの人が参加したとも言われています。ウィキペディア日本語版には、世界連盟はロシアを除名はしたけれど、「『全てのロシア人への全面制裁や、国籍を理由にしたアーティストへの差別に反対』する姿勢も示した」の説明がありました(時事通信社の記事を引いているが、当の記事は現在、jiji.comから削除されている模様)。

音楽と戦争、あるいはアートと戦争、国籍とアーティスト。

音楽と戦争ということで言うと、第二次世界大戦のとき、日本では敵性音楽であるジャズや西洋音楽を聴くことが禁止されていたので、押し入れに隠れてこっそりレコードを聴いたなどのエピソードが、当時の音楽家や音楽ファンから披露されることがあります。戦争は国家間の争いごとですが、その当事国の国民(当時の考え方でいうと「臣民」のような感覚か)は、国と同じ思想をもち、国と一体化し、同じ行動・態度をとるべきだということだったのでしょう。

モーリス・ラヴェルの見解

「戦争と音楽」に関しては、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが、いくつかユニークな発言をしています。これは第一次世界大戦のときの話ですが、フランスの熱狂的な愛国者グループが「フランス音楽防衛のための国家連盟」を創設した際、敵国であるドイツなどの作曲家の作品はフランスで演奏されるべきではないと思い、ラヴェルにそれを承認してもらおうとしました。それに対してラヴェルは、「戦時のヒステリー状態にある国家というものと芸術を混同していると非難」しました。以下はそのときに連盟に向けて書いたラヴェルの返事です。

 あなた方の考えに賛同できないことを残念に思います。「音楽の役割は、経済と社会の両方にある」という原理を主張するあなた方の考えに従うことはできません。「我々の国の芸術的な遺産を守るために」「フランスでのドイツやオーストリアの現代音楽の公開演奏を禁止する」必要性など、わたしは考えたことがありません。
 フランスの作曲家たちにとって、国外の仲間の芸術家の作品を体系的に無視することは、そして国家的サークルのようなものを作ることは、危険でさえあります。わたしたちの音楽芸術は、現在、非常に豊かであり、偏見的行動によって閉じこもることがあれば、すぐにでもその質は低下します。たとえば、シェーンベルク氏が、オーストリア人であることは、わたしには何の問題もありません。彼は優れた音楽家であり、彼の興味深い実験が彼と同系の作曲家たちに、そして我々にも喜ばしい影響をもたらしました。さらに大音楽家であるバルトーク、コダーイ、そして彼らの弟子たちはハンガリー人であり、その作品の中で、熱意をもってそのことを明らかにしていることをわたしはとても喜んでいます。

「XIV. ラヴェル参戦」より:
マデリーン・ゴス『モーリス・ラヴェルの生涯

偏見的行動によって閉じこもることがあれば、すぐにでもその質は低下します」のくだりは鋭い指摘だと思いました。

またフランスがマダガスカル島を支配していた時期(17世紀に要塞建設、19世紀末には侵略戦争により島を占領、正式に植民地化している)に、ラヴェルは原住民の怒りの歌である『マダガスカル島民の歌』を作曲しています。その初演の際、一人の聴衆がその中の「アウァ」という歌を聴いて、激しく異議を申し立てました。それは奴隷制と白人の専制への反抗の歌でした。

「アウァ、アウァ! 白人を信用するな、あー、水辺の住人たちよ!」

クレオールの詩人エヴァリスト・パルニによってフランス語に翻訳された詩

マダガスカル島以外にも、1925年当時、フランスは領地であるモロッコの地元民に対して、戦争を布告していました。「我々の国がモロッコで戦っているときに、こんな歌をまた聞くのはごめんだ!」 何人かの聴衆は「よく言った、いいぞ! その通りだ…」と同調したそうです。しかし他の人々は、「嫌なら帰ればいい…」(出ていけ!)「このアホが」「ブラボー、モーリス!」とアンコール演奏に熱狂したとのこと。

初演に立ち会ったのは、アメリカの音楽のパトロン、クーリッジ夫人に招かれた音楽家や批評家を含む人々で、パリのホテルでのガラコンサートでした。ここには政治や偏見に囚われることなく音楽を愛し、国家の枠を超えて、個人としてこの作品を聴き、熱狂し、作曲家ラヴェルを支援した人々がいました。

ラヴェルは当時、クレオールの詩人がフランス語に翻訳したマダガスカル島民の詩集に興味をもっていました。政治的な発言をするように見えないラヴェルですが、自国の侵略戦争や他国を占領することに対して、違和感を、あるいは怒りをもっていたのでしょう。アフリカ系の人々に対しての見方は、ジャズへの独特の見解にも現れています。

ラヴェルは、ジャズは二つの異なるものによって成立していると強く主張していた。哀感や哀調(弾圧された黒人奴隷の声であり、そこにはヨーロッパ系アメリカ人が理解できない、彼らの願望が隠されている)をベースにしつつ、世界を支配しようとしている「新しい(大陸の)人々」の尊大な権力思考がある、と。

「XVII.アメリカ・ツアー」より:
マデリーン・ゴス『モーリス・ラヴェルの生涯』

戦争中の敵国の音楽に対して、占領地の住民の歌に、ジャズに向けて、このすべてにラヴェル独自の音楽と戦争(や覇権)に対する考えが表れているように見えます。フランスを代表する音楽家としての自覚はもちつつも、そして第一次世界大戦のときは、フランス人一兵卒として参戦したいと強く願ったラヴェルですが、音楽を国家の枠組みで捉えようとする偏狭な思考にはあくまでも反対でした。

音楽にも国境線を引くべき?(あるブロガーの考え)

戦時中の音楽家や作家などの芸術家たちの考えや心情は、記録にも残っていますが、大きくは、国家の考えと同調する人々と、そうではない人に分かれます。同調しない人々は、ラヴェルがそうであったように、音楽、あるいは文学というものを一つの理想の地、ユートピアのように、あるいは国家の枠を超える特別な領域、偏見に侵されない聖域と考えていたように見えます。音楽においては、国境線は無意味だとでもいうように。

もし政治や戦争に侵されない特別な領域というものが存在可能なら、人間にとってそこは真の安息の場になるのでしょうか。それとも芸術はある意味、国家を強力に補足するものであり、芸術家は芸術家であると同時に人として国家に対して誠意を見せるべきなのか。

今回のチャイコスフキー国際コンクールは、国際的には、西側諸国の反旗によって小さな大会になり、意味的に価値の低いものになりました。

この大会について、一般メディだけでなく、ブログなどでも内容への評価や出場者について、コメントがほとんどなかったようです。政治的な状況に、あるいは一方の「正義」に取り込まれたということなのか。なんであれ発言して、いいことはない、と。

ある音楽&コンクール好きのブロガーは、「出場した人に尊敬の念はもてない、入賞者に意味はない、音楽が好きだからという理由で出場を正当化はできない……」といった感想を書いていました。ちなみにいつも楽しみにして見ているコンクールを今回は見なかったそうです。(この方はかなりの情報通で、音楽も幅広く聴き、そしてブログの人気も高いようなので、こういった考えが日本でいかに広く行き渡っているかの再確認になりました)

コンクールで出会ったプロコフィエフの2番

あまりにこのコンクールに関する関心や記事がないので、(終了後ではありますが)コンクールのサイトに行って、演奏を直接見てみることにしました。そもそも音楽を楽しむ行為の中で、コンクールというものをわたしはさほど重要視はしていません。が、今回はこのような事情があったので、逆に少し興味をもったのです。

前情報もなく行き当たりばったりの訪問だったので、目についたものをとりあえず聴いてみることにしました。プロコフィエフの名前に惹かれて、ピアノ協奏曲2番のビデオを見てみました。第3ラウンド(最終審査)。これは初めて聴く作品でしたが、曲がいいのか演奏者がいいのかよくわからないまま、胸ぐらをグッとつかまれたみたいな感じで、最終楽章まで一気に聴きました。

ひとことで表すなら、不吉で破壊的な不協和の美しさとでも言いましょうか。ピアノ独奏部の多い楽曲ですが、まずは第1楽章の冒頭の最初の主題(ピアノの右手オクターブによるユニゾンのメロディ)にグッときました。不協和でどこか壊れたイメージ(外れた響き)、それをスタニスラフ・コルチャギン(Stanislav Korchagin)というピアニストが静かな抑制の効いたトーンで弾きはじめました。この主題は第1楽章の間、ピアノと様々な楽器によって何度も繰り返されます。またリズミックな第2主題もわたしの好みで、これはすごい曲だとますます集中しました。

第3楽章はティンパニーではじまるオーケストラが素晴らしく、ああプロコフィエフを聴いているなぁという感慨につつまれます。そしてこの楽章半ばのピアノによる、右手を超えて高音域で演奏される左手の高速アルベジオと右手による高音域のグリッサンドが、非常に美しく際だっていました。この曲は他のピアニストの演奏も後でいくつか聴きましたが、コルチャギン氏のものが一番印象的でした。

そして第4楽章は途中に挟まる民謡的な素朴な歌(主題)が、不協和に満ちた全楽曲の中で、特別な効果をあげていました。

この演奏家(コルチャギン)は、最終的に3位だったようで、他にこの曲を弾いた人はいるかと調べたところ、1位になったセルゲイ・ダビチェンコという10代のピアニストもこの2番を弾いていました。彼の演奏は集中力が高くエネルギーに満ちた良い演奏で、弾き終わった途端、会場からスタンディングオベーションを受け、聴衆の大喝采がありました(会場にいたのは、おそらくロシア人が大多数だったのでは?)。個人的にはコルチャギンの演奏が好きでしたが、会場で聞くとまた違った印象があるのかもしれません。

この曲を弾いたのはどちらもロシア人でした。チャイコスフキー国際コンクールは、チャイコフスキーの楽曲を中心にしながらも、他の作曲家の作品も演奏曲目に選ぶことができます。コルチャギンの演奏が気になったので、第1、第2ラウンドの演奏曲目を見てみました。第1ラウンドに『眠りの森の美女組曲』があり、管弦楽によるオリジナルのバレエ曲はよく知られていますが、ピアノへの編曲があるとはまったく知らなかったので、その興味もあって聴いてみました。

まず冒頭に圧倒されました、これか、と。「序奏とリラの精」と題されているものの、それは悪の妖精カラボスの登場の音楽でした。バレエファンならよく知る登場シーンであり、音楽です。ピアノ音楽としても度肝をぬかれる始まり方でした。コルチャギンはこれを最大限にドラマチックにカラボスが弾いているみたに演奏し、この人はこういう何か不吉感のある悪魔的な楽曲が好きなのだろうか、と思わされました。

それは第2ラウンドに、ラヴェルの『ラ・ヴァルス』が選ばれていたことからも、ある程度当たっているかもしれません。『ラ・ヴァルス』はこれがどういう曲なのか理解したあと、わたしが非常に親しみをもって聞くようになった作品です。これはラヴェルが戦争を体験したあとの苦しみの中で書いた曲で、ヨハン・シュトラウスの古き良き時代の、のどかなウィンナ・ワルツと、戦後の社会や人々のすさんだ気持ちや不安を表す、不吉で不協和なワルツ(狂気の旋回と乱舞)がカオスとなって混じり合う、世評的な要素のある楽曲です。

チャイコフスキー国際コンクールで聴いた曲は、ピアノを中心にごくわずかですが、プロコフィエフの作品と出会えたこと、チャイコフスキーのバレエ曲の編曲を見つけたこと、そしてロシア人ピアニストの演奏をこの時点で聴けたことが、忘れ難い経験になりました。

前述のブロガーの方の「入賞者に意味はない」ということでもないな、と思いました。参加者の音楽を聞けて、一つ新たな窓が開いて、わたしは幸せでした。むしろ政治的な理由やある種の偏見のせいで、音楽を否定することになってしまった人は、損をしたのかもしれない、と。
このコンクール、将来復権はあるのでしょうか。それは今後の世界情勢と密接に関係しているように思います。また(もう偉大ではなくなったコンクールの)日本人を含む、過去の入賞者、受賞者の評価は、今後どうなるのか。

WOWOWウィンブルドンの怪

ところで今、ロシアを排斥しているのは音楽の世界だけではありません。スポーツの世界でも、国籍による差別で、アスリートを締め出すことが起きています。民主主義を誇る国々による、ある種の人権侵害、個人攻撃と取ることもできます。

このようなことが起きるのは、現在の世界が西側諸国という一部の国々の世界観と支配によって統治されているからです。それは19世紀、20世紀と昔から連綿と続いていることであり、アフリカ諸国や南米、中東、インドや中国、インドネシアなどのアジアの国々の価値観と同一のものではありません。全世界的なものではないものの、今のとことろまだ力を保っているから、思想的に支配できているのです。

7月にロンドンで開催されたウィンブルドン・テニスでも、差別に値するような奇妙なことが、テレビ中継で散見されました。ウィンブルドンはグランドスラムと呼ばれる四大大会の一つですが、前年はロシア人の参加を認めませんでした。ロシアにはトップテンに入る選手が2、3人いますが、中でも世界ランク1位になったことのある、この大会時3位だったメドベージェフ選手が、今年は準決勝に進んでいました。

日本での放映はWOWOWとNHKで、わたしはWOWOWを準々決勝時に急遽契約しました。7月11日の朝、オンデマンド視聴の契約を開始し、朝8時ごろから前日のメドベージェフとユーバンクス(米)の試合をノートパソコンで見始めました。第1セットの3ゲームまで見たところで、仕事のため中断しました。そして昼休みになって続きを見ようとして、パソコンではなく、モニター(Fire TV)でWOWOWのコンテンツを探すと、該当する試合がありません。同じ日のもう一つの準々決勝の試合は表示されています。おかしいなと思い、ノートパソコンを開いて、朝開いたままにした該当のページを見ると、「現在このコンテンツは削除されたか、アドレスが変わって見ることができません」となっていました。

朝見ていた最新の試合が、どうも削除されたようでした。信じられないことですが、メドベージェフの試合はもう見られなくなっていました。昨日の試合がアーカイブされない? オンデマンド契約でこんな奇妙なことは、経験がありません。

それでWOWOWのカスタマーセンターに電話で聞いてみることにしました。担当者の回答は、この試合を削除したのは間違いのない事実で、それを認めました。理由は「試合によって見れる期間の契約が違い、この試合は翌日の朝9時までになっている」とのことでした。しかしWOWOWのトップページなどには、8月15日まで視聴可とあり、例外の記述はありませんでした。

サッカーでもテニスでも、試合のあった翌日の朝にコンテンツを削除するなど、聞いたことがありません。アーカイブされてこそのオンデマンドのはずです。すると電話口のカスタマーサービスの人が、もっと事情を知る内部の人にあとで電話させる、と言い出しました。

こんなことに1日中関わっていられるかとの思いもありましたが、これは異常事態だし、せっかく3000円弱払ってサブスクリプションしたのに、見たい試合が削除されるなんて契約違反でしょう!と言いたくもなっていたので、了解しました。

2、3時間して、WOWOW内部の番組担当者から電話がありました。開口一番、「ウィンブルドンは他のグランドスラムの大会と違って、イギリスのテニス組織が管理しているのです。そことの規約によって、試合によって試合の翌朝9時までの視聴に限られる、ということが起きます」と言い、試合の削除はWOWOWの決定、責任ではないとのことでした。そして「いや、わたしも準々決勝の試合が、翌日の朝までしか見れないのはおかしいと思います」と付け加えました。

本当のことなのかな。そう思いましたが、向こうは規約だから従うしかない、の一点張り。百歩譲ってそれを認めたとしても、最低でも契約時にわかるように、あらかじめ「試合によって、翌朝までしか見られないものがあります」「この試合とこの試合は….」と書くべきじゃないでしょうか。極端なことを言うと、「8月15日まで視聴可」と表示しておきながら、一部の試合を削除する、悪質な詐欺行為とも受け取れます。

ただ話していた感じでは、どの試合が翌日削除に当たるかは、WOWOW側も事前にはわからない…的な話もあったように思います。えっ、事前に決まってないのに規約がある??? 「準決勝のアルカラス対メドベージェフ戦は、ライブ放映後も見れるんでしょうか?」の問いに対しては、「大丈夫だとは思いますが、先の試合なのではっきりとは言えません」とのこと。んんん、これ、おかしかくないですか?

その後、WOWOWでメドベージェフの試合をチェックしたところ、準決勝を除く、今大会すべての試合がメニューから削除されていました。さすがに(今大会優勝した)注目株のアルカラスとの試合は削除できなかったようです。

責任の所在はどこに?

WOWOWの責任ではない? そこにはあまり信頼を置いていません。というのも、YouTubeの公式ウィンブルドン・チャンネルでは、メドベージェフの試合のハイライトや試合後のインタビュー映像も載せていたからです。ここで初めて、他の選手と同様、メドベージェフに対しても、インタビューや記者会見があったことが判明しました。

WOWOWOの放映分には、そういったものは一切ありませんでした。カスターマーセンターに電話したとき、向こうのスタッフが、「ライブ配信」のところのタブから、(削除された)メドベージェフの準々決勝の試合の一部がご覧になれます、というので見てみました。それは8時間くらいの、その日の試合がズルっと収録されたビデオで、「何分のところにあるのですか?」とわたしが聞くと、調べてきますと言って、「6時間….のところあたりからです」の返事。

インジケーターをそこに合わせて見てみると、第3セットから何の注釈もなくいきなりはじまり、試合終了と同時にブツッと切れて、音楽入りのイメージ映像に切り替わりました。試合後の両選手の表情もなければ、試合後にあったはずの勝者メドベージェフのインタビューもありませんでした。

これをどう受け取るか。
もしかしたらメドベージェフの試合を削除したのは、ウィンブルドンを主催する組織との規約ではなく、WOWOWとNHKが忖度して独自判断でやったことなのではないのか。などの疑いの気持ちが湧いてきます。

もしそうだとすると、いったい誰に対して忖度したのでしょう。それは国内の、つまり一部の日本人に対してだったということはないのか。「戦争をしかけた国の選手の試合を放映するのかっ!」といったクレームに対しての恐れ。

ウクライナ紛争後に恵比寿駅のキリル文字による案内を表示するな、とクレームをつけた人がいて、JRがそれに従ったという例がありました。そのクレームは、キリル文字がウクライナ人にとっても有効だということすら知らない、思いつきの「正義感」によるものでした。そしてJRはそれを受け入れたのです。

ウィンブルドンの試合の放映で、似たようなことが起きていたかもしれないことは充分想像できます。

スタジアムの観客は受け入れた

当地の観客はどうだったか、というと、準決勝のアルカラスとの試合でもそうでしたが、(ウィンブルドン公式の)それ以前の試合の勝者インタビューでも、メドベージェフは公平に扱われ、良いプレーをすれば喝采され、インタビューの答えが面白ければ笑い声で観客は応えていました。場所はイギリスなのでイギリス人が多かったのではと思いますが、ヨーロッパの近隣国からやって来たテニスファンも、きっとたくさんいたでしょう。

テニス好きの、グランドスラムのファンたちは、国籍による差別をアスリートに対してしなかったように見えます。

音楽は…… 残念ながら国籍による演奏家への差別がありました。音楽を心から楽しんでいるであろう人々に、大多数の音楽ファンに、ロシア人は許されなかったのです。

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