朝ドラ『おむすび』考①おむすび反省会タグを毎日見ている朝ドラ批評家が今、思っていること
こんにちは、朝ドラ批評家の半澤です。放送から1カ月以上が経過しまして、とうとう『おむすび』について書きたいと思います。
この作品、賛否両論の「否」の方が、耳に届いてきますが朝ドラ批評家を名乗っている人間として愛を持ちつつ、しっかり論じていければと思います。最初に僕のスタンスをお伝えすると、「中道派」です。否定も肯定もできないというわけではなく、両方の気持ちがわかるというところですね。いや、それズルイやんと、思われるでしょうが、まあ、読んでいただければ言いたいことはご理解いただけるかと。(なので、この記事は決して本作に文句を言うものでも、誰かを批判しているわけでもありません。ご承知おきください。)今の時代「批判」的なことを書くのは単純にトラブルのもとだし、叩かれるのも本望ではないので、今回はこの手のカッコ書きが過剰なまでに入っています。こちらもご了承ください。
朝ドラ反省会が話題になる要因を考えてみます
さっそく「良くない」印象の『おむすび』ですが、朝ドラゆえの特性が大きく影響していることは最初に触れておきたいです。これは多くのところでも語られているので、読み飛ばしていただければですが、僕個人の備忘録的な意味合いでまとめます。
まず、なぜ批判されるか。外せないのが、X界隈の朝ドラ反省会の存在です。(繰り返しますが、僕は反省会を否定しているのではなく、むしろ毎日しっかり眺める派です)ハッシュタグをつけて、ドラマへのコメントをポストするというのは多くの作品で行われていますが、朝ドラでは肯定的な意見以外に「反省会タグ」をつけて、「ツッコミ」、「モヤモヤ」が多数、ポストされています。そして、朝ドラは週に5日も放送があるため、毎日「反省会」コメントが蓄積されていきます。これは週に1回ということが普通の他ドラマではあり得ないことです。他のドラマはどんなに面白くなくとも週に1度のツッコミで済むけれど、朝ドラは毎日のように矢面にさらされてしまいます。
そして、朝ドラ自体の注目度の高さもまた、朝ドラ反省会が悪目立ちする要因でしょう。朝ドラはその視聴習慣を生活の一部としてとらえている人が多い、不思議なドラマ枠です。数十年にわたり寄り添って生きている人も少なくありません。その証拠に現在もこれだけ酷評されながら、視聴率12〜13%を超えています。良作が多い今クールのドラマのなかでも最注目といえる神木隆之介主演の日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』の初回放送の視聴率は11.0%(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)。
日本屈指のドラマ枠「日曜劇場」より不評のドラマ、しかも毎日早朝に放送されている作品が高視聴率というのはかなり興味深い話で、生活の一部として見ている人がいかに多いことを裏付けるデータともいえます。(もちろん、朝ドラと日曜劇場はまったく別の特性がある枠ですし、各種追っかけ視聴もあるため、今の時代、視聴率があまり重要ではないことは承知のうえですが、一つの指標として)
注目度も視聴率も高い……ゆえにメディアはこぞって「今期の朝ドラの話題」を書きます。ウェブ記事がわかりやすいけれど、とにかく数字が取れますからね、ニュース性も高い。そして書きやすい。なにせ「反省会」があるので、Xの文言を引けば簡単に煽れてしまう。そして悪評が飛び交うことで、「ツッコミ」を感じなかった人の耳にも届いてしまい、「モヤモヤ」が拡散する。こんな負のサイクルが働いているのは間違いないでしょう。
中の人だったからよく分かる。朝ドラってコピペ記事がとにかく量産しやすい
僕は以前、ウェブ記事で朝ドラはじめさまざまなドラマ記事を執筆していましたが、あるときから「論」は入れず、X(当時はツイッター)のまとめにしてくれと指示されました。解説よりも他の視聴者がどう思っているか、何が今話題なのか、の方が需要が高く、つまりビュー数が稼げるとのことでした。
と、なると反省会は格好の「記事になる」「見出しになる」コメントの漁場で、イージーにコピペだけしたコタツ記事が量産されているようにも思います。
(僕もそういう仕事をしていたし、メディアの記事は数字とることが厳命され上の判断もあるので、そういった記事を書いている人に喧嘩を売っているわけではありません)
メディアというか、もはやSNSのコピペの応酬が、ネガティブな意見を広めているともいえるでしょう。これは何も朝ドラに限ったことではないのですが。
見たくないなら見るな、は正論なんだけど……
とはいえ、『おむすび』に関していうとこの構造だけが悪いわけではありません。それについて考える前に、おむすび反省会上で面白いと感じた点を書かせてください。
X上の「おむすび反省会」では肯定派の人からの「そんなネガティブな投稿をするな」「見たくなければ見なければいい、文句をいうな」という声がよく上がっています。確かに人を傷つけたりするのはよくありませんし、「見たくないなら見なければいい」は正論。一生懸命見ている人にとっては雑音でしかないですからね。
でも、朝ドラを見続けている人にとって、朝ドラの質で半年間の生活の潤い度が大きく変わってくるんです。作品に魅力がなかったときは「文句の一つも言いたくなる」という心情もまた理解できます。とくにNHKの場合は受信料を支払っているため、その声は強くなってしまいます。
もちろん、重箱の隅を突つくようなツッコミはよくないし、また前述のように「反省会」の声だけを拾って良くないドラマだ!と騒ぎ立てるネット記事→それでまた反省会が盛り上がるということも多いので、そんな負のサイクルに対しては首肯できかねますが、「ツッコミ」入れたいはある程度、理解できるというのが僕の考えです。なぜって、ちょっと『おむすび』はツッコミどころが多いから。
反省会勢がモヤっていることを整理します
その「ツッコミ」の蓄積が速すぎる、多すぎたというのが今回の「反省会」ムーブメントにつながっていると思います。残念ながら悪名高くなってしまった『ちむどんどん』は「幼少期は良かった」との評も多く、また当時はその前作『カムカムエブリバディ』直後の興奮もある意味、目眩しになり、突っ込まれる対象となるまで(多少)時間を要しました。少なくても僕もヤング大会くらいまでは、良作だと信じてみていました。『ちむどん』という先輩が近くにいたばかりに『おむすび』は正直、そのスピード感すらも注目されています。
『おむすび』では放送当初から「おむすび反省会」が話題となってきましたが。ここでは、超簡単にその声をまとめましょう。
①糸島と天神が近すぎるなど、地理的矛盾をはじめとした現実との乖離
②永吉(松平健)が糸島フェスティバルで子どもから賞金を奪おうとするなど、主要キャラの「あり得ない」演出
③ギャルというキャラ設定へのアレルギー
④風見先輩の彼女、神崎優里亜の初登場時の掲示で神崎優里亜が2年生と3年生の「揺れ」があるなどディティールの完成度
⑤①-④のように気にかかることが多いなか、阪神淡路大震災という重たいテーマを丁寧に描ききれていないという疑問の声
※もちろんこれらは一つの例です
なんでツッコミたくなるかを考えてみる
上記の①−②は実はストレスの要因が同じですよね。現実じゃ「あり得ない」設定にモヤるという現象です。僕は先日、福岡に行った際、実際に糸島まで行ってみました。天神ー糸島は車で30分、電車で40分(糸島のどこかによるけど)もかかります。また、結(橋本環奈)の家は糸島の陸側設定っぽいのにイージーに海側にトリップするなど真正面から、いやそりゃ「おかしいよ!」と突っ込みたくなることが多いです。
肯定派の人は「だってドラマじゃん」と思うでしょうが。こういう「あり得ない」って安易に発動すべきではない博打のような演出だと感じます。
参考までに、朝ドラにおける①地理的なモヤモヤの代表例をここで思い出してみましょう。
22年下半期『ちむどんどん』:暢子の店は杉並区→鶴見「あまゆ」、銀座「フォンターナ」近すぎる問題
ほかにも沖縄と東京を行ったり来たりする描写が多数
22年上半期『カムカムエブリバディ』:アニーヒラカワの激走。実は5Kmもあったとネットニュースに
前者は「どこでもドア」と揶揄され、後者は朝ドラ受けで笑い話として好意的に捉えられました。同じ「モやる」事象でも作品への視聴者評価によって印象が違うということの好例だと思います。アニーのダッシュが、その後の大団円とともにやさしい記憶となっているのは、一重にそれまでの緻密で丹念なストーリーの積み上げのおかげといえるでしょう。
③については、ちょっと今度、改めて語らせてください。僕は昭和58年生まれのため、ギャル文化、ないしこの作品が描こうとしている時代を生きてきたわけで、少しはまともな考察ができると思うのですが、正直、簡単に触れられるところではないと気を引き締めている最中でした。現状、一言だけ言えるのは、『おむすび』は舞台装置、衣装、小道具くらいのつもりでギャルを扱ってしまっているのでは、ということ。これに対しての批判やモヤモヤも多いですね。
④重箱の隅をつつく、とはこういうことかもですが、反省会を眺めていると、よくそういうところに気づいたなというツッコミが散見されます。揚げ足をとりすぎるのは批判のようで良くないでしょうが、ちょっとしたミスというか至らない点は作品の質に直結してしまうので、やはりいただけません。
⑤阪神淡路大震災のシーンというか神戸編。もっとやりようはなかったでしょうか。反省会のツッコミとしては、話が行ったり来たりでわかりにくい、ちび結の記憶とトラウマがうまく噛み合わないといったものが多いですが、今後はどのくらい振り返るのか、注目したいところです。せっかくあれだけのキャスト用意しているのですから。
と、このようなことが論じられ、反省会の意見には激しく共感できるものも多いです。所詮、朝ドラでそういろいろツッコミ入れるなよという声ももちろんあるでしょうが、良作が競い合うように作り上げられ、『ドラゴンボール』最終版くらい強さのインフレが起きている現在のドラマ業界にあって、一定層しか見ない老舗枠だから型にハマってなんとなく作れば良いという論は全く成立しません。
これだけは言っておきたい、寅子の「はて?」を無にしてくれるな
このような批判的な見解を見たい人は反省会タグをチェックすれば、もっと共感を得られるはず。見たくない人は見なければいい、中道派(割と中道左派だな)の締めとしてはそんな感じなのですが、最後に一言。
上の①〜⑤に加えて箇条書きで書いてもよかったのだけど、やはり気持ちがおさまらず、最後に批判的な内容を自分の言葉で語らせていただきます。
正直、糸島フェス後の宴会シーンは衝撃でした。これも反省会でよく語られているのですが、酔っ払う男たち、裏で料理を作る女たちの図が、わざとなのか素なのか堂々、描かれたのには驚きました。
はて?、と寅子が声をあげてきたあの時間はなんだったのか。(平成はあんなもんだったよ、まだまだ女性は料理つくる役で、それは今も変わらないじゃん。という声もあるでしょうが)。
前作のメインテーマを足蹴に(仮に誰も意識的に行っていなくとも、その場合はなおのこと)するような描写は、腹が立ったというよりも少し切なくすら感じてしまいました。これは『虎に翼』が名作だったから、それと比べてという論ではまるでありません。どのタイミングで放送されても、おいおいとツッコミたくなったでしょう。
今回、わざと(半分冗談で、半分本気で)、カッコ書きを入れて書いてみました。いろいろなところに気を使わないといけない時代で、ドラマもきっとそうだし、ほかのジャンルもそうでしょう。これって生きにくいし面倒だし、なんだか反町以来の「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」感があるわけですが、そういうことをケアしながらも、あるいはあ飛び越しながらも何かを伝えていく、捉えていくというのがドラマの役割でそうあってほしいと思っています。叩かれても、『おむすび』にはやはりがんばっていただきたい。また熱く考察する時間が作れれば幸いです。とりあえず、僕の宿題はギャル論だな。わあ、こりゃムズそうだ。