マインドフルネス、未だ成らず
自動思考から行動に至るまで、わずか数秒。
本日も些細な事から、母と諍いを起こし、早期不適応的スキーマの思う壺にハマって、情けなくも涙して、いただけない対処モード(寝逃げ)全開になってしまいました。──進歩がないなぁ、私。
マインドフルネス=最も苦手かもしれない
とある方の自伝を拝読したみぎり、電撃的にスキーマ療法なるものに出合い、『これだ!』とテキストを揃えてワークブックに取り組み始めてから、まだ一年と経っていません。
ですが、本の内容もいよいよ2冊目に入り、徐々に核心部分に迫りつつある中、私に課されたお題は目下、マインドフルネスをいかに我がツールとして使いこなせるか、という一点につきます。
日々、自身の内面に降りかかる心的困難に対して、自動思考が湧き上がると同時に、俯瞰的に自らの思考や身体反応を観察し、善悪や好き嫌いなどの思考を排除し、ただただその状況を味わい、最後にスッと手放す。
文字にしてみれば、至極シンプルな流れなのですが、意識するぞと心に決めて取り掛かっても、いざその場面になると、上手くいかない自分がいます。
見ようとすると、頭にノイズが掛かったような状態に陥り、思考がまとまらず、パニック状態になった瞬間、ボロボロと泣き出したり、自虐的な考えで脳内が占められてしまい、冷静な観察にまで至ることができません。
脳の報酬系との相性が悪い?
一筋縄ではいかないと覚悟はしていたものの、何の判断や思考も介さずに、自身の状況を観察するというのは、なかなかに高度な御業だと、つくづく思い知らされました。何の先入観も持たず、判断も持ち込まずに、困難な状況下に晒されている自分をまじまじと見つめるというのは、相当な苦しさを伴います。
もちろん、自然にできるようになるまで何度でも引き返して、根気強く取り組む時間が必要だとテキストには書いてあるのです。
が、報酬系がイかれてる私のADHD脳は、成果(ごほうび)を早く貰いたい! という焦りの嵐に巻かれている状態でして……、そこにも冷静さを欠く一因があるような気がしています。この一連の方法で生まれ変わった状態に早くなりたい……と答えを急ぎすぎているのですね。
このワークブックの著者でも、スキーマ療法に数年単位で取り組んだと記しているのに……私は本当に、おこがましい人間です。
褒めてくれる人がいることのありがたさ
そんな今日、カウンセリングで心理士の方と面談し、認知行動療法を用いて、今回までに自分なりにやってみたこと、思っていること、難しい事などをひとしきり、訥々とお話させて貰いました。
その際、能動的に『こうしなさい!』とアドバイスいただく場面は全くないのですが、自分的にちょっとしかできていない……と思う部分を、それこそ寛容に受け入れて、しかも褒めて下さる事を『ありがたいな』と、しみじみ思います。
自分の人生での比率はどちらかと言うと、【厳格な指導>褒めて伸ばす指導】だったので、ちっぽけなことを褒められるということに、未だ面映ゆさや居心地の悪さ、申し訳無さを感じているのが正直なところです。
ですが、どんな小さな事でも一人、評価してくれる人がいるという心強さは、次への意欲、【継続】を約束してくれる万能薬みたいなものですね。友人関係などを都度リセットしてきた私にとって、他人の存在は、とにかく希薄なものだったのですが、御縁あってカウンセラーの方に助けていただいている。今となっては何ものにも代えがたい、財産だなとひしひしと感じています。
ひとまずは、のど飴エクササイズから
何にしても、スキーマ療法のコアを習得するにあたって、マインドフルネスは絶対的に必要不可欠です。自分の置かれている状況を日々観察する癖をつけ、自覚することで、ショックとパニックに陥っている現状を改善する。原因(つまり、こうなっている理由)が明確に分かれば、過度な恐れや不安に苛まれることがなくなるのですから、やらない手はない。
そこで、まずは基本に立ち返り、レーズンエクササイズ(レーズン一粒をマインドフルに味わう)を始めようと思ったのですが、手元にレーズンが一粒もありませんでした。冬に使ってしまった事を思い出しても、後の祭り。
先延ばし気質がひょっこり顔を覗かせ、『今度、買ってからでええやん』と誘惑してきますが、それを抑えてひとまずは、昨日購入したフルーツのど飴で取り組みます。
目標は40分。食べ終わるまでに40分はじっくりと取り組んで、自分の身体にマインドフルネスを根付かせて行こうと思います。
上手くいくかは……どうぞ、祈っててください。