卒業し損ね小学生 ①

 新年度が始まっている。
 例を見ない人事大異動で、職員室はおろか、学校全体が見知らぬ異世界のようだ。今年度は二十人近くが去った。私の知る限り、前代未聞の多さ。その分入ってきているのだが、出て行った人に対し、入って来た、若しくは戻って来た(復帰した)人の女性率が高い。また、個性豊かな去り人達に対し、来たり人達は何だか皆似ている。人が苦手なくせに人に興味がある質なのか、顔と名前を一致させるのは割と得意なのだが、今年はまるで覚えられない。皆似ているから…だけが理由でないのは、恐らくわかっている。勤務時間の短縮で、図書室から出る時間が殆ど無いことも理由の一つではあるが、それだけでもない。自分自身に覚える気がないのだ。
 
 新年度初日の打ち合わせに出損なった。
 午前中に赴任者を出迎えた後、新任者の到着は午後になると聞いた。打ち合わせはその後だったか、その前だったか、職員会議に出席義務のない司書は、配られる書類や職員朝会内の報告で、校内の必要情報を獲得する。しかし今年度はその辺りが疎かになっていた。
 確か前年度は、打ち合わせ開始前に校内放送が入った。赴任者の出迎え後、次の全体作業までの僅かな時間を、それぞれの準備や片付けに費やす職員が多いせいだ。司書も同じである。そもそも主体となる仕事場が、職員室ではなく図書室なのだから尚更のこと。
 今年は例年の何倍も仕事が多い。唯でさえ新年度準備は多忙を極める。
 学校の規模が大きいので、クラス替えによる利用者バーコードの進級処理には毎年手古摺る。職員だけでなく、児童の転出転入には何度も確認作業を要する。そもそもその辺りの報連相が、的確に行われない。担任も変わり、それぞれがそれぞれの仕事で手一杯なため、司書が学校全体の名簿を要することや、その正確性が非常に重要だということを知っている職員は一人もいない。恐らく…ではなく、先ず、絶対に。何故なら司書とは、職員における校内での存在感が限りなく薄いからだ。
 年度替わりを機に、家庭の事情で姓が変わる児童も少なからず居る。名簿を確認し、「この子、誰?」となって再び職員室へ走る。児童数が多い分、姓が同じの子もいれば名が同じの子もいる。転入生なのか、姓に変更が生じた子なのか、余程個性的な姓名であれば後者なのだと予測がつくが、必ずしもそうでない場合が多い。図書室から職員まではせいぜい50メートル程度であるが、6学年各4クラス分となると、面倒なことこの上ない。また、職員室へ戻ったからとて、担任がそこでじっとしているとは限らないのである。
 始業式翌日から授業に来るクラスもあるので、バッタバタする。日時厳守を書き添えて、名簿データ提出を訴える。例年の〝バッタバタ〟を回避したく、今年は【転出・転入・姓名変更】の児童に関し、別途記載を依頼した。が、依頼に意識を置きつつ、締め切りを守ってくれたのは2学年のみ。翌日各担任のお尻を叩きに回る。
「会議で、名簿データをメールで送るの、ストップかかったんです」と初めて聞かされる。メールは校内システムに導入されているもので、職員室のパソコンと図書室のそれとを繋ぐには、それを介してもらわなければデータのやり取りが出来ない。USBメモリですら個人情報流出を懸念して制限がかかっているため、他に方法がないのだ。
 管理職に直訴に行く。
「他校へは×だが、校内ならOK」とあっさり許可を得て、三度未提出の担任を梯子。ってゆうか、ストップかかった時点でこっちに言わんかい!とムカムカ。司書が会議に出ていないことすら、誰も気にしていないので、報連相の義務は欠如されたままだ。
 新年度開始からまる三日、例年の何倍もの仕事を増やしたのは、新しい書架が入荷したせいであった。私が赴任する何年も前から要望を出していたという書架。その都度却下され、もう入らないものと諦めて、既に数年経っていた。それが何故、今…?
 予算の出所は違うのだと思う。しかし、勤務時間削減、給料も削減という通達があった後に決まった書架入荷。お金の使い方、一体どうなっているの?と考えてしまう。
 年度末〆で大忙しの最中、業者が現地調査に訪れる。案内してくれた親切な事務員さんが、出迎えようとした私に向かって「良いから仕事しててや」と制止した。
 入荷予定の棚を設置する為に移動させなければならない他の棚が、耐震の関係で床に打ち込まれているかも知れないという可能性を示唆し、棚が動かせるかどうか試みると言う業者。2列4面各6段の書架を、片側だけの上半分だけ入っていた本を出した後、持ち上げようする。
「あかんわ、打ち込まれてる。」業者のメンズ2名が宣った。
 呆れた。
 動くわけがないではないか。棚は中に入っている本だけで充分重しになり、耐震工事をする必要などそもそもない。その本が入ったままの棚を、一人で持ち上げられるほどの力、あんたらの何処にあるねん。
 棚が床に打ち込まれていれば、新書架を入れるスペースの確保が出来ない。書架の中身(数百冊の本)を出してまで、棚が動く可能性を確認する気はなかったのだろう。
 イライラした。
 結局、こちらが仕事の手を止めざるを得なくなった。業者2名に優しい事務員、そして唯一の女(司書)の4人がかりで一旦すべての本を出す作業に取り掛かる。棚はちゃんと動いた。
「考えたらわかるやろ?」という言葉は、誰が誰に言えば正しいのだろう。
「普通な?」とか、「常識やん」とか、〝これが基本です〟ということを世間の一般的な考え方や物の見方として誇張するのは、実際好きではない。何が「普通」で、何が「常識」か。そんなものは四六時中覆されて来たし、それらの言葉で相手を納得させようとする人間に限って、『人のこと言える立場か?』と疑問符を返したくなるような目に再々遭ってきたせいで、私の根性はひん曲がっている。
 棚が動くことが分かったので、再び本を元に戻し、業者は類似品オーダーを見越して採寸。事務員さんは入荷に伴う棚移動の算段を整え、通路が均一に確保されるよう、床面積を測ってそれぞれの持ち場へ帰って行った。
 棚の入荷は、年度内か新年度に入ってからのどちらかになると聞いていた。新年度に入ってからだとわかれば、私はこの場所で新年度を迎えることはなかったかも知れない。ダメもとで始めた転職活動の結果が、良くないタイミングで結果に繋がり、しかし結局断ることになったのは、棚が年度内最終日に入ると聞かされたせいでもあった。その日までに、移動させる必要のある書架の中身を、全部出しておかなければならない。当日、入院中の祖母を見舞うため、田舎へ帰省する予定が半年も前から決まっていたため、私は現場にいることが出来ない。中身を出す作業、書架の移動は、校内の男性職員で行うという申し出を受けたが、移動だけを依頼することにした。中身…適当に出されては、後でこちらが困るのだ。
 分類別に整頓してある棚ひとつひとつから、中に入っている本の順番を変えないように取り出し、机の上に並べてゆく。取り外した案内表示は看板代わりにその上へ乗せる。棚の段が変われば、ブックエンドを間仕切りにして、〝入れる場所が違う〟という目印にする。新書架に入る分だけ、現書架に余裕が生まれるため、適度に空間を設けるよう努めながら、可能な範囲で配架の移動を行う。棚番号と案内表示の変更と作り変えをある程度済ませるが、実際、棚が入って本を移動してみないと、表示の訂正が必要になる可能性があるため、印刷とラミネートは新年度に入ってからの作業になる。
 年間一、二を争う繁忙期に残業続きでフラフラなうえ、思いもかけない雇用問題に振り回された挙句、家庭内でも考え付かないようなトラブルが重複していた。
 食べられなくなる…という経験をしたのは何年振りか。風邪で熱があっても食欲が落ちない特異体質がいつの間にやら身に付き、何をやっても痩せなかったのに、今回は一週間もしないうちに3キロのダイエットに成功した。
お金の為に好きな仕事を捨てなければならないと焦った結果、あっさり転職先が決まったのは、再度行われた現職の任用意向調査にサインして提出した数日後のこと。しかし、【任用期間中に退職する場合は、一ヵ月前までに申し出ること】との一文だけでなく、室内の机に山盛りの本を放置したまま姿を消すことや、図書利用が出来ない状態で新学期を迎えなければならなくなる児童のことを考えた時、自分の中でブレーキがかかった。
 予告通り、書類選考にたっぷり一週間かかり、週の初めに連絡が来て、同じ週末に面接に臨む。そこから結果が出るまでさらに一週間の予定だった。しかし面接とは、〝選考〟のためのそれではなく、仕事内容の確認であった。選考内容には【作文】の記載があるのに、電話連絡では筆記用具などの持ち物も不要と言われたので不思議に思っていた。代わりに、ピアノのレベルを知りたいので楽譜を持参せよと言われ、手近なものを用意していったが、実際はそれさえも不要であった。ピアノのブランクがある人間だったら驚いたと思う。選考内容には、ピアノのピの字も書かれていなかったのだから。
 職務経歴書に羅列された〝経験〟だけを買われたようで、4月初日から来て欲しいと言われて慌てる。求人票のそれは確かに、【4月1日から採用】と書かれていた。しかし、面接の時点で、一週間後が年度内勤務の最終日。月末までの残り二日は土日休日になっている。履歴書にも書いて送ったのだが、現職を退職すらしていないのだ。面接の結果がわかるまで一週間はかかると書かれていただけに、4月初日からの勤務は難しいと伝えると、「面接の結果は早急に連絡します」と言われ、その日は帰宅した。

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