出生観

この世は、世知辛い。
もしもの、もしもの話。自分が子供を産む立場として。
こんな世知辛い世に子供を産み落とすことが、子供に申し訳ないと思ってしまう。

だけどね、お腹の子が愛しいという親の気持ちは凄くよくわかる。


人はなぜ、子供を作るのか。

答えは…
(あ、生きることを辛いと思わない人が大半なんだな…)

ワイは能力的にも性格的にも社会で生きるのに向いていないから、こんな自分の遺伝子を子供に受け継がせて、生きづらさを感じてきた自分と同じ世界で生きろだなんて言えないンゴ



自分が産む選択をするとしたら。
その理由は、

・子供にこんなに楽しいことや美味しいものや美しい景色を食べて欲しい・見て欲しい・知って欲しいから。
・(私がいい人とめぐり逢い結婚したとして)愛する人を見つけ愛される幸福を味わって欲しいから。

…そんなところだろうか。
いずれにしても、エゴだろうな。
子供が大きくなって自らの存在に嘆くことがあったら、この理由を言えるだろうか。

(きっとうちの親に「生きたくない」とか言ったら反応に困らせるだろうし何より自責や悲しみの念を抱かせるかもしれない。)
多分、皆心のどこかにある考えなのではないかと思う。

自分としては、もしも自分が産む選択をしたのなら、子供のことは幸せにしたい・するべきだと思っている。でも自分には能力・性格的にそんな自信はなく、また世知辛い世の中であると感じるので、産みたくないというのが本音で。

競走に格差にとただえさえ生きるのに大変な世界なのに、
自分の遺伝子を継がせたら子供も生きづらく辛い人生を送るかもしれない…これが一番恐ろしい。
これほど子供に対して申し訳なく、自分の存在を嘆くことがあるだろうか。

ほんと、我ながら思わず「生きてて何が楽しいの?」と聞きたくなる文章だと思う。

確かに生きづらいし社会不適合感はあるけれど、生きててよかったと思うこともそれなりにある。
でも、子供に生きて欲しい世界かといえば、そうではないかなと思う。それは、自分の経験上、一時の幸福と生きづらさなら生きづらさが勝ってしまうから。まぁ、あくまでも全部自分の主観なんですけどね。
要は、まだ子供なのかもしれない。

追.

これ、反出生主義とかいうらしい。(勉強不足で意味合いが少し違うかもしれないけど近いかな、と)

主義とまではいかないし、子どもを産むなと人に強要もするつもりも全くない。というか、産むことが完全に悪だとは思わない。
というのも、子孫を残すことが生き物の本能なので、産んで当たり前だから。
自分の場合、勝手に悲観的になってるだけです。

ちなみに、人類は1度滅んだ方がいいとかいう考え方をする傾向があるらしい。
当たってる。

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