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片付いてない部屋って

その過ごしにくさと、視界の暴力。片付いてない部屋って、いざ目の前にすると……愕然としませんか。
部屋の至る所に、私が集めた諸々の品が、いつの間にか溺れるように広がっています。
どうしてこうなるかは分かっていても、即応的に治るものではないことが厄介で、自分でもほとほと呆れてしまいます。



私こそ、片付けられない人間の一人です

私が私を疑った理由はこれだった

自己紹介のくだりで明かした通り、現在の私は神経発達症(ADHD/ASD)の診断をくだされています。そもそも、生きづらさの全ての原因は自身がアダルト・チルドレンたる事で起きているのであろう、と信じて疑わなかった私。
ですが、幼少期からの深い悩み事がもう一つ。それは、何を工夫しても、どんなに叱られても、すっきりと身の回りを片付けられないというもの。

これについては長らく、主に親から羞恥心を煽り立てられながら──同級生が、他所の人があなたの部屋を見たらどう思うか、これこそゴミ部屋じゃないか等──注意され、指摘を受けるという経験を繰り返してきました。そのたびに、苦手なりに時間を掛けて、何とか体裁だけは整えて【部屋の片付けが出来た】状態にしてきたのです。
しかし本当の意味では一向に片付いてなどいない、使いやすくもなっていない部屋で悶々としながら、他方、周囲の人が簡単に片づけていく様を見ては、物に囲まれて踏み場所もない部屋の中で、自己嫌悪に陥る日々。他人からも自分からも、片付けられない自分を責め立てられては、どうにもならない袋小路に迷い込んで、幾度涙をのんだことか……。
しかし、後悔も失望も数えるのが馬鹿らしくなった頃、ふと懐疑的な視点を自分に対して向けたのです。

熟練の収納アドバイザーの知恵にも、ときめき整理術にも対処法を見出だせないこれ、アダルト・チルドレンの弊害とは、別次元の非凡さが絡んでいるのでは──? と。

【発達障害(神経発達症)】との出合い

そんな折、公共放送の某朝番組にて【大人の発達障害(神経発達症)】という言葉に遭遇します。母からの「この人の言ってる困りごと、夏莉のと似てる」との台詞に、その番組に出演する当事者の人々の悩み事を聞いてみれば、そこはかとなく自身と重なって見えて、カルチャーショックを覚えました。ショックといっても、どちらかといえばポジティブな……そう、難解な問題の答えにやっと辿り着いた充実感のようなものを。
私もこの特性を持っている当事者なのかもしれない。そんな直感で、全身が粟立っていました。

そこからは、矢も楯も堪らず、普段の頑固な先延ばし気質を勢いで押し殺して、動き出しました。
地元でも神経発達症を調べられる医療機関があるのか──検査機関を這々の体で探し出し、問診、検査、そして受診を繰り返し、乗り越えた末に、私のもう一つの悩み事に絡む原因があることを突き止めました。ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム)という特性です。
物事を得る時に止められないほどの衝動性が発揮され、空間認識能力がことさらに弱く、加えて物事の優先順位付けをする部分が著しく弱い、という特性に振り回されている。新しい自分との邂逅です。

参考書籍を片手に試行錯誤

シン・ワタシとの出会いと共に、今までのやり方は変えないといけない事を悟りました。普通のやり方はいわずもがな、エキスパートの言う計算された収納、その物品へのときめきの有無等……私には高度な技術であり、そもそも適応外の人間だったのですから。
衝動性が著しく高い──つまり、収納のための収納用品を衝動買いしてしまう可能性が、そこはかとなく高い(この衝動性、推し活との相性も最悪では?)。
物の優先順位付けレベルが底辺の次元では、ときめきの有無を調べるのに、冗談抜きで一生くらいの時間を掛けてしまう(大概ときめいてしまう)。
そのくせ、収納への変なこだわりを持って、自分らしさを発揮しようとしてしまう愚かさ(アイデアが浮かぶと、やらずにいられない)を、抑圧していかなければなりません。
こんな愚か者は、端から無印収納のお世話になる訳にはいきませんでした。

あらゆる物を、衝動性に任せて(これは良い衝動)、夢中になって(過集中とも言う)調べ尽くした際に辿り着いたのが、この本。

ADHD当事者である著者。片付けについてのライフハック本としては、なかなかに参考になりそうだ……と、図書館で借りられるのに、衝動的にポチッと電子書籍で購入してしまったことを、ここで告白いたします。
が、結果的にこの本を購入して、ある程度の部分を真似ることで解決していくことが確かにありました。

“だけ”でいい片付け。
衝動買いについての対処法や、優先順位を付けられない私にうってつけの、『物の一次避難』という考え方は、私をすくい上げてくれました。幼少期から、『迷ったら捨てろ』と言われて、心苦しい気持ちのままに物に別れを告げたせいで、反動買いが起こっていたのです。
しかし、この『物の一次避難』の法則のおかげで、物の仕分けの手を長く止めてしまう事は少なくなります。今まで私を苦しめた反動買いに対しても、良い効果を期待できそうです。

というか……こと片付けに関して、こんな事すら自分ではできないレベルなんです。驚くか、悪ければ引きますよね。
しかし、どんなに取り繕っても出来ないものはできない。そう、今ではある程度受容できているのと、開き直り半分とで何とか立っていられています。この本をバイブルに、日々情けなさに項垂れながらも、日進月歩。ポツポツと片付けを継続し、物を買うときに処分の事にまで意識を向けられるようになったのは、確実なる成長ではないか、と自賛する日々です。

片付いていない部屋って

視界の暴力です。枕辺の棚上を見て、今まさに愕然としています。
いつこうなったのか、何故こうなったのかは思い出せないですが、私がしたことだけは確かです。こんなに簡単に、息するように場所を荒らして回れるなんて、ほとほと自分の才能に呆れるばかりです。
でも、この部屋を作り上げたのは私。そして、今ではあらゆる対処法を使いながら、そしてゆっくりながらでも、以前より明確な目的と意識でもって、確実に片付けを実行している。
そんなちっぽけな成長を見せた自分に、如何ばかりかの愛着を感じるのだけは、どうか許してくれませんか?と、誰にともなく語りかける日々なのであります。


前回、はじめてのnote記事に、ご反応頂けたこと、たいへん嬉しく思います。
ここまでお読み下さって、有難うございました。


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