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[エストニアの小説] 第5話 #6  お客たちの到着(全15回・火金更新)

 そして土曜日の朝がきた。まだ早い時間だ。
 カトリ・パルビは前の晩、眠れなかった。夕方サウナに行って、からだを洗い、真夜中まで蒸気の中にいた。そして自分の部屋に戻ると、祭りのために着飾ることをはじめた。チェストの底から古き良き時代の美しく、高価な服や装飾品を引っ張り出す。白いレースの手袋、娘時代のシルクのドレス、スカーフ、マフ(円筒状の防寒用毛皮)、帽子は虫にくわれて酷い状態で、取り出した途端ボロボロに砕けた。また古い靴はハリネズミのように巻き上がり、底がはがれていた。それでもあれやこれやがまだあった。服の切れ端、リネンのレース地は縫い合わせれば、着ることができそうだった。この日、カトリは念入りに服を整えたかった。今日は大事な日、人生で一番重要な日なのだ。だから美しくて高価だと思えるものすべてを身につけた。レースにブローチ、色鮮やかなベルベットの花飾りのすべてを。さらに大昔の流行遅れの、干し草の山みたいな大きな帽子もかぶった。その帽子はコウノトリの巣のようで、羽根飾りには奇妙なキラキラしたフリンジがぶら下がり、突然の嵐に襲われたような見映えだった。
 
 カトリが準備を済ませて庭に出ると、メオス・マルティンがびっくりして飛び上がった。
 「わぁっ!」 大声を出して、カトリの姿に目を見開いた。
 「でしょ、でしょ」 カトリは誇らしげに言う。「時間をかけてこんな風に着飾ったのよ。どう、素敵でしょ? まあ、ちょっと古ぼけて流行遅れなところがあるかもしれないけど、いつも流行を追う必要があるかしら? 大事なのはいい感じで、美しくて、本物の女に似合ってるかどうかよ」
 メオス・マルティンはちらりと見て、素早くウォッカを飲み干し、こう言うしかなかった。「いいね、ああ、とてもいいよ」
 「このおいぼれの臆病者が!」 そう自分をなじる。「これがこの女がきれいにしてるってことか。もし人けのない場所で見たら、木に飛びついて神に祈りを捧げるだろうな」
 「いいでしょ」とカトリ。「でも苦労したのよ」
 カトリは嬉しそうにレースに手をやり、小さな造花を整え、満足げにこう言う。「もう何もするべきことはないわね、あとはお客が来るのを待つだけ」 

 太陽はやっと昇りはじめたところで、最初のお客が屋敷の前に到着しはじめる。まずテニス・ティクタが大家族を引き連れて現れた。敷地に入ってきたぎゅうぎゅう詰めの馬車から、人が次々に降りてきたが、アリンコが巣から出てくるみたいに終わりがなかった。庭は男、女、子どもたちで埋まり、大声が行き交い、言い争い、叫び声をあげ、誰かを呼び、蜂の巣をつついた騒ぎになった。テニス・ティクタの息子、スペード型の黒いあごひげのアルベルト・ティクタが、馬を納屋におさめ、命令口調で女たち、子どもたちに怒りの声をあげている。それでも父親のティクタの方は、庭にやって来て、カトリに祝いの言葉を述べた。
 「ああ、やっと着いたよ。やあ、誕生日おめでとう!」
 少し口をゆがめ、歯の間でパイプを噛みつけると、カトリの前にじっと立っていた。いや、この女は、自分がカトリを尊重する気持ちでここに来たと思ってはならない。飲みものや料理、豪華なパーティ、素晴らしい祭り、カトリや赤ん坊の洗礼式に贈り物を届けるためになどとは! 違うのだ、この男はもう一度、この女と村の人々に自分の怒りと蔑みを見せたいがために来たのだ。ここの主を見てみろ、カトリはまるで皇帝の妻か何かみたいに着飾って、皆を素敵な食べもの飲みもので驚かせたいのだ。いや、くそったれが、テニス・ティクタはカトリが自分には何もしてくれなかったと言わねばならない。空からハチミツが降ってこようが、天使のコーラスが響きわたろうが、この男はすべてに対して冷え冷えとした感情をもっている。テニス・ティクタはもっと豪勢なパーティを見たことだってある、自分の目で、もっと素晴らしい祝祭を見たことがあった。この筋だらけの年寄りが。この女はティクタの全人生を枯らしてきた。そして今、こいつは自分の栄光を豪語したいのだ。
 
 次は金持ちのレオサ農場の主人ヤーン・メルツが妻と花嫁である娘をともなって現れた。馬車から飛び降りると、メルツは手綱を妻に投げ、そこに立っていた。
 「ここには礼儀ってものがないんだな。誰も迎え出てこないのか?」 こう言ってメルツはクマのように辺りを見まわす。気分を害して頭をそらした。
 「じゃあ、母さん、家に戻るとするか?」 ふてくされて訊く。「ここで今日は祭りなどないぞ」
 ところが幸せいっぱいのトーマス・パルビが走り出てきた。
 「ああ、君がいたか」 レオサの主人、ヤーン・メルツは驚いたというように言う。「この荷物と女たち、馬の世話をたのむ。わたしはちょっとその辺を歩いてくる」
 メルツは唐突に向きを変えると歩き去った。まだ聖具室係が来ていないというのに、どんな用事があるというのか。聖具室係はそんなに早くは来ないだろうが、ここで騒いでいる女たちをどうする? あー、まるごと悪魔に任せてしまうか。レオサの主人はトーマスも頭のおかしい母親のカトリも嫌いだった。アホで気取りやのこの二人は悪魔のところにでも、しばらく送られた方がいい。しかしこのような未婚の母の息子が家にやって来て、自分の娘をたぶらかし汚すというときに、そして自分の義理の息子になろうというときに、何ができようか。ムチ打って、この悪童にエルサレムへの道を示すべきか。が、もう手遅れというときにはどうすればいい。穏やかな顔で、礼儀正しく会話し、この未婚の母の息子の申し出をすべて受け入れるのか? レオサの主人は妻と娘をそこに残して出ていった(未婚の母の息子は、どちらでも好きな方を相手にすればいい)。運や変人に逆らって何ができる? この男には一つ、人生において信じていることがある。人間は運命と変人には逆らえない。それゆえ一発見舞うことなく、それに身をゆだねるしかない。これによって無用なイライラやエネルギーの損失を防げる。あきらめて、違う道を選ぶことだ、カタツムリのように。
 
 で、レオサ農園の主、ヤーン・メルツは森に行き、居眠りをしようと木の下に横たわる。昼前に祭りに顔を出すつもりはない。昼過ぎに行って様子を見ればいい。あいつらは自分抜きで食べたり飲んだりすればいい。家畜類、穀類、金はもう送ってある、あとはその富を皆で消化すればいい。それ以外、自分に何ができる? レオサ農園の主人は胸に手を置き、足を広げ、すぐにいびきをかきはじめる。

 トーマス・カルビはしかし、花嫁を納屋に連れていき、喜びと感激で胸をいっぱいにして立っている。花嫁の目を覗き込むのが恥ずかしく、自分の力強い腕を巻きつけて、引き寄せ抱きしめたいと願っている。ところが水銀みたいにつかみにくいこの女は、じっと立っていることがない。これを見ていたかと思うと、あっちに何か見つけ、あれこれ触りまくり確かめないと落ち着かない。それでトーマスは花嫁を腕に抱くことが叶わない。この女はそわそわとあっちへこっちへと飛びまわり、まるでイナゴのようだ。今やっと二人きりになれて、いろいろ話し合うのに好都合なのに、あとになればその機会はなくなる。しかし女というのはこんな風で、男の気分や求めていることを理解しない。そしてマーイヤ・メルツはもう納屋の外、小さな女の子みたいに庭を走りまわっている。
 馬車が次々に敷地に到着する。ユリ・アーパシバーの家族が3頭の馬とともにやって来る。ヤーン・ヤルスキのところの人々は、洒落た馬車で到着。友人たち、知り合い、遠くからの人、近くの人、農園主に農夫、職人に事務員、女たち男たち、若い娘に子どもたち。大きな川の流れみたいに、屋敷の前に流れつき溢れんばかり。カトリ・パルビとメオス・マルティンはそこで立ちつくし、たくさんのこんにちは、おめでとうと贈り物を受け取る。女たち数人がカトリと納屋の間を忙しげに行ったり来たりし、子牛の半身、屠殺した子豚、豚のもも、パンの塊、ケーキ、ウォッカのボトルなど、お客が持ち込んだあらゆるものを運んで走りまわる。

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'A Day in Terikeste' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue DaikokuTitle painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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