妄想は身を助ける

この夏、自分自身でも信じられないほどまさかに、文字通り、突然恋に落ちた。
相手は異国の人。
どちらも母国語ではない拙い英語で心情を伝え合う。これが何とか伝わるものだということには驚いた。すっかり彼氏彼女気分の1ヶ月間を過ごす。ワタシたちはソウシソウアイこれからもツヅケテいきましょうとの言葉に舞いあがる俺。相手も舞い上がってくれたと信じる。
たがその間、自分が流行りの感染症には罹ってしまうし、お相手は仕事を終えて帰国してしまう。驚くことしか起きない2ヶ月である
驚きが収まると次は、どうしようもない寂寞に襲われる。
そりゃそうだ。
せっかく相思相愛になって、病気からも回復し、さぁこれでデートしたり出来る!と楽しみにしていたのに肝心の相手は遥か彼方。
毎日毎晩、いかに恋しく思っているか、いかに会いたいと切望しているかをメッセージでやり取りを重ねるも、残念ながらそこ止まり。双方仕事もしている社会人なので、そうそうしょっちゅう会うために休みを取るという訳にもいかぬし、飛行機か新幹線に乗ればたとえ日帰りでも会えるというような距離ではない。時差もある。
これは詰んだ。

せっかくスタートした2人の関係なのに言葉で愛を交わすのみの状態、これから某かのゴールへ向かう事は可能なのか?などと考え、ツラくなる。
堂々巡り。どうしようもない。どちらも悪くない。

がしかし、日本人のOTAKU魂は、こういうピンチ時に独特の力を発揮するものだ。俺は考えに考えとうとう結論に至った。
実際に会い語らったあの日々、それを以て我々はその感情と関係性のピークを迎えた。その時、心情的には永遠の誓いをし、まぁ、わかりやすい形で言えば結婚した。出会ってスタートではなく一気にゴールした。

という結論である。

キモいとか言うなかれ。

俺は実際、10年余の結婚生活を経験済みである。
結婚生活とは何か。それは、平和で穏やかでありふれた日常。日々、年々、これが繰り返されるのみであり、それこそが幸福な結婚なのである。

それを前提にし、今現在の設定である。お互いに仕事をしているから、結婚はしたものの単身赴任で外国に居るということにした。
結婚したのだから、そんなに面白おかしなことなぞ無くて良い。互いに信じ合い、しかし、これまた互いに健康を気遣い、仕事に疲れたと聞けば互いに励まし、散歩に出れば互いにその様を動画で撮り、互いに今日のご飯の画像を送る。朝はおはようで始まり、寝る前におやすみと挨拶をする。

もしやキモい俺だって、現実という名の厳しさは理解しているつもりだ。あちらは最初から帰る場所が決まっていた人間だ。我々は両想いといくら言われても、その言葉だけに縋るには歳を食いすぎている。俺ちゃん、納税もしてるし、普通の社会人なんですよ。

しかし、楽しかったという思い出とそれに付随する幾許かの楽しみをどちらか厭になるまで続けるくらいは良いだろ、許されるだろと考えた。

幸いにも、このやり方はお互いの負荷が小さいせいか良好に継続している。まちがっても色気のある写真を送れとかその手の音声を送れなどと言ってはならない。思いがけず送って寄越す分には有難く堪能するが強制してはいけない。自発性に任せる。互いに大人なのだから、ネットリテラシー遵守は自己責任である。

こういう設定の妄想は、自分の生活にほど良い活気を与えたし、もうひとつの利点としては、いつか終わる日が来ても仕方がないと思えるのも容易だという点だ。
結婚をし、それなりに暮らして居る2人ですらその関係はある日終了することはある。実際、したし。
他に好きな人が出来る、相手に厭きる、相手もしくは自分が死ぬ。
それはどんなに頑張っても楽る時は来る。そして頑張らなくても来ない時は来ない。この辺りはもう運命としか言いようが無い。

恋に落ちてその後愛し合うとは、平和に生きて暮らし、少しでも相手の幸せが続くことを願うことに他ならないし、それによって自分も幸福な気持ちになることだ。
仮想現実という言葉が出来て久しいが、今の俺は、正にこの世界の住人である。この夏ほどこれを実感出来た日は無い。漫画を読んでアニメを見て育った者に培われた能力ではないかとすら思えた。

今後、いつの日か、お金と休みを取れるように算段し、仕事の用事にかこつけてその国へ旅行したいとは考えている。その時は、その人に会う目的の旅行にはせずに行くかな。いや、そこまでカッコつける必要はないのだろうか。いやいやでも、もし、キモっ、て言われたら心折れるし。どないしよ。

仮想現実の正しい終焉の迎え方、誰か教えてください。


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