見出し画像

今できることを積み重ねていく

今できることを積み重ねていけば良い。そうすれば、いずれ行き着くべき場所に辿り着く。

そこに到達するまでの、私の物語。

先の不安しかない空っぽの毎日

中学の頃だったか。
私は常に見えぬ何かに怯えていた。他人の目をやたら気にしだしたのもこの頃だ。

当時私は吹奏楽部に所属していた。わりと熱心な部活で、コンクールに向けて一人ひとり演奏させられる「テスト」があった。

テストの日程が発表されると、私は1ヶ月以上も先のそのことで頭がいっぱいになった。
上手く演奏できる自信がない、叱責されたらどうしよう、コンクールに一人だけ出られなかったら恥ずかしい...。
毎日そんなことばかり考えていた。

不安ならば自信が持てるように練習をすれば良い。
今ならそう思えるのだが、当時の私は物事を前向きに考えることができなかった。堂々巡りというやつだ。
マイナスの考えに囚われて、ぐるぐると悩んでばかり。動けなくなってしまうのだ。

テストの不安で頭がいっぱいとなり、練習には全く身が入らなかった。

先の物事に対する異常な不安や恐れは、社会人まで続いた。
進学、就職、転職・・・。人生はイベントの連続だ。
不安がようやく過ぎ去ったかと思えば、また新たな不安がやってくる。
そうして私は、得体の知れない不安と恐れに身動きが取れなくなり、中身のない日々を10年以上も送ってしまったのだ。

今と向き合うきっかけとなったもの

大学時代の求職活動は難航したけれど、何とか内定をもらうことができた。しかし入社して1年も経たず、メンタルダウンして休職することに。その後摂食障害の診断を受け、退職した。
今振り返って見ると、職場での過度な評価にプレッシャーを感じていたこと、営業的側面がある仕事に向いていなかったこと、会社の方針に疑問があるまま一生働き続ける自信がなかったことが、摂食障害になった要因だったと感じる。

摂食障害。「拒食症」いった方がイメージしやすいだろうか。
私はカロリーがある食べ物を口にすることが怖くなり、葉物野菜や低脂肪のタンパク質しか食べることができなくなった。
飲み物に含まれる僅かなカロリーさえ気にした。

体重は30キロ代。脳に栄養が行き届かないとは、まさに当時の私の状態。
常に眠くて怠い。物事を正しく認識したり考えたりすることも難しい。私は家で動かぬ人形のようになっていた。
心配した両親に連れられ、精神科を受診。病床が空いたのち即入院となった。
そして約半年続いた入院生活が、自分と向き合うきっかけとなったのだ。

入院当初は将来の不安に押しつぶされそうになり、病室で一人こっそり泣くことも多々あった。焦りはあるものの、社会でやっていける自信がなく、この先私はどうなってしまうのかという不安の波が押し寄せる。仕事を1年で退職し、摂食障害となった私を雇ってくれる企業なんてあるのだろうか、と。

そんな時、心の支えになったのは父の言葉だった。父は楽観的な性格で、私が摂食障害になったことも、これまでの私の人生も、丸ごと受け止めてくれた。

今は自分と向き合い、やりたいことや、できることを探す良い機会だ
そんな言葉をかけてくれた。

父の支えもあり、私は入院中に少しづつ自分のやりたいこと、できることを考え始めた。
そして行き着いた先が、自身のこの経験を活かして生きていくということ。
スキルも経験もない。特技もないけど、自分のこの経験は活かせるのではないか?と思ったのだ。

退院後、とりあえず就活をしたら経営ギリギリの中小企業に拾われた。
ところが入社して1年経った頃、大量のリストラが行われた。
私はリストラを免れたものの、この会社にいても先はないのでは?という不安に駆られた。
しかし今回は、ただ不安に囚われるだけではなく、今できることを考えようと、気持ちを切り替えることができのだ。

そして入院中に辿り着いた自身の経験を活かせる仕事を調べ始め、「精神保健福祉士」という道を見つけた。
これだ...!と思ってから行動にうつすまではわりと早かった。

私は会社を2年弱で辞め、精神保健福祉士になるべく専門学校に入学した。
これまでにないくらい勉強したが、関心のある分野だったため、勉強はまったく苦にはならなかった。
初めて後先を考えず、「今、その瞬間」に没頭できたように思う。

私は摂食障害になったことをきっかけに、「今できること」を考えられるようになったのだ。

そしてもう一つ、「今を大切にする」という考え方に繋がるものとの出会いがあった。
それはカメラである。

ファインダー越しの世界

カメラとの出会いは、ひょんなこと。
母に、知人がカメラ好きであることを話した。その年の母からの誕生日プレゼントがカメラだったのだ。

私は休日になるとカメラ片手に友人と日帰り旅行をしたり、カメラ仲間と夢中になってシャッターを切ったりするようになった。

これまで見逃していた当たり前にある光景。
刻々と変わる空の表情、四季の風景、太陽の光、優しい木漏れ日、それに心ときめかし夢中でシャッターを切る仲間たち・・・

今、この最高の瞬間を残したい!そんな思いでシャッターを切る。
一見、何でもないような当たり前の光景に心が躍る。
カメラは私に今、この瞬間の大切さを教えてくれたのだ。

今、私にできること

私は福祉の相談員をしている。この仕事は、自分にとって天職だ。
目の前の人の話を聴き、受け止め、寄り添う。一緒に目標までの道筋を考えて進む。
それが、この仕事をしている私にできること。

一緒に暮らしている文鳥さんを愛することも、今、私が自信を持ってできることの一つだ。
少々気性が荒い文鳥さんだが、手の中ですやすやと眠る姿を見た時には、今が永遠に続けばいいと願うほど、穏やかな気持ちになる。

そしてもう一つ私にとって大切なことがある。
それはこれまで私が見て、感じてきた物事を書くこと。誰のためでもない、自分のために。でも、少しだけ誰かのためになればいいかな・・・という思いで書き綴っていくnote。

今できることを積み重ねていけば、自然と行き着くべき場所に辿り着く。
それがわかった私は、もう、先の不安に怯えるだけの私ではない。

はぴ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?