5月3日

 曇天で気温も昨日より5℃も低く、久々に昼前から畑へ…。犬、殆んど寝ず、心配が尽きない。
 一方で肉体労働に勤しむ人間。午後を過ぎても働いていたら、先に帰った母親世代の畑仲間が紙袋を下げて戻って来た。嫁ぎ先から訪れた娘さんが、髪を60センチも切ったのだとか…。使用済みのヘアアクセサリーは処分したが、新しい未使用品が幾つもあったので、使わないかと持って来てくれたのだ。
 2年間伸ばし続けている髪は今、肩甲骨のあたり。仕事が決まったらカットして、ヘアドネーションしたいと思っている。
 ヘアアクセサリーは自分では買わないようなデザインのものばかりだが、工夫すれば使えないことはない。値札が付いたままのものもあり、私が重用している300均などの代物ではないことがよくわかる。好みでなくても使わなければ勿体ない。
 仕事が決まったら…と考えている計画に追加事項が増える。いただいたヘアアクセサリーを使おう。整髪料も使わずに、畑へ出る為だけに放置している今の髪に、素敵なそれらは似合わないのだ。
 夏用のシーツや枕カバーも、すっかり日焼けして色褪せている。仕事が決まったら、これも新しいものと取り換えよう。考え出すと胸が高鳴る。
 影も形もないものを追い駆けるのは、夢を見ているのと同じかも知れないが、多くの大人が当たり前のように日々行っている〝働く〟という現実を、夢のまま終わらせるわけにはいかない。仕事をすれば、楽しいことが待っている。そう思って、自分が出合う新しい仕事を楽しみにしていたい。
 
 相変わらず送られてくる求職サイトのメールには、県外求人が山のように入っている。混乱するので苛々するが、東京の妹に有効かもしれないものもちょくちょくあるのだ。
 情報提供でメッセージを送るも、残念ながら職種や勤務地が現実的ではなかったらしい。唯、希望を失いかけて目の前の短期派遣業を悲しくなりながら熟しいている彼女にとって、〝何も無いわけではない〟という〝希望〟を持って欲しい。
 雇用されることを前提に働くのであれば、雇用者を惹き付ける年齢ではなくなりつつある。経験も実績も、鮮やかに映りはしないのだろう。年を重ねていても、やる気があって、新しいことにどんどん挑戦したい、そういう気持ちも伝わらない。伝える前に、書類の一部を見ただけで、簡単に切り捨てられてしまうからだ。
 拾う神が我々にも存在するのか…それがいつわかるのか、自分達にはまだわからない。


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