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幸い(さきはひ) 第六章 ⑥

第六章 第六話

「好きです。

 私も桐秋様のことが好きです。

 この身から出る感情をなんと言い表していいのかわかりません。
 
 気が触《ふ》れんほどに、熱くて、苦しくて、切ない。

 それらを一言で表すすべを私は、私の中に持ち合わせておりません。

 それでも、桐秋様を“好き”という想いは根本にあって、揺るがないのです。

 桐秋様がこの世界からいなくなってしまうことがとても恐ろしいのです。

 他の誰にも感じたことのないほど大きい、失う恐怖。

 これを愛というなら、私は桐秋様を・・・」

『『愛している』』

 そこからの言葉は千鶴ひとりに言わせまいと、桐秋も言葉を合わせる。

 その行為に、千鶴はますます童子どうじのように顔を歪ゆがませ、泣き始める。

 こらえようとするが、この世で最も清らかな流れは止まず、口はへの字に曲がっている。

 千鶴の感情の漏れでた様に、桐秋は胸をかきむしるような激情を抑えきれず、彼女を懐へ抱き入れた。

 千鶴も抵抗せず、桐秋の胸にすがりつき、はち切れんばかりの感情を爆発させる。

 望陀の美しい玉《たま》が落とされる。

 思いも掛けない告白に千鶴は戸惑っただろう。

 それでも、桐秋の想いを受け入れ、さらには自身の想いを精一杯、桐秋に告げてくれた。

 嗚咽交じりに桐秋の胸に顔を埋める千鶴を、桐秋は一層懐深く抱きいれる。

 落ち着かせるように、なだらかな背骨に沿って、千鶴の背を優しく撫でる。

——想いが重なったとはいえ、現実はつらいものだ。
 
 桐秋の病気は治療手段がなく、直接ふれて愛し合うことさえ叶わない。

 けれども、今は想いが重なったことを喜ぶ。

 布越しでも、お互いの生きている体温を感じることができる。

 滑らかな絹を隔てても、互いの鼓動の音を感じることはできるのだ。

 恋の深みを未だ知らぬ萌え出たばかりの恋人達は、薄い境界線越しにふれあうことで生まれる、ささやかな喜びをひしとかみしめながら、しばし幸福の時を過ごすのだった。 

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