卒業し損ね小学生 ③

 新年度初日の打ち合わせだけでなく、ありとあらゆる校内行事を放棄している。そもそも、参加したところで場違い感が半端ではないので苦にはならない。
 新学期に間に合わせるために、削減された勤務時間分の業務を穴埋めせねばならない。始業式や終業式は、司書一人が図書室に籠っていたところで、殆ど誰も気付かないような学校の規模。黙ってボイコットしたことは何度もあった。しかし入学式や卒業式は、雑務の振り分けがある程度されている。だが今年、役割分担表に司書の名前は記載されていなかった。もしかしたら、初日の打ち合わせ時に分担の発表があり、その場で各自が自身の役割を確認するような形式だったのかも知れない。しかし知らないのを私は良いことにした。
 入学式当日、いつもと同じく勤務開始十分前に出勤。ばっちりスーツの先生方の合間を、思いっきり普段着で闊歩する。タイムカードを押すなり、図書室の鍵を片手に、室内に引き籠もった。連休明けの始業式にも同じ体を貫いたことで、翌日の授業開始に業務が間に合ったのだが、残業せずに間に合ったかと言えば大嘘である。
 赴任式、離任式にも出席しなかった。更に言えば、月に一度の司書会議も、欠席する旨連絡した途端、大波乱が起きた。出席を求めるメッセージが一挙に届き、「業務が間に合わないなら、授業開始を一週間遅らせよ」とまで書かれている。温度差を感じた。
 
 会議が無駄だと感じたことは一度もない。一人職の同業種による情報交換の場は貴重で、実際、何度も助けられた。
 一方、不毛な糾弾に嫌気がさすことがあったのも事実。脱線しまくるので、定時で終わらないのが当たり前で、出張旅費としての交通費も確保されない。マイカー通勤でないため、市内移動とはいえ制限が多く、バスや電車を使おうものなら、本数の関係で辿り着けないことも珍しくなかった。
 マイカー組に便乗させてもらえと誰もが言う。しかし、助けを求めてスルーされた記憶もあり、積極的になれない。プラスマイナスを考えれば、目先の業務を優先することが、自身にとっての最善であった。
 業務削減案の一つとして、会議の継続は不可能ではないか?と書いたはずであった。しかし請け負ってもらえなかったらしい。
 翌日、司書の中でも特に親切なNさんからメッセージが届いた。いつでも人を傷付けず、しかしきちんとわかるような丁寧な説明をしてくれる。今回も説得力のある文面で、感嘆の息が漏れるほどだ。その中に、司書が会議の時間を業務の一つとして必要不可欠とするのを市教委に認めてもらうまで、様々な努力が必要だったことが記されていた。
 申し訳ないと思う。しかし、十数年の努力と、高々三、四年の上辺志向とでは、事の重大さが違った。重みが違い、優先順位も違う。真っ正直に書いて返信したっきり、Nさんは何も言って来なくなった。
 燃え尽き症候群とか、戦意喪失とか、そういった言葉が浮かぶ。
 前者は、【一定の生き方や関心に対し、献身的に努力した人が、期待した結果が得られなかった場合に感じる徒労感や欲求不満、あるいは、努力の結果、目標を達成したあとに生じる虚脱感を指す】という。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状で、一種の心因性(反応性)うつ病とも言われるらしい。極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生することが多いと言われているとも書かれてあった。
一見、図書館司書のような穏やかな印象の職業とは無縁なように感じる。しかし、その仕事を経験してみれば、現実はまるで違うことに気付かされる。世の図書館司書は、それこそ穏やかに仕事をしている人もいるかも知れないが、私に限っては真逆であった。
 
 退職という形で、戦い続けたMさんとのやりとりの中で、後に知ったことに唖然とする。Mさんの代わりになる人材が、退職決定から僅か十日のうちに決まったことが先ず衝撃だったのだが、その人は、市立図書館の臨時職員として応募し、採用されなかった人であったことを後に知った。
 そして、学校図書館司書として採用が決まった際、市の教育委員会からはこう言われたらしい。
「ガンバラナイデクダサイ」
 目の前が真っ暗になった。

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